誕生から30年の年月を重ねたIWCの「ポートフィノ」。イタリアの港町の名を冠するこのコレクションが生まれたのは、あくまで偶然の重なりからだった。懐中時計用のムーブメントを腕時計にも転用する。こうしたアイデアに端を発する誕生の経緯とその発展、そして薄型コンプリケーションのベースとしても成功を収めた現在のポートフィノの姿を詳らかにしたい。

ポートフィノ

星武志:写真 Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
広田雅将(本誌):文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2024年1月号掲載記事]


偶然が産み落としたアイコン、その変遷

懐中時計を腕時計にするというアイデアから生まれたポートフィノ。誕生のきっかけは、あくまで偶然の重なりからだった。しかし、ベーシックなRef.3513のヒットにより、このコレクションは、やがてIWCの屋台骨を支えるようになる。その起こりと以降の変化を、関係者たちのコメントと共に振り返りたい。

ポートフィノ・ハンドワインド・ムーンフェイズ

ポートフィノ・ハンドワインド・ムーンフェイズ
Ref.5251。1984年発表。懐中時計用のCal.9521にクルト・クラウス設計のモジュールを加えたモデル。デザインはダ・ヴィンチも手掛けたハノ・ブルチャー。手巻き(Cal.952+モジュール)。19石。1万8000振動/時。18KYGケース(直径46mm)。参考商品。

 1973年に過去最高の出荷本数を記録したIWC。しかし、クォーツの普及とスイスフラン高、加えて金価格の高騰により、たちまち経営は悪化した。当時、IWCでセールス責任者を務めたハネス・パントリはこう語ったことがある。

「その当時の(IWCの)財務責任者からは、毎月20日までに20万スイスフランの売り上げを持ち帰らなければ、正式に廃業すると言われましたよ」

 もっともIWCは、経営の悪化に対して、決して無策ではなかった。取り組みのひとつは、スポーツウォッチというジャンルへの参入だった。ジェラルド・ジェンタのデザインを持つ「インヂュニア SL」は商業的には成功を収めなかったものの、そのアイデアは、やがてポルシェデザインとのコラボレーションに結実した。もうひとつは懐中時計へのシフトである。1970年代の末期になると、IWCの経営陣は、腕時計の製造を中止し、懐中時計の専業メーカーとしての存続を真剣に考えるようになった。この時代に、自社製ムーブメントの金型が破棄され、多くの設計者がIWCを離れていったのは、本誌でも再三述べてきた通りだ。

 残されたのは、大量の懐中時計用ムーブメントだった。設計者のクルト・クラウスは、オールドストックのIWC製ムーブメントに、カレンダーやムーンフェイズのモジュールを加えることで、古めかしい懐中時計を、美術品に仕立て直そうと考えた。そんなクラウスと、シャフハウゼンのレストランで出会ったのが、IWCのデザイン主任を務めていたハノ・ブルチャーだった。

 ふたりは、ムーンフェイズを搭載した懐中時計を腕時計に改めたら面白いのではないかという話題になり、ブルチャーはナプキンの上に簡単なスケッチを記したという。懐中時計のラウンドケースに、簡素なラグを取り付けるというアイデアは、1984年の「Ref.5251」に結実した。このモデルが、ポートフィノの直接の祖となった。

 この5251を売り込んだのが、パントリだった。彼はテスト市場としてドイツを選び、5つの主要小売店を回ったが、しかし、まったく相手にされなかったと述懐する。結果として、このモデルは約100本で製造が打ち切られることとなった。今でこそこの「ジャイアント・ポートフィノ」は、IWCファンにとっての〝聖槍〞だ。しかし、直径46mmという巨大なケースは、1980年代のトレンドからは明らかにかけ離れていた。一貫してビッグウォッチを好んできたドイツ市場も、その例外ではなかったのである。

