米欧の主要な中央銀行がインフレ抑制のために利上げを加速させる中、金融緩和策を堅持する日本銀行。その独自路線が急激な円安を招き、結果、物価高に拍車がかかっている。新型コロナウイルス禍にもかかわらず、これまで好調を維持してきた高級時計の需要は、果たしてどのような影響を受けるのだろうか?気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が分析・考察する。
安堂ミキオ:イラスト Illustration by Mikio Ando
[クロノス日本版 2022年11月号掲載記事]
世界的な景気減速はやって来るか?中国の鈍化は鮮明だが……
吹き荒れるインフレ(物価上昇)に対して、米国のFRB(連邦準備制度理事会)は大幅な利上げを繰り返している。2022年8月には、英国の中央銀行であるイングランド銀行が30年ぶりとなる0.50%の利上げを実施、9月に入って欧州中央銀行も0.75%の大幅な利上げに踏み切った。マイナス金利を続けてきたスイス中央銀行もマイナス金利を脱し、プラス金利に転じた。主要国は利上げに踏み切ることで、過熱した景気にブレーキをかけ、インフレを抑えようとしているのだ。
金利が上昇すると銀行から資金を借りて設備投資などを行う動きが鈍化、企業収益の伸びが止まって給与も増えなくなる。これによって消費が抑えられて物価上昇が止まる、というわけだ。では、景気にブレーキがかかったとして、目下、世界的に販売好調が続いている高級時計も売れなくなっていくのか?
2021年の「スイス時計輸出額」は過去最高を更新
世界の高級時計の売れ具合を示すバロメーターとも言えるスイス時計協会の「スイス時計輸出額」統計によると、輸出額は2021年に223億スイスフラン(約3兆3000億円)を記録、2014年の222億5000万スイスフランを上回って過去最高となった。新型コロナウイルス禍が明けた米国での消費が大幅に増えたことが主因だが、このブームはまだまだ続いている。全世界向け輸出額の1-7月の累計額は前年同期間を11.4%上回っている。このままのペースで行けば、2021年を上回って史上最高を2年連続で更新することになりそうだが、ひとつ懸念される数値がある。
同じ1-7月の累計で、米国に次いで世界2位の市場である中国本土が前年同期間比で19.6%も落ち込んでいるのだ。中国は新型コロナウイルスの感染が最も早く広がったにもかかわらず、その封じ込めに成功、いち早く景気回復を実現した。一時は米国を抜いて世界最大の時計市場になるかに思われたが、今年春には再び国内で感染が流行。上海市などで都市封鎖が行われ、景気が一気に落ち込んだ。その影響が鮮明に表れているのだ。
また、輸出先3位である香港向けも11.6%減っている。かつては「自由貿易港」として世界最大の時計市場だったが、2020年6月末に香港国家安全維持法が施行されると、貿易量が激減した。ここへ来てさらに落ち込んでいる背景には、中国本土の景気悪化があると見られる。中国国家統計局が発表した4-6月期の実質GDP(国内総生産)成長率は、前年同期比0.4%増にとどまったが、この景気の急減速がスイス時計の輸出にも鮮明に表れているわけだ。何せ、輸出向け先30カ国・地域のうち、中国本土と香港を除いた28カ国が前年同期間比でプラスになっているのだ。
しかも1ケタのプラスは韓国の2.0%増に加え、クウェートとバーレーンの3カ国だけで、25カ国が10%を超える2ケタの増加になっている。英国は28.4%増、ドイツは23.3%増、フランスは31.7%増といった具合だ。
貨幣の信用度が下がり、実物資産にシフトする動きあり
英国や欧州では、金利が大幅に引き上げられているが、金利上昇による高級時計への影響はあるのだろうか? 通常の好景気ならば金利の引き上げは効くのだが、今回はやや様子が違う。新型コロナウイルスの蔓延で凍りついた経済を動かすために世界中でお金を増刷してバラまいた。つまり、世の中に資金が溢れたことで貨幣価値が下がり、物価が上がっている面が強い。バラまかれた資金が回収されない限り、インフレは収まらないという見方もある。
高級時計ブームの背景には、膨大なバラマキで貨幣の信用度が下がっていることから、貨幣ではなく実物資産にシフトしようという動きがある。米国では大幅な金利引き上げにもかかわらず、景気は依然好調で、賃金も上昇しており、インフレは収まる気配がない。まだまだインフレを恐れて実物資産での資産保全に動く人が少なくない。
日本もいよいよインフレが始まって景気悪化が懸念される。一方で、為替が1ドル=145円を付けるなど、通貨「円」の価値下落が著しい。本来、景気悪化が進めば時計など高級品は真っ先に敬遠されるが、円安による資産価値の目減りを避けようとする実物志向はまだまだ衰えていない。少なくとも年内いっぱいは、中国の減速を米欧や日本が吸収し、時計市場は高水準の活況を持続すると見てよさそうだ。
磯山友幸
経済ジャーナリスト/千葉商科大学教授。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。政官財を幅広く取材している。著書に『国際会計基準戦争 完結編』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。
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