日本から12人の人間国宝を主賓として招いて開催された2022年のホモ・ファーベル展。ヴァシュロン・コンスタンタンはルーヴル美術館と共に、この工芸展に一対のユニークピースを出展した。2針の薄型ミニッツリピーターを心臓部とすることで生まれたフラットなキャンバスに描かれたのは、日本の国宝である風神雷神図。エナメル細密画に特有な技法の壁を超越したその作風は、実に“琳派的”な解釈だ。
2022年のホモ・ファーベル展で披露されたメティエ・ダール作品。下地の彫金(沈み彫り)とエナメル細密画で仕上げられたダイアルは、国宝である「風神雷神図屏風」がモチーフ。リピーター作動用のスライダーには、バゲットカットルビーをセッティング。なおルーヴル美術館の額装工房が制作したオーク材の四面屏風も、本作とデザインを共有する。18KWGケース(直径41mm、厚さ8.44mm)。
Edited & Text by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2023年5月号掲載記事]
国宝「風神雷神図屏風」がモチーフの超薄型ミニッツリピーター
2022年4月にヴェネツィアで開催された「第2回ホモ・ファーベル展」。創造性を知性の本質と捉えるこの工芸展でヴァシュロン・コンスタンタンが披露したのは、レ・キャビノティエ(ユニークピース)の一作として製作された2本の超薄型ミニッツリピーターだった。今回は日本から12人の人間国宝(重要無形文化財保持者)も招かれ、共同出展者であるルーヴル美術館とヴァシュロン・コンスタンタンは彼らへの敬意の表れとして、ミニアチュール・エナメルの図案に極めて日本的なモチーフを選んだ。俵屋宗達の筆とされる京都・建仁寺の至宝「風神雷神図屏風」。しかしなんとも難しいテーマに挑んだものである。
2013年初出の薄型ミニッツリピーター。複雑系のムーブメントでは珍しい2針のシンプルな表示を持つため、メティエ・ダール的な表現には最適。36石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約65時間。
二曲一双で一対の屏風に仕立てられた本作は、紙本金地着色の肉筆画で、江戸初期(17世紀初頭)に描かれたとされるが、正確な制作時期は、宗達の生没年と同様に分かっていない。また京都の町絵師であった宗達は、真作と認められているものが極端に少ないことでも知られている。この風神雷神図にしても、後年宗達に私淑した琳派の祖、尾形光琳がそう認めたというだけである。
ヴァシュロン・コンスタンタンとルーヴル美術館では、風神雷神を日本神話の神と捉えているようだが、実際は日本仏教の守り神である天部で、二十八部衆と並べられた場合は千手観音の眷属ともされるが、いずれにしろ本来は古代インドの神だ。多くは鬼の姿で描かれるが、宗達が参考にしたと言われる鎌倉時代の「北野天神縁起絵巻」からは、かなり造形的な飛躍も見られる。本来は赤鬼と青鬼であるはずの姿は白と青(当時の緑)に描かれて、その理由も不明だ。そして何より重要なポイントだが、その筆致は極度にカリカチュアライズされており、重層的に釉の色味が溶け合うことで深みを増すエナメル細密画の技法に、ほぼベタ塗りの線画は馴染まないはずなのだ。
こうしたモチーフそのものが持つ難しさに対し、ヴァシュロン・コンスタンタンのメティエ・ダール部門は独自の解釈を施した。まずダイアルベースを18Kイエローゴールドで作り、そこにインタリオで不規則な格子柄を彫り込むことで、金箔装飾の雰囲気を再現。その上にフォンダン(透明な釉)を何度も重ねて表面をラッピングし、上絵付けの下地を作っているのだが、その際に雲のようなグラデーションを封じ込めている。この部分こそ、光琳が建仁寺の屏風絵を宗達の真筆と見抜いた根拠である「たらしこみ」の再現なのだが、偶然から生まれる墨のにじみを意図的にコントロールする技法を、エナメルで表現しようとした点が興味深い。
宗達や光琳、さらに後年の酒井抱一や鈴木其一といったキーパーソンたちの私淑によって発展してきた琳派には、流派としての決まった型や技法はなく、その真髄はデフォルメーションと大胆な構図に集約されるという。琳派の画風とは、その成り立ちからしてグラフィックデザイン的なのだ。こうした美術史的な背景を知れば知るほど、ヴァシュロン・コンスタンタンの仕掛けたメティエ・ダールの表現が一層際立ってくる。例えばケース全体に施された幾何学的なインタリオ(稲妻を表現した螺旋と、風で千切れた雲)は、肉筆のやまと絵とは馴染まないようでいて、実に琳派的なのである。単純な模写の域を超え、その解釈を飛躍させた本作は、まさしく琳派の後継者だろう。
広田ハカセの「ココがスゴイ!」
芸術的な技法にも冴えを見せるヴァシュロン・コンスタンタン。もっともらしいのは本作だろう。日本の意匠をスイスの技法で仕上げることにより、時計全体に非凡な統一感をもたらした。技巧よりも時計のまとまりを優先するのは、豊かな技術があればこそ。(広田雅将:本誌)
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