既存モデルをカスタマイズすることで、自分だけの逸品を作るパーソナライゼーション。自動車業界では古くから取り入れられていた試みながら、時計業界で本格的な盛り上がりを見せたのは、近年のことだ。各社の取り組みを探りながら、同サービスを通じて顧客が享受できるものとは何なのかを考えたい。
菅原茂、吉田拓生、細田雄人(本誌):取材・文
Text by Shigeru Sugawara, Takuo Yoshida, Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2023年5月号掲載記事]
Column:Bentley
100年続く、パーソナライズの規範
何をもって極上とするかの基準は人それぞれ。だが自らの好みを反映した“一点モノ”、つまりパーソナライズを価値基準の中核に据える考え方が一般的だろう。時計の世界に広がりつつあるパーソナライズ。その原点は自動車の分野にヒントを得ているとされることが多い。イギリスの高級車ベントレーのスタンスに、パーソナライズの原点を探ってみた。
オーダー、ビスポーク、オートクチュール、そしてパーソナライズ……。これらは全て「誂え」という日本語に置き換えることができるだろう。
イギリスの首都ロンドンはオトコにとって魅力的な街だ。サヴィル・ロウのヘンリープールで採寸を終えた後は“ロンドン・ロブ”で靴を、ダンヒルでパイプを、スウェインエドニーでアタッシェを誂え、仕上げにコンデュイット・ストリートにあるベントレーで1台仕立てる。かつて世界中の王侯貴族がロンドンを訪れ、最初にやることといえば「誂え」に他ならなかった。
時代は変わっても、「誂え」が今なおイギリスをもって究極とするという考えは変わらない。もちろんプロダクション化が究極といえるレベルまで進んだ自動車の分野でも、超がつく高級ブランドには誂えの伝統が残っているのである。
1919年創業のイギリスの老舗自動車ブランドであるベントレー・モーターズ。同社のショールームには内装に使われる革やウッドが、それこそ原材料レベルのサンプルとして常備されており、今日の一般的な自動車の枠を超えたオーダーが可能になっていることが理解できる。
今日のベントレーに継承されている「誂え」の原点は、顧客のちょっとした我がままではなく、自動車の誕生そのものへと行き着く。自動車の黎明期は全てのモデルが一点モノであり、注文主の用途や趣味性が反映されていた。また原初の自動車は、エンジンと車台を製作する自動車メーカーと、ボディを仕立てるコーチビルダー(彼らは古くは荷馬車を手掛けていた)とに分かれていたという事実も興味深い。ベントレーで車台を注文した後、顧客は好みのコーチビルダーを選んで、然るべきボディを架装させていたのである。
今日のベントレーの最上級仕様として用意されているマリナーデリバティブ。そのマリナーという名称は、世界最古のコーチビルダーの名前なのである。もともと別会社としてベントレーのボディを手掛けていたマリナーは職人集団としてベントレーに吸収され、世界に2台しかないエリザベス女王の愛車だったベントレー・ステート・リムジンを仕立て上げている。また2021年にわずか12台だけ製作され話題を呼んだベントレー・バカラルもマリナーが久しぶりにコーチビルドを手掛けた逸品だ。
何ごとも究極を追求すればパーソナライズに行き着く。その公式は今なお変わらないのである。(吉田拓生)
Case 2:Jacob & Co.
仕様変更に留まらないハイエンドパーソナライゼーション
アメリカの不動産王でカーコレクターとして有名なマニー・コシュビン氏。ブガッティとエルメスがコラボした世界に1台の車を所有するこの人物が、ジェイコブに特別な時計をオーダー。ブガッティ、エルメス、ジェイコブを融合した、まさに夢のようなパーソナライゼーションを実現させた時計だ。
1986年にジュエラーとしてニューヨークに創業し、2002年から時計業界に参入したジェイコブ・アンド・コー(以下ジェイコブ)は、当初からセレブや富豪向けのオーダーメイドも得意とし、レギュラーコレクションの場合もデザインや素材のバリエーションが実に豊富で、どれもユニークピースのように見える。そんなジェイコブは、19年にブガッティとパートナーシップを結び、翌年に新ライン「ブガッティ・シロン」を発表した。
これにさっそく注目したのがマニー・コシュビン氏。自身がブガッティに特注したシロンのワンオフモデル、「シロン・エルメス」に合わせて時計のパーソナライズをジェイコブに依頼したのだ。
ブガッティ・シロンのボディラインから着想を得た独特のケースデザインや、W16型のエンジンを模した構造と16のピストンが上下するアニメーションがクルマ好きに魅力的な「ブガッティ・シロン トゥールビヨン」には、チタン、18Kゴールド、チタン×ホワイトセラミックコーティングによるモデルに加え、サファイアクリスタルモデルや贅沢なジュエリーバージョンなども存在する。しかし、車との整合性を考慮して彼がベースモデルに選んだのは、チタン×ホワイトセラミックコーティングのモデルだった。
そこからデザイン決定までのジェイコブとのやりとりをコシュビン氏は動画で紹介している。まずケースのカラーは、所有車のシロン・エルメスと同じエルメスの独自色「クレ」だが、最初にジェイコブから上がってきたデザインの印象がいかにも地味なので、ブガッティらしいレッドのアクセントをリクエスト。
次に少し華やかさが欲しいと伝えたら、外装やムーブメントにゴールドを用いたデザインが届く。しかし、ゴールドを使用していないブガッティ・シロン・エルメスとイメージがかけ離れているので却下。
最終的には、ゴールドで彩るのはアニメーションが楽しいエンジンのピストン部のみへと落ち着いた。そして、ケースバックには車の内外装に用いられた、馬をモチーフにしたエルメスの模様をあしらった。もちろん、エルメス公認である。
コシュビン氏の例では、基本的にベースモデルの仕様変更になるが、ジェイコブではどんな要望にも応える用意があり、ムーブメントの製作を含む白紙状態からのオーダーにも対応する。
創業者ジェイコブ・アラボ自身「世界が見たことのない作品を作らせる」オーダー主のような存在で、それを実現する時計職人や宝飾職人の充実もブランドの特色である。ちなみに昨年の10月にオープンした日本の銀座ブティックからのオーダーも可能だという。(菅原茂)