「カシオの時計事業にとって、また、自分にとって大きな転機は、G-SHOCKブームが完全に終わった2000年代初頭でしたね」と語ってくれたのは、4月1日付で創業家以外では初めて、カシオ計算機の社長CEO兼CHROに就任した増田裕一氏だ。氏はG-SHOCKの「育ての親」のひとりであり、1978年の入社以来、時計事業に一貫して関わってきた。
そして開発本部の時計統轄部長に就任した2003年、誰もが驚く「デジタルからアナログへ」という事業戦略の大転換を決行。同社の時計を世界でも唯一無二の存在に育て上げた最大の功労者だ。
渋谷ヤスヒト:取材・文 Text by Yasuhito Shibuya
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2023年7月号掲載記事]
アナログかスポーツか、どちらに進むべきか正直迷いました
第1次G-SHOCKブームは1997年頃を頂点に収束し、当時のカシオは時計事業の戦略変更、再構築を迫られていた。
「あのとき、時計事業をどの方向に進めるのか正直なところ迷いました。道はふたつありました。時計市場の約9割を占めるアナログウォッチか、それともスポーツウォッチか。結果的にアナログウォッチを選んで、それが正解だったわけですが」
カシオ計算機 社長CEO兼CHRO。1978年入社。以来、時計事業部でG-SHOCKなど同社の時計の企画開発に一貫して関わる。2006年6月から執行役員 開発本部 時計統轄部長。09年6月就任の取締役 時計事業部長などを経て、21年4月から専務執行役員 時計BU事業部長。23年4月より現職。「1990年代は『技術を売って』いました。でもそれでは飽きられて製品は長続きしません。『お客様にとって価値あるもの』を作る。そのために技術やマーケティング、流通の体制を育てることが大切だと考えています」。
「デジタルはカシオ」というかつてのテレビCMのコピーに象徴されるように、カシオはデジタルウォッチで時計事業に参入した歴史がある。また、当時のカシオにはアナログ時計に関する技術的な蓄積がないことを、開発部門出身の増田氏は誰よりもよく理解していた。そんな中でどうして「アナログへの道」を決断することができたのか。第1次ブームを目撃・取材していた筆者には、なぜそれができたのかが最大の疑問だった。
「正反対のポジションにあるスイスの伝統的な機械式時計とあえて比較して、そして考えたのが『超クロノグラフ』というコンセプトでした。つまり、電子技術だから実現できる、機能に合わせて針やディスクを自在に動かすことができる。持つ満足感ではなく、使う楽しさ、見る楽しさを追求することにしたんです」
このアナログ時計戦略が、G-SHOCKを筆頭に「他社にはない、唯一無二の価値を持つ時計を作る時計メーカー」へと大きく飛躍させることになった。
この戦略眼こそ増田氏の真骨頂だ。また、増田氏は時計事業部で若い社員でも「自由にものが言える」雰囲気を大事にしてきた。
1983年4月、時計の世界に「タフウォッチ」というまったく新しいジャンルを創造したG-SHOCK。そのファーストモデル「DW-5000C」を、最上級ライン「MR-G」用に作り直したプレミアムモデルだ。ベゼルだけでも25個もの部品を使う専用ケースには、最高峰のチタン素材が、徹底した研磨などを駆使して使用される。水墨画や書に用いられる「青墨」をモチーフに、ベゼルパーツやバンドのピンにブルーIDがアクセントとして施される。タフソーラー。フル充電時約22カ月(パワーセーブ時)。64Ti×コバリオン×DAT55Gケース(縦49.4×横43.2mm)。20気圧防水。46万2000円(税込み)。
「企画部門とはこれからも対等に話すつもりですし、社内全体でも、より自由闊達な雰囲気をつくって、社員と未来へのビジョンを共有し、社員の成長を通じて会社を発展させたいのです。時計以外の事業でも、G-SHOCKのようなお客様にとって魅力的なブランド、新しい軸をつくっていきます」。時計はもちろん、その他の事業でどんな新戦略が始まるのか。今後も期待は高まるばかりだ。
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