2001年にスタートし、03年から本格始動したパノコレクション。これは、ニッチな小メーカーから、ドイツを代表する時計メーカーに脱皮を図ろうする、グラスヒュッテ・オリジナルの意志が結実したコレクションだった。加えて、大きなムーブメントとオフセットされたレイアウトは、パノに、かつてない将来性をもたらすことになる。
広田雅将(本誌):文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2024年7月号掲載記事]
ドイツ時計らしいデザインとは何か?
~グラスヒュッテ・オリジナルがオフセットデザインに至った理由~
発表以来、しばしば他社の文字盤に似ていると言われてきたパノマティックルナ。意識したのは事実だろう。しかし、同社の歴史を振り返ると、オフセットデザインの選択は、必然であったように思える。スイス時計にはないムーブメントを求めた同社は、その帰結として、他にはないレイアウトのムーブメントに到達したのである。
余談から始めたい。グラスヒュッテ・オリジナルの前身は、旧東ドイツの国営企業だったGUB(グラスヒュッテ・ウーレン・ベトリーブ)である。1990年の東西ドイツの再統一により、GUBは民営化を模索。フランス・エボーシュと共同で経営を立て直そうと試みたが、その経営はドイツ政府が設立した信託機関の下にあった。
民営化を推し進める信託機関にコンタクトを取ったのは、起業家のハインツ・W・ファイファーである。X線システムのビジネスで成功を収めた彼は「東側の再建を手伝いたいと思っていた。そのための最良の方法は、趣味(である時計)を職業にすることだった」(『マネージャーマガジン』誌/2003年4月の記事より)。
ファイファーはニュルンベルクの宝石商であるアルフレッド・ヴァルナーと共同で、信託機関からGUBを買収し、ブランド名をグラスヒュッテ・オリジナルと改めた。彼が目指したのは、マニュファクチュールである旧GUBの製造プロセスを残しつつも、ラグジュアリーな時計メーカーとすることだった。彼がイメージしたのはスイスとは違うラグジュアリーメーカーだった。「私たちはグラマラスなラグジュアリーと機能的なラグジュアリーを区別しています。ラテン諸国では、グラマラスなものが好まれます。そして機能的なラグジュアリーはポルシェですね」。
そんなファイファーはデザインにも明確な哲学を持っていた。「日本人にメイド・イン・ドイツとは何かと尋ねたら、メルセデス・ベンツと答えるでしょう。メルセデスは刺激的なスタイルを持っていませんが、3つの特徴があります。それは 動くこと、動くこと、そして動くこと」。機能的なラグジュアリーを定義する彼は、グラスヒュッテ・オリジナルのデザインに、いくつかの原則を盛り込んだ。時計が薄くないこと。高い視認性を持つこと、そして適度な重みを持ち、着け心地のよいこと。もっともグラスヒュッテ・オリジナルをドイツのラグジュアリーに育てようと考えたファイファーは、サプライヤーの不足に直面することになった。彼は、戦略的提携を選ばざるを得なくなり、同社の株を、スウォッチ グループに売却した。
ハイエック・シニアの下でCEOに抜擢されたのが、A.ランゲ&ゾーネにいたフランク・ミュラー博士である。まずはディレクター、続く2002年にCEOとなった彼は、ファイファーの協力を受けて組織を改め、さまざまなコレクションを作り出した。そのひとつが、この「パノシリーズ」である。
ちなみに初のパノと呼べるのは、30分フライバッククロノとチャイミング機構を併せた「パノ レトログラフ」である。オフセットされたレイアウトは、A.ランゲ&ゾーネ「ランゲ1」の影響を感じさせたが、ムーブメントはより複雑で巧妙だった。
2003年、彼は時計専門のウェブサイトである『タイムゾーン』のインタビューで率直にインタビューを受けている。競合メーカーに倣ったようなスタイリングだと批判されているが、どう思うのかと。彼の答えは明快だった。「カール・ベンツが1886年に発表した最初のモデル以降に登場した自動車は、すべてその派生モデルですよ」。もっとも、複雑系に限って言えば、この時代のグラスヒュッテ・オリジナルはほとんどがオフセットされたレイアウトの文字盤を持っており、2006年のカタログでは、36モデル中15モデルがそうだったのである。多くの人は忘れているが、その極みは、パノシリーズの派生形としてリリースされた「パノマティッククロノ」だろう。6時位置に時分針を、12時位置にクロノを、そして10時位置と2時位置にそれぞれ秒針と30分積算計を持つ本作は、オフセットに執心したこの時代のグラスヒュッテ・オリジナルを象徴するモデルと言える。
背景にはファイファーの明確な方針があった。彼の下で2000年までムーブメント開発の責任者を務めたジークフリート・ヴァイスバッハは『ウーレンマガジン』誌のインタビューでこう語っている。「私たちは改良されたスイス製ムーブメントを使うのではなく、正真のグラスヒュッテ時計を作らなければならなかった。そこで全くの白紙からムーブメントを起こした」。機構を加えた帰結として、オフセットレイアウトを選んだグラスヒュッテ・オリジナルのムーブメント。そのひとつが、パノだったのである。
もっとも、グラスヒュッテ・オリジナルの成熟(あるいは認知度の向上)に伴い、同社は年々、オフセットされたレイアウトを減らしていった。ムーンディスクの配置をずらすといった手法は今なお残っているが、明らかにオフセットされたレイアウトとして残ったのは、パノのみである。
さまざまな理由からこの形に至ったパノ。これがひとつの、ドイツ時計のデザインとして定着したのは紛れもない事実なのである。
PANO MATIC CALENDAR
スタイルキープで高機能を付加する試み
2022年初出。月表示を加えただけに見えるが、操作の簡単なアニュアルカレンダーを加えた大作だ。性能も大きく進化した。自動巻き(Cal.92-09)。53石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約100時間。18KRGケース(直径42mm、厚さ12.4mm)。5気圧防水。447万7000円(税込み)。
事実上、2003年に始まったパノコレクション。毎年のように新作を追加できた理由は、自社で設計・製造されるムーブメントにあった。大きなサイズと、オフセットされた輪列配置は、付加機構を加えるための余白をムーブメントにもたらしたのである。
その好例が、22年に発表された「パノマティック カレンダー」だ。一見、パノマティックルナにレトログラード式の月表示を加えただけだが、実は2月末以外の日付調整が不要なアニュアルカレンダー。その設計は巧妙で、4時位置のパノラマデイトディスクに噛み合うように月を司る月車を置き、月の切り替わりに応じて、巨大なパノラマデイトを早送りする。理論上、重いパノラマデイトを早送りするとカレンダー機構には負荷がかかる。対してグラスヒュッテ・オリジナルは月車に直径0.5mmの硬化鋼製のボールベアリングを38個も埋め込むことで抵抗を大きく減らした。ムーブメントに余白のあるパノならではのコンプリケーションであり、マニュファクチュールとしての成熟を感じさせる機構とも言えるだろう。
またCal.92-09(プラチナ版は92-10)は実用性も優れている。ベースとなったのは既存のCal.90系。しかし、パワーリザーブが約100時間と倍以上に延びたほか、ヒゲゼンマイも非磁性のシリコンに改められた。使い勝手も良好である。アニュアルカレンダーにもかかわらず、リュウズを1段引いて12時方向に回すと日付の、6時方向に回すと月の早送りが可能なのである。
そしてレトログラード式の月表示を加えたアニュアルカレンダーにもかかわらず、ケースの厚みは、パノマティックルナよりも薄い12.4mm。これはパノコレクションというよりも、グラスヒュッテ・オリジナルを代表する傑作だ。
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