テクノロジーの分野で知らぬ人はいないほどのジャーナリストが本田雅一氏だ。その本田氏が、ウェアラブルデバイスについて執筆する本連載。今回は歴代のApple Watchと最新作のApple Watch Ultraを例に、アップルが時計市場に対してどのような形でブランディングをして、成功を掴んだのか解説する。鍵は専門性への特化だ。
GPS+Cellularモデル。S8 SiP(64ビットデュアルコアプロセッサ搭載)。リチャージブルリチウムイオンバッテリー。パワーリザーブ約36時間。Ti(縦49×横44mm、厚さ14.4mm)。100m防水。
Text by Masakazu Honda
2022年11月15日公開記事
Apple Watchは登場以来、7年連続スマートウォッチ市場でナンバーワンの存在で在り続けた。スマートウォッチやウェアラブルデバイスといった概念はApple Watch以前から存在してきたものだが、実際に市場創出したのはアップルだったと言ってもいいだろう。
製品に一切の不満がない、というわけではない。
しかし腕時計を好んで身につけていた消費者はもちろん、携帯電話の普及から腕時計を必要としなくなっていた世代にも訴求し、時刻や日付を知るという基本的な腕時計の機能を超えた価値を周知したという意味で、Apple Watchが大きく市場を動かしたことに異論を唱えるものはいないだろう。
一方、市場を作り出してきたこの7年間のApple Watchは改良を加えるごとに、極めてニュートラルで色付けの少ない製品であった。まるでスティーブ・ジョブズが好んだ三宅一生デザインの黒いタートルネックにリーバイス501を組み合わせたスタイルのように飾らない、しかし機能的な製品へと収斂してきた。
その間、伝統的なウォッチメーカーは、どのような取り組みをしてきたのか? なぜアップルに独走を許してきたのか? という厳しい声もあるかも知れないが、実はアップル自身、Apple Watchのブランディングには紆余曲折のトライアルがあったように思う。
Apple Watchが突き当たった壁とブランド構築への挑戦
アップルがニュートラルなトーンのデザインを好むのは、何もApple Watchに限った話ではない。それはアップルの基本的なデザイン戦略のようなもの、と筆者は捉えている。パーソナルコンピューターやスマートフォン、タブレット端末であれば、この戦略で商品力を高めていけば市場を席巻することもできる。
これらの端末は、それぞれの利用スタイルや導入しているアプリケーション、使いこなしに個性があり、ファッションとしての要素が比較的薄いからだ。しかし、“ウォッチ”というスタイルで情報端末を作るとなれば、そこには嗜好性も生まれてくる。
これまで伝統的な腕時計メーカーやファッションブランドが、自身のブランドイメージを背景にスマートウォッチの世界に挑戦してきた際にも、多くの場合はファッションを切り口にしてきた。ところが、その先には小さくない困難が待ち構えている。アップルも例外ではない。
最初のApple Watchでは“Edition”というサブブランドを付与した18Kゴールドケースをラインナップして驚かせた。その後、Editionはセラミックス成型のケースへと衣替えされたものの、“ケースの仕上げで差別化する”手法は、スマートウォッチの世界では難しいことを彼らも悟ることになる。
最初の2〜3世代でアップルは、Apple Watchを健康と運動習慣のためにカスタマイズしていくことで市場を拡大できると判断し、6世代目ではチタニウムケースの高級軽量モデルを用意するなどの挑戦もあったが、アルミニウムケースのモデルへと主力モデルは収斂してきた。
無論、ステンレススティールケースモデルの存在やエルメスとのコラボレーションモデルは無視できないものの、「誰もが受け入れやすい」「さまざまな角度」「切り口においてニュートラルな製品」というApple Watchの基本ハードウェアをそのままに、ブランドを作り上げることの難しさをアップル自身も感じていたのではないだろうか。
“Apple Watch選ばない”理由に気づいたアップル
本格的にランニングを極めたい、あるいはゴルフにハマっている、トレイルやハイキングなどアウトドアが好き。そんな人たちにもApple Watchは便利な機能を提供してくれるが、おそらく一定以上、ハマっている人ならばガーミンのウォッチが気になるだろう。
ランニング中心でも、もう少しフィットネス系に振れているか、あるいは体の疲労を考慮した数日単位のトレーニング計画を重視なんて人なら、僕はポラールを薦めるかもしれない。
スポーツウォッチの世界はジャンルごとに機能が特化しているため、“なんでもできる”スマートウォッチ、つまりTシャツにジーンズのような手軽な定番ウォッチであるApple Watchでは物足りない。
ガーミンが手掛けるゴルフ専用スマートウォッチ。GPSとマップデータを組み合わせてコース状況を伝えてくれたり、プレーの傾向や風の吹き方に応じて最適なクラブを選んでくれたりする。充電式リチウムイオン(USB接続方式)。スマートウォッチモードで最大約14日間、GPSモードで最大約20時間。セラミックス(直径47mm、厚さ14.8mm)。50m防水。8万1800円(税込み)。
いや、実際に物足りないかどうかといえば、大多数のユーザーにとってApple Watchで十分に必要な情報と機能が得られる。しかし、突き詰めたいと思うジャンルがある時、そこに“もっと上を目指したい”という気持ちは芽生えるものだ。
IWCがパイロットウォッチを生み出し、ブライトリングがクロノグラフと計算尺をさまざまなプロフェッショナルに機能を提供し、ブランパンがスクーバダイバーの健康を護るためのウォッチを開発し、それを一般ユーザーが求めることでブランド価値が生まれた。
アップルにとってビジネス面で最も大きな意味を持つ製品はApple Watch SEである。Apple Watch SEは年間の出荷本数が、最も多く出荷されるiPhone(iPhone SEシリーズ)よりも多い隠れたベストセラーだ。
しかし、その隠れたベストセラーの陰で「Apple Watchを買わない人たち」はなぜApple Watchを選ばないのか。それはラインナップが多くなったiPhoneシリーズの中で、決してiPhone SE、あるいはProではないiPhoneのナンバーシリーズを“買わない”顧客層と結びついている。