 もっともIWCも、直径46mmの腕時計が普段使いできるとは考えていなかったようだ。Ref.5251と直径34mmの小さなモデルをセットで販売したとIWCは説明する。曰く、「小さなゴールドを身に着ける日々の楽しみ、IWC ポートフィノ・シリーズ」。

ポートフィノ・クロノグラフ・クォーツ

ポートフィノ・クロノグラフ・クォーツ
Ref.3731。1980~90年代にかけて、IWCはジャガー・ルクルトのメカクォーツを好んで用いた。そのひとつが本作。クラシカルを強調した最初期のモデルだけあって、日付表示はポインターデイトだ。クォーツ(Cal.631)。18KYGケース(直径35mm)。参考商品。

 1970年代初頭に入社したハネス・パントリは、この時代のIWCを支えるキーパーソンだった。彼はアジアや中東に直接時計を売っただけでなく、さまざまなプロジェクトに携わった。インヂュニア SL、ポルシェデザイン、そしてポルトギーゼとポートフィノコレクション。筆者は彼に、なぜポートフィノという名称を付けたのかと尋ねたことがある。「当時のイタリア市場は大きかった。そこで私はイタリアにちなんだ3つのコレクションを立ち上げた。アマルフィ(クロノグラフ)、ヴェネチア(トノー型)、そしてポートフィノ(ラウンドケース)だ。最初のふたつは売れなかったが、ポートフィノは残った」。

 もっとも、ポートフィノを製品化するには、まだハードルがあった。1984年にIWCの経営に参画したギュンター・ブリュームラインは、ベーシックなドレスウォッチにまったく興味を示さなかったのである。無駄なラインナップを整理し、アイコンとなるモデルに注力しようと考える彼にとって、シンプルでエレガントな時計は、リソースの無駄使いにしか思えなかったのだろう。ブリュームラインがIWCに求めていたのは、エレガントと言うよりも、タフでモダンなツールウォッチだったのである。

 もっとも、ポートフィノの成功を受けて、やがてブリュームラインは方針を転換することになったようだ。後に彼はIWCだけでなく、ジャガー・ルクルトの全権も掌握するようになる。ブリュームラインが定めたアイコンは、唯一無二の「レベルソ」と、そのコンプリケーションだった。しかし、後にはベーシックな3針モデルの開発にゴーサインを出したのである。かくして誕生したのが、92年の「マスター・コントロールシリーズ」だった。あくまで伝聞だが、ポートフィノの成功がブリュームラインの認識を変えたというのは、十分ありうる話だ。

 閑話休題。1980年代に登場した当初のポートフィノは、ジャガー・ルクルトのメカクォーツなどを載せた、純然たるハイエンドモデルだった。しかし、IWCは、ポートフィノコレクションの拡充を決めた。新しいモデルでは、ケース素材にSSも追加されただけでなく、ムーブメントには、ETA2892A2の改良版が採用されたのである。

 ここからは筆者の推測だ。IWCはポルシェデザインとのコラボレーションモデルに、ETA製の自動巻きを搭載していた。もっとも、ムーブメントに機械式が選ばれたのは、IWC側というよりも、デザイナーであるフェルディナント・ポルシェの強い意向だった。メカニカルを使うことをコラボレーションの条件に挙げたポルシェの意向を、IWCは無視できなかったのである。以降IWCはETA製エボーシュに対するノウハウを蓄積していったが、それでもなお、IWCの名を冠したモデルへの採用には距離を置き続けた。機械式モデルのエボーシュはあくまでもジャガー・ルクルト。ETAは複雑時計のベースというのが、1980年代のIWCのスタンスだったのである。

