2年半以上続く新型コロナウイルス禍に加え、2022年2月24日に勃発したロシアによるウクライナ戦争など、不確実でマイナスな要素にもかかわらず、宝飾品や高級腕時計など、高額品の売り上げが好調だ。その背景と、直近の展望を、気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が分析・考察する。
安堂ミキオ:イラスト Illustration by Mikio Ando
[クロノス日本版 2022年9月号掲載記事]
本格的な円安・インフレで、「資産性」の高い高級時計がブームに
前回、当欄で「ついにインフレへ。物価上昇見込みが高級時計の駆け込み需要生む?」と書いた。2022年4月に日本の消費者物価指数が前年同月比で2.1%の上昇となり、消費増税直後の一時的なものを除くと13年半ぶりに2%超えとなったが、5月も2.1%上昇、6月も2.2%上昇と3カ月連続で2%を上回った。電気代やガス代、輸入食材を中心に大きく値上がりしており、生活実感としては2%どころではない。誰の目にも「インフレ」がはっきりしてきたうえ、まだまだこれからが本番だと感じ始めていることだろう。
インフレは、通貨価値が下落すること、つまり「円」の価値が大きく落ちて、モノの価値が上がっていくことだ。円で資産を持っていればどんどん目減りしてしまうので、富裕層を中心に、円を実物資産に換える動きが広がり、高級時計の駆け込みが起きる、というのが前回の記事の趣旨だった。以後、予想した通りの展開になっている。
名古屋の百貨店で時計売り場の開店が相次ぐ
「高級腕時計ブーム、名古屋で沸騰中 全国で一番注目集める理由は」(7月18日付毎日新聞)、「若者も高額品の買い手に 海外ブランド・時計、SNSも一役」(7月8日付時事通信)といった記事がメディアに躍った。きっかけは名古屋の百貨店で時計売り場の新装開店が相次いだこと。松坂屋名古屋店は7月6日に時計売り場を14年ぶりに改装、「GENTA The Watch(ジェンタ ザ ウォッチ)」としてオープン。面積を従来の約2倍の1200㎡に広げた。名古屋三越栄店ではひと足早い6月20日に、スイスの高級時計メーカー、パテック フィリップの単独ショップが1階にオープンした。
松坂屋の時計売り場オープンでは、スイスの独立時計師、アントワーヌ・プレジウソによるブルーサファイアをちりばめた世界限定1本の腕時計、1億8150万円を用意したと報じられ話題を呼んだ。一方、パテック フィリップは2000万円程度の価格帯が中心で、2億円近い商品も扱うという。完全に「資産性」に注目する顧客をターゲットにしている。
百貨店「美術・宝飾・貴金属」部門の売り上げは前年の2倍
日本経済が新型コロナウイルス蔓延の影響から立ち直りつつある中で、百貨店の売り上げも大幅に伸びている。日本百貨店協会がまとめた5月の全国百貨店売上高は、前年同月比で57.8%増と3カ月連続のプラスになったが、中でも「美術・宝飾・貴金属」部門は16カ月連続のプラスで、5月の増加率は97.5%増。つまり、前年の2倍の売り上げとなっている。高級時計などの貴金属・宝飾品に一気にお金が向かっているわけだ。
スイス時計協会がまとめた6月のスイス時計輸出統計でも、日本でのブームがはっきり表れている。日本向け輸出は1億4020万スイスフラン(約199億円)と、前年同月比16.1%増えた。世界全体では8.1%の増加なので、日本はその2倍の伸びだ。1月から6月までの累計だと19.5%も増えている。ウクライナ戦争や米欧での金利引き上げで世界経済が減速するかに思われたが、世界の高級品消費は根強いものがある。
「インバウンド消費ブーム」の環境が整う
円安を見越した「実物資産」へのシフト以外にも、日本の時計販売にプラスに働くことがある。円安による外国人旅行者の増加だ。日本は、入国者数の制限を続けており、まだまだ「鎖国状態」だが、それでも日本政府観光局(JNTO)の推計によると、6月の訪日外客数は12万人あまりで、1年前の9251人に比べれば10倍以上。今後、本格的に日本を訪れる観光客が増えれば、インバウンド消費が一気に盛り上がることは間違いない。
特に時計などの高額品の場合、円安が進む前に仕入れた商品の価格改定が十分に行われておらず、円安で自国通貨が強くなった外国人旅行者にとっては、まさに大バーゲンセール状態になっている。一気に円安が進んだ2013年から14年にかけて、東京・銀座に中国人観光客が溢れた「インバウンド消費ブーム」が再び起きる環境が整っているわけだ。そうなると、超高額のハイエンド品ばかりでなく、100万円前後といった中価格帯商品も一気に売れていくことになるだろう。
磯山友幸
経済ジャーナリスト/千葉商科大学教授。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。政官財を幅広く取材している。著書に『国際会計基準戦争 完結編』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。
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