F.P.ジュルヌの時計は、目の肥えた時計愛好家や時計コレクターから高い評価を受けている。その背後には、時計業界では他に類を見ない時計師の姿があった。
Edited by Kouki Doi (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2023年3月号掲載記事]
「複雑なものを作るのは簡単だが、シンプルなものを作るのは難しい」
F.P.ジュルヌの時計は非常に稀少なものだ。ジュネーブに本社を置く小さなブランドは、年間およそ900本の時計を生産し、ドイツではほとんど存在感を示していない。しかし、このブランドの背後には、時計における近年の歴史において、最も偉大で高く評価されている時計師が存在するのだから、このマニュファクチュールに注目する価値はあるだろう。
フランソワ- ポール・ジュルヌは、時計師やブランドの創業者という典型的なイメージには当てはまらない。スイス人ではなくフランス人の彼は、マルセイユで生まれ、14歳で時計師としての「修業」を始めたのである。彼は、大手メーカーやグループに就職することなく、早くから自らでビジネスを始めていた。1976年に修了したパリ時計学校への進学は、あくまでも手段であり、卒業は解放されたように感じたという。
77年、パリのサンジェルマン・デ・プレ地区で古い置き時計や掛け時計、懐中時計の修復を行う工房を経営していた、叔父のミシェル・ジュルヌの下で働き始め、その才能を開花させることになる。フランソワ-ポール・ジュルヌが機械式時計に魅了されたのは、スイスのいわゆる “クォーツショック” によって時計職人の仕事が失われつつある時期だった。アルプス山脈を越えた地域で何百もの時計メーカーやサプライヤーが閉鎖に追い込まれる中、この若きフランス人は78年に最初のトゥールビヨン製作に取り掛かり、約5年後にそれを完成させた。この頃、彼はすでに18世紀末から19世紀初頭の偉大な時計師たちに深く魅了されていたのだ。トゥールビヨンは、18世紀末から19世紀初頭にかけてアブラアン-ルイ・ブレゲ(1747-1823)によって開発された機構である。
8年間、叔父の下で学んだ後、フランソワ- ポール・ジュルヌはパリのヴェルヌイユ通りに自分の工房を構えた。1980年代後半はスウォッチが一世風靡した時代であり、機械式時計やコンプリケーションを集める時計コレクターはまだ少数であった。しかし、フランスでこの分野に熱心な人は、ミシェル・ジュルヌの工房を訪れて修理や修復の依頼をし、そしてすぐに時計師の才能のある甥に仕事が舞い込んでくるのだ。
修復作業だけではなく、複雑時計の開発を依頼されることも多くなった。ブレゲがマリー・アントワネットのために製作した有名な作品を参考にしながら、天文懐中時計やレトログラード表示の永久カレンダー、均時差表示、フュゼチェーン(円錐滑車による鎖引き)を使った定力装置、クロノメーター脱進機を備えた懐中時計など、数々の作品を生み出した。それ以来、彼の模範となる作品がすぐ側にあるという環境だったが、それらを単に再現するのではなく、細部に手を加え技術的に改善していたのである。
88年、フランソワ-ポール・ジュルヌは、懐中時計を置き時計にセットすると自動で時刻調節と巻き上げを行うブレゲの作品「サンパティーク」と同じ機能を持ったクロックを製作した。彼は、この作品について「この種の時計を最初に発明したのはアブラアン-ルイ・ブレゲだが、私の新たなバージョンは技術的にもっと複雑だ」と、彼らしい自信に満ちたコメントをしている。
スイスへの移住
89年、ジュルヌはさらに技術を磨くためにフランスを離れなければならないことを確信した。そしてスイスのサント・クロワにムーブメント製造会社を設立し、目の肥えた大手時計ブランドに秀逸なムーブメントを供給することになった。
この時期には、会社として初の腕時計も製作された。82年に開発した定力装置を用いたトゥールビヨンを搭載しており、これは99年に発表した「トゥールビヨン・スヴラン」のベースとなったモデルである。ジュルヌは94年、ラ・ショー・ド・フォンの国際時計博物館が時計製造技術における並外れた業績に対して贈る、時計界のノーベル賞とも称される「ガイア賞」を受賞している。この賞は後にミシェル・パルミジャーニ、フィリップ・デュフォー、ジョージ・ダニエルズなどの著名な時計師が受賞し、ついにスイスでも一流の時計師のひとりとして認められることになったのである。
99年の春に開催されたバーゼル・フェアで、ジュルヌは「F. P. Journe - Invenit etFecit」とサインしたクロノメーター時計を数点展示することに成功し、ついに障壁を突破したのだ。ラテン語で「発明し、製作した」と訳されるこの銘文は、18世紀、国王のために働くフランスの時計師がこの呼称を使うことを許されていたことを思い起こさせるものである。その反響は絶大で、これがF.P.ジュルヌのブランドとしての出発点となった。トゥールビヨン・スヴランは、脱進機を含むムーブメントのパーツに18Kゴールドを使用し、F.P.ジュルヌにとっての最初のマイルストーンとなったのである。
その1年後、代表作のひとつである「クロノメーター・レゾナンス」を開発した。香箱とテンプを備えたふたつの輪列を搭載し、ふたつのテンプが互いに触れることなく共振することで安定した影響を与え合い、高い精度を実現するというものだ。どちらの輪列も時刻を表示するサブダイアルがついているため、第2時間帯の表示にも対応している。そして2001年、F.P.ジュルヌは自動巻きムーブメントを搭載した「オクタ」を発表した。ここでも、彼は普通では物足りない。このムーブメントは約120時間という長時間のパワーリザーブを実現しているのだ。その後数年間は、さらに多くのマイルストーンが生み出されることになる。
