スイスのジュウ渓谷に生まれたジャン・マリー・シャラーは、商社のシイベルヘグナーに勤め、ペルレを起こし、2004年にルイ・モネを立ち上げた。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2023年5月号掲載記事]
私は自分の人生を懸けて自分の時計を作りたかった
「私はジュウ渓谷に生まれた。何もなかったが、自然と時計の文化はあった。小さいときに、時計は製品ではなくパトリモニーであり、人生を懸けて自分の時計を作りたいと思ったよ」。彼がルイ・モネを始めたのは、まず副業としてだった。
ルイ・モネCEO兼クリエイティブディレクター。1959年、スイス生まれ。シイベルヘグナーでさまざまなブランドの復興に携わるだけでなく、ペルレを再興した。94年に同社CEO。後にコンサルタントなどを経て、2004年にルイ・モネを創業、CEOに就任した。12年に歴史的なクロノグラフを発見して以降、クロノグラフに傾倒したが、近年は、より幅を広げつつある。曰く「ルイ・モネはありきたりな時計を好まなかったに違いない」。
「フランク・ミュラーと仕事をしたとき、彼は純粋だったし、私も時計は純粋であるべきだと思った。パワーゲームは好きじゃないね。それで副業としてルイ・モネのビジネスをスタートさせた。上司の許可を得てね。離婚もしたし、お金もなかったが、幸せであること、時計を作ることは私の夢だった」。アドバイスをくれたのは、ダニエル・ロートであったらしい。
「彼はヒーローだったね。フランソワ・ボデがブレゲを再興する際、ロートを雇った。彼はその際、ルイ・モネのことを知った。ロートの独立後、彼と飛行機で東京に飛んだ。ワインを飲みながら、彼は言ったんだ。自分のブランドを持つべきだし、ルイ・モネこそがふさわしい、とね」
2012年に歴史的なクロノグラフを発見して以降、同社はクロノグラフに傾倒した。ルイ・モネがクロノグラフの発明者と言われていることを考えれば当然だろう。しかし、今のルイ・モネは、さらなる広がりを得ようとしている。
「私のゴールとは、新しいエモーションを加えること、そして職人技と時計作りを強調することだ。クロノグラフはもちろん重要だ。しかし、ルイ・モネのDNAとは、メカニカルワンダーとコズミックアートだと思っている。彼はクロノグラフと天文時計を得意としたからね」
なるほど、コズミックアートコレクションが生まれたのも納得だ。
今やルイ・モネは、クロノグラフにとらわれず、独自の時計を作り上げつつある。しかも、その「作風」は年々自由だ。何が変化のきっかけなのか?
「私は製品の方向性を限定したくない。ロレックスはシンプルだし、やることも決まっている。しかし私たちはそうではない。時計の要素で遊びたいのだよ。全く新しい、情熱とDNAを持ったものを作りたい」。彼はルイ・モネをこう評する。「ルイ・モネは時計師でもあり、アーティストだった。じゃあなぜメティエダールをやらないのか?」
クロノグラフの枠を超えて、自由な創作を広げるジャン・マリー・シャラー。なるほど今のルイ・モネが他にはない立ち位置を築いたのも納得ではないか。
ルイ・モネが1816年に製作したクロノグラフに触発されたモデル。前作に比べてケースサイズは6mm減となった。一見、古典的なモデルだが、完全なベゼルレスというのが、今のルイ・モネ風だ。自動巻き(Cal.LM84、コンセプトとの共同開発)。30石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約48時間。18KRGケース(直径40.7mm)。50m防水。世界限定28本(Tiは60本)。913万円(税込み)。
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