 しかしIWCは、ポートフィノを皮切りに、ETA製エボーシュの大々的な採用に踏み切った。最大の理由はコストだろう。かつて、ギュンター・ブリュームラインは、オーストリアのジャーナリストであるアレクサンダー・リンツにこう明言した。「ムーブメントの価格がケースより高いというのはあり得ない」。結果として生まれたポートフィノの自動巻きモデルは、ETA製エボーシュ(といってもIWCの基準でチューニングされたもの)を、シンプルな2ピースケースでくるんだモデルとなった。ケースバックがねじ込みでなくネジ留めなのは、ケースを薄く見せるため。しかし、本当の理由は、ムーブメントに同じく、製造コストを下げるためではなかったか。事実、彼は関係者に対して、こう語ったという。「他社と同じ機構ならば価格は安く。同じ価格なら機構を増やす」。ちなみにIWCは1990年代後半、同社に成功をもたらしたポルシェデザインとのコラボレーションを解消した。理由はさまざまだが、そのひとつに、あまりにも高すぎる製造コストがあった、と言われている。後継機のGSTコレクションが、ポルシェデザインに比べて簡潔なブレスレットを持っていたことを考えれば、当たらずとも遠からずではないか。

ポートフィノ・ハンドワインド

ポートフィノ・ハンドワインド
Ref.2008。ジャガー・ルクルト製の極薄手巻きを搭載した本作は、ポートフィノの最高傑作。1993年から2005年にかけて製造された。非防水ケース。手巻き(Cal.849/H)。19石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約38時間。18KYGケース(直径32mm)。参考商品。

 おそらくブリュームラインは、シンプルなポートフィノがヒットするとは予想もしていなかったのだろう。製造コストを抑えた初代モデルの構成からは、彼のそんな気分が透けて見える。とはいえ、鍛造で打ち抜かれ、丁寧に研磨されたケースは当時の基準からするとかなり良質であり、磨き上げたラッカー仕上げの文字盤と相まって、価格以上の高級感をもたらした。結果として、自動巻きムーブメントを載せたポートフィノは、ヨーロッパはもちろん、新しく門戸を開いた日本市場でも大ヒット作となったのである。エレガントなモデルは必要だ、というパントリの声に押されてレギュラー化されたポートフィノだったが、このモデルの成功により、IWCは総合時計メーカーに脱皮できた、と言えるのではないか。

 関係者の予想を超えて、IWCの屋台骨を支えるようになったポートフィノ。しかし、90年代後半に入ると、さすがに古さは隠しきれなくなっていた。直径34mmというケースは、ビッグケースを求める若い世代に訴求できなかったし、磨き上げたラッカー文字盤も、90年代後半には、すでにオールドファッションになっていた。

 この時期、偉大なギュンター・ブリュームラインの後を継いだのが、後にリシュモングループの時計部門を牽引するようになったジョージ・カーン(現ブライトリングCEO)であった。2002年にIWCのCEOとなった彼は、基幹コレクションを定め、定期的にモデルチェンジを加えるというアイデアを打ち出した。彼が初めて取り組んだのが、ポートフィノの刷新である。2003年に発表されたRef.3533は、デザインこそRef.3513に似ていたが、ケースサイズが38mmに拡大されたほか、文字盤も丈夫で質感の高いメッキ仕上げに改められた。

 1990年代から2000年にかけて、一大コレクションとなったポートフィノ。しかし、2000年代に入ると、ベーシックで薄いドレスウォッチという立ち位置が強化されるようになった。方針が変わった理由は、2000年に発表された「ポルトギーゼ」にある。IWC(とギュンター・ブリュームライン)は、ポートフィノに集中していたドレスウォッチを分け、屈強な自社製ムーブメントを搭載するポルトギーゼをハイエンドに据えようと考えたのである。トルクが強く、パワーリザーブの長い自社製自動巻きは、コンプリケーションを加えるにはうってつけだ。となると、すでに存在するポートフィノは、薄さという原点に立ち返るほかない。

