1786年、アブラアン-ルイ・ブレゲによって初めて時計製造に取り入れられたギヨシェ装飾。その技術はブレゲで代々守られ、今日まで受け継がれている。職人の技術継承のみならず、古いギヨシェ旋盤機の修復や新しいパターンの開発研究など、その方法はさまざまだ。
2023年1月25日掲載記事
アブラアン-ルイ・ブレゲが時計業界に持ち込んだ技術「ギヨシェ」
フランス・パリのヴァンドーム広場にあるブレゲのブティックの1階に、古い機械がある。それは、1820年製のギヨシェ旋盤。18世紀のブランド創設以来、美しい文字盤を作るために使われてきた、時計職人にはおなじみの道具だ。ギヨシェは、ブレゲの創始者であるアブラアン-ルイ・ブレゲが1786年に初めて時計業界に持ち込んだ技術だ。
スイスのジュウ湖に面した小さな村、ロリアンにある同社のメティエ・ダールに特化した工房では、約20名の職人がギヨシェ旋盤を使い作業を行っている。手掛けるのは古いモデルから最新モデル、特別に製造されたものまでさまざまだ。
柔らかな光に包まれたこの工房は、夏も冬も静けさの中にある。丁寧で精緻な作業風景は何世紀もの間変わらない。職人たちは機械に身をかがめ、手元の作業に集中する。工房には、機械を動かす音とかすかなカムの音だけが響いている。
話を進める前に、ギヨシェが機械を使って施される装飾であり、直線や湾曲などさまざまに素材を削り取ることで円または線を描き出すものだ、ということを確認しておこう。
平行または交差する「ギヨシュール」とも呼ばれる溝で、反復する装飾モチーフを作り上げるのである。この技術には機械が必要であるが、これを工業的手法と同列に扱うのは間違いだ。ギヨシェは全てを手動で制御しているという点で、職人技だと言える。
左手は機械のクランクを操り、右手は固定されたビュラン(彫刻刀)に添えられる。この繊細な作業を行うには、長い経験と熟練が必要なのだ。
ギヨシェの機能的特性
もともと、アブラアン-ルイ・ブレゲの関心はこの技術がもたらすケースの仕上がりや、感触の良さなどの外観にあった。
しかし、より彼を惹きつけたのはその機能的特性であった。ギヨシェ装飾によって、メインダイアルとスモールセコンド、パワーリザーブ表示などさまざまな表示を区別し、また反射を抑えることで文字盤の視認性が向上した。
やがて、ギヨシェ装飾を施すことはアブラアン-ルイ・ブレゲにとって非常に重要な意味を持つようになった。ギヨシェは、「ブレゲ・スタイル」の確立に貢献したと言っても過言ではない。
文字盤に生まれたコントラストは、当バロックスタイルの優美な針を採用することを可能とした。先端に肉抜きされた円形を備えたこの針は、現在「ブレゲ針」として知られており、大きな成功を収めたのである。
19世紀初めから、ブレゲはギヨシェ文字盤以上にエナメル文字盤に注力していた。しかし、同社はこの装飾技術を大切に保存し、メゾンを差別化するものとして認識していた。「スイスの手仕上げのギヨシェ」と記されたシルバー加工が施されたゴールド製のギヨシェ文字盤は、同社の現代コレクションの大多数に採用されている。
ギヨシェを守るためのプログラム
消えゆく傾向にあるこの伝統を守るため、ブレゲは時計業界に類のないプログラムを立ち上げている。
ブレゲは数年前から古いギヨシェ旋盤機を買い集めてきた。それらは社内で修復を行った後、世界中のブティックに送られ、教育用に使用されている。先に述べたように、最も古い1820年代のものは、パリのヴァンドーム広場6番地に設置されている。こちらは予約をすれば見学可能だ。
また、同社は新しいギヨシェ旋盤機も積極的に導入している。従来のものと同じ原理ではあるが、人間工学に基づき、採光条件に優れた顕微鏡を装備し、現在求められる高い基準をクリアした精度を備えている。
同社は現在、30台ほどのギヨシェ旋盤機を有している。真のエキスパートであるブレゲの職人たちは、これらの機械を使って「クル・ド・パリ」や「パニエ」「フラメ」など、多種多様なモチーフを作り出すことができる。
もちろんギヨシェは、既存のモチーフしか作り出せないわけではない。そのため工場には新しい技術を考案、提案するための研究製作用の工房が設立されている。「マリーン」コレクションで採用された「波」模様など、新たなモチーフも生み出されている。
もともとギヨシェは、木や象牙、柔らかい石、角やマザー・オブ・パールなどでできた、家具のパーツや小さな箱、ブラウスのボタンなどの装飾として使われていた。ギヨシェの歴史は16世紀に遡るとの話もあるが、その起源は不明である。
繊細で美しいこの装飾技術はすぐに広まった。宝飾分野では、18世紀に大きく発展している。
鏡の背面や化粧台、銀器などにギヨシェの繊細なモチーフが施された。ヴェルサイユ宮殿では、国王ルイ16世の弟であったアルトワ伯が自分のための旋盤を所有していたほどだ。
この状況において、アブラアン-ルイ・ブレゲはギヨシェに興味を持ち、時計作りにおける新しい可能性を見出したのであった。
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