F.P.ジュルヌのデザイン
フランソワ- ポール・ジュルヌは、18世紀と19世紀の時計職人の精神を出発点として、豊富な知識でそれらを改良し、21世紀の技術で現代的な時計に仕上げることに成功している。そのため、時計愛好家の間で常に注目を集めている。しかし、それと同じくらい重要なのは、ティアドロップ型の針や、フレームでネジ留めしたサブダイアル、「Invenit et Fecit」の文字など、彼の時計の特徴的なデザインである。2004年からはムーブメントのブリッジや地板にも18Kゴールドを使用するようになり、スポーツコレクションとエレガントコレクションを除くモデルにゴールド製ムーブメントが搭載されている。
2000年、ジュルヌはローヌ川の左岸に程近い、ジュネーブのダウンタウンにある古い工業用ビルに工房を移転した。02年に購入し、現在もブランドの本拠地としている。中に入ると、まず目に入るのが大きな天文振り子時計だ。1855年にフランスの時計師ドゥトゥシュが製作したものである。その奥の扉から、時計を製造している工房に入る。ここには大きな部屋はない。その代わりに、狭い廊下を歩いて進むと、左右のガラスの向こうにさまざまなアトリエが数階にわたって配置されている。F.P.ジュルヌは、歯車、ネジ、ホゾに至るまで、時計製造に必要なほとんどの部品を自社で生産しており、その製造分野の広さには目を見張るものがある。そのため、機能に合わせた独自のムーブメントを開発することが可能だ。
またケースと文字盤の製造については、ジュネーブ州の隣町メイランに程近い場所に「ボワティエ・ジュネーブ」(ケース製造)と「カドラニエ・ジュネーブ」(文字盤製造)という自社工場を所有している。ヒゲゼンマイ、穴石、サファイアクリスタルのみ、外部のサプライヤーから買い付けている。デザインやプロトタイプの製作、旋盤やCNCフライス盤でのムーブメント部品の製造、研磨、装飾――これらはすべて自社で行うことができ、工房内の時計師が組み立てや調整、装飾を行う。コート・ド・ジュネーブやペルラージュなどの装飾は、機械による作業は2割程度で、8割は手作業で行う。もちろん、個々の部品をはじめとするすべての時計は、肉眼はもちろん、カメラなどの機材を使って、常に細心の注意を払ってチェックされている。
小さな部屋がたくさんあることが功を奏して、各モデルに対して専用の部屋があり、すべての時計がひとりの時計師によってAからZまで製作されるのだ。この方法は、多くの時計ブランドでは通常、非常に複雑なコンプリケーション製作にのみ許されることである。時計師は、自身が組み立てを行う時計に対し、ある部品を少し大きくする必要があるか、小さくする必要があるか、あるいはハンマーにぴったり合うようにバネを少し削る必要があるかを確認する作業を行う。それから正確には、動作を確認するための1回目の組み立てを行い、再び分解した後、すべての部品の仕上げを終え、さらに2回目の組み立てを行って完成する。また、「クロノメーター・レゾナンス」のような複雑な時計では、最終的な品質チェックに数週間を要することもある。
ブランドとしての成長
このように、工業的な要素と職人の手による要素が混在している点も、他のブランドと異なる点である。そして、現在の状態を維持するために、フランソワ-ポール・ジュルヌは、自身のブランドをこれ以上大きくしないことを明言している。年産900本という数は意図したものであり、数を増やせばこの特殊な生産体制を維持することはできないのだ。
彼は、長い間会社の代表として成功を収めてきた。現在、会社の株式の20%をシャネルに売却している。しかし、同時に彼は今でも才能ある時計師でもある。ほぼ毎日工房で働き、今でも時計作りの現場にいるのが最も落ち着くという。彼はプロトタイプを製作する際、自らその時計を着用して作動確認や微調整を行っている。コレクションの中で最も複雑な「アストロノミック・スヴラン」は、2019年に発表され、定力装置付きのトゥールビヨン(ルモントワール・デガリテ)、ミニッツリピーター、ムーンフェイズ、均時差、日の出・日の入り時刻、恒星時、第2タイムゾーンの表示など、18の機能を兼ね備えており、このムーブメントは758個の部品で構成されている。95万スイスフランと、ブランドで最も高価な時計だ。同年に開催されたチャリティーオークション「オンリーウォッチ」に出品された、ブルー文字盤のユニークピースは、180万スイスフランで落札された。
しかし、フランソワ- ポール・ジュルヌの時計作りの精神は、少なくとも “エントリーモデル” である「クロノメーター・スヴラン」(3万8600スイスフラン)に強く表れている。時、分、スモールセコンド、パワーリザーブ表示を備えたこのモデルは、ふたつの香箱を備えているが、約50時間のパワーリザーブを確保することが第一ではなく、最大限トルクを安定させることが目的だ。このようなディテールへの配慮や、小さな腕時計の中にも偉大なものを生み出そうとする努力は、精巧なコンプリケーション以上に、フランソワ-ポール・ジュルヌという人間、そしてF.P.ジュルヌというブランドらしいと言えるかもしれない。そのため、彼はクロノメーター・スヴランを非常に気に入っている。「複雑なものを作るのは簡単だが、シンプルなものを作るのは難しい」と固く信じているからである。
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