ポートフィノ・パーペチュアル・カレンダー、ポートフィノ・ロマーナ・パーペチュアル・カレンダー

(右)ポートフィノ・パーペチュアル・カレンダー
Ref.3541。1990年代前半発表。Ref.3513のデザインに永久カレンダーを加えたモデル。気密性を高めるためか、ねじ込み式裏蓋が採用された。ETA2892A2の改良版を搭載。(Cal.37581または37582)。39石。2万8800振動/時。18KYGケース(直径36mm)。参考商品。
(左)ポートフィノ・ロマーナ・パーペチュアル・カレンダー
Ref.2050。ジャガー・ルクルトのCal.849にIWCのパーペチュアルモジュールを重ねた極薄時計。本作は、当時世界最薄の永久カレンダーだった。1995年から2001年にかけて製造。非防水。手巻き(Cal.18561)。18KYGケース(直径36mm)。参考商品。

 ポルトギーゼとの違いを明確にしたのが、2008年の「ヴィンテージコレクション ポートフィノ・ムーンフェイズ」だろう。搭載するのは、懐中時計用のCal.98系を、ジョーンズキャリバー風に改めたCal.98800。その見た目と、直径46mmというサイズは、ポートフィノの祖であるRef.5251を忠実に再現したものだった。以降ポートフィノは、薄いドレスウォッチとして、明快な立ち位置を得たのである。ちなみにこれに先立つ07年、「ポートフィノ・オートマティック」はケースサイズを39mmに拡大し、併せてケースデザインも変更。ラグやインデックスがよりシャープになったのは、ポルトギーゼとの違いをより強めるためだろう。

 数年ごとのモデルチェンジにより、常にアップデートされるようになったポートフィノ。しかし、モデルチェンジは必ずしもプラスとは限らなかった。例えば、かつてはインデックスに届いていた針が寸詰まりになるなど、ポートフィノを価格以上に見せていたディテール感がやや損なわれたのである。

 てこ入れが行われたのは、2011年発表のRef.IW3565からだ。長年、ジョージ・カーンの下でデザイナーを務めていたギィ・ボヴェが退社し、代わりにクリスチャン・クヌープがIWCのデザインを統括するようになったのである。彼は時計業界の出身ではなかったものの、熟練したインダストリアルデザイナーとして、ポートフィノの見直しに取り組んだ。秒針や時針の先端は文字盤に向けて曲げられるようになり、文字盤も、より高価格帯の時計に見られる、荒らしたオパーリン仕上げに変更された。また、前作では誇張されたラグは短くされ、直径が拡大したにもかかわらず、時計としてはコンパクトになった。本作が示したのは、価格以上の高級感で訴求した、Ref.3513への回帰だったのである。

 本作でデザインや一部モデルのカラーリングがソフトに改められたのは、ジョージ・カーンが女性向けの展開を意識したためだった。事実、2011年の時計見本市「SIHH」(現ウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ)で打ち出されたのは、「男のための時計」ではなく、「ドルチェ・ヴィータ」(甘い生活)というキャッチフレーズだったのである。

 しかしながら、直径40mmというサイズは、女性顧客にとっては大き過ぎたようだ。対してIWCは、14年に直径37mmの「ポートフィノ・オートマティック37」(発表当時はポートフィノ・ミッドサイズ)を追加。19年にはさらに小さい「ポートフィノ・オートマティック34」をリリースした。ジャーナリストのアレクサンダー・リンツが「IWCがパラダイムシフトを起こした。過去にIWCがレディースウォッチも製造していたことに敬意を表するとしても、私も含めて、(女性用のポートフィノは)予想外のことだった」と語ったように、第3世代のポートフィノは、大きく裾野を広げたのである。

 ちなみに、ポルトギーゼは自社製、ポートフィノはエボーシュという区分が、かつては存在した。しかし、IWCがさまざまなムーブメントを開発するようになると、ネジ留めの裏蓋でケースを薄くできるポートフィノのメリットが、改めて見直されるようになった。自社製ムーブメントを載せたポートフィノの先駆けが、11年の「ポートフィノ・ハンドワインド・エイトデイズ」だ。以降のポートフィノは、女性用とコンプリケーションという両輪で拡大することとなってゆく。



Contact info: IWC Tel.0120-05-1868


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