1998年に始まり、2008年に終売となった「コレクション プリヴェ カルティエ パリ」。過去の傑作に範を取り、贅を尽くしたそのコレクションは、今思えば、時代を先駆けすぎていたのかもしれない。しかしカルティエは、2017年の「カルティエ プリヴェ」で過去作のリバイバルに取り組むようになった。
広田雅将(本誌):文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2024年9月号掲載記事]
[CPCPからカルティエ プリヴェへの変化]
完全復刻の手法から新しさを加えたコレクションへ
CPCPの再来と言われる「カルティエ プリヴェ」。しかし、マニュファクチュール化を果たしたカルティエは、かつてとは比較にならないほど、時計メーカーとしての基礎体力を高めた。そんな同社が、過去作の焼き直しを選ばなかったのは当然だろう。プリヴェの進化が示すのは、カルティエの底力である。
カルティエ プリヴェ復活の先駆けとなったのが、2015年の「クラッシュ スケルトン ウォッチ」である。15年にはPt版、16年には18KRG版、17年にはPtに貴石をセットしたモデルがリリースされた。左は通称「ロンドン・クラッシュ」をほぼ忠実に再現した2019年の限定版である。翌年にはPt版も追加された。
今や世界的なコレクターズアイテムになった「カルティエ プリヴェ」。カルティエ本社の関係者は筆者にこうもらした。「まさかプリヴェが売れるとは思わなかったよ」。過去の経緯を考えれば、こうしたコメントが出るのは当然かもしれない。
プリヴェの前身にあたるのが、1998年に発表された「コレクション プリヴェ カルティエ パリ」(以降CPCP)だ。新しくCEOに就任したベルナール・フォーナスは、前任者のアラン= ドミニク・ペランが導入した高級ラインを拡充しようと考えたのである。
コレクション プリヴェ カルティエ パリは極め付きに凝ったモデルだった。搭載するムーブメントは、ピアジェ、ジャガー・ルクルト、ジェラルド・ジェンタ、THA、フレデリック・ピゲといった一流のメーカーから提供され、文字盤には銀メッキを施した18Kゴールドが採用された。加えて後年には、バラの模様をあしらった本物のギヨシェが施された。
公式にはプリヴェの2作目となるのが「タンク サントレ」である。スケルトンモデルの発表は2017年、レギュラーモデルは翌18年のこと。21年にはデザインをより古典に振った限定版も追加された。サントレが復活できた理由は自社製のケースにある。加工精度を高めることで、ケースには風防を支える段がほとんど見えない。
カルティエは、この極めてハイエンドなコレクションを、さらにエクスクルーシブにしようと考えた。カルティエの研究家であるジョージ・クラマーは、限定版の生産数は100本未満、レギュラーでさえ250〜300本を超えることはなかったと語る。しかもカルティエは、さらにカタログにも載らない限定版も生産したのである。今ならば世界的なホットアイテムとなることは間違いない。
しかしインターネットのない当時、CPCPとは極めてニッチなコレクションだったし、事実、数年前まで、新品のCPCPを入手することは決して難しくなかったのである。そう考えれば、自社製ムーブメントへのフォーカスを決めたカルティエが、いち早くCPCPをディスコンにしたのは当然だろう。
以降のカルティエは自社製ムーブメントを打ち出し、コンプリケーションの「オート オルロジュリー コレクション」に舵を切り直した。筆者はこの時期のカルティエを高く評価するが、もちろん異論も多かった。例えばニック・フォークス。彼は『フォーブス』誌上で「カルティエはこの複雑化の狂気に巻き込まれていた。技術的には印象的だが、カルティエらしいのか?」と強い疑念を呈している。
カルティエ プリヴェの方向性を決定付けたのが2019年の「トノー」である。ケースの造形はCPCP時代のトノーにほぼ同じ。ディテールも古典に寄せられた。しかしデカルクによるシルバーのインデックスは立体的に仕上げられた。右は縦長のケースを生かした2タイムゾーン。カルティエのお家芸となったスケルトンが採用される。
再び揺り戻しが起こったのは2016年のこと。カルティエのCEOとなったシリル・ヴィニュロンはオート オルロジュリー コレクションへの注力をやめ、デザインへと回帰したのである。後に彼はこう述べた。「私がCEOになった7年前、カルティエはたくさんの新製品を出していました。しかし、消費者たちは、新製品というだけではなく、特徴のあるものを求めていることを知ったのです。ジュエリーも同様ですね。ですから、カルティエの特徴的なコレクションに回帰することが重要と考えたのです」。彼の言う特徴的なコレクションとは、つまり古典をリバイバルさせた、CPCPの復活だった。
もっともカルティエは、復刻という試みには極めて慎重だった。最初に選ばれたのは、オークションでも驚くような価格で落札され、2015年と16年の新作としても人気を博した「クラッシュ」。うがった見方をすると、カルティエは新しいプリヴェを、確実に成功するコレクションとして始めたわけだ。続く「タンク サントレ」と「トノー」も、アイコニックなだけでなく、やはりオークションで人気を集めた時計である。
CPCPで復活した「タンク アシメトリック」が、2020年のプリヴェでもリバイバルした。もっとも、デザインの範となったのは、1996年版ではなく、36年のオリジナル。おそらくは製法上の問題で再現できなかったストラップの固定バーが採用されている。右はカルティエらしいスケルトンモデルだ。この頃から古典味が強まった。
ちなみに筆者の実感を言えば、カルティエがプリヴェの存在を打ち出すようになったのは、17年ではなく19年である。ニック・フォークスもこの年の1月、『フォーブス』誌にこう記している。「昨年明らかな変化があった。CEOのシリル・ヴィニュロンが、カルティエ・サントスをリブートする時期が来たと判断したのである。(新しいプリヴェには)毎年、20世紀初頭から中頃にかけて作られた最も革新的なデザインのモデルが、かつてのカタログから選ばれる」。
2015〜16年にかけて、コレクターたちの大きな話題となった「クラッシュ」のスケルトン。おそらくはそのヒットに影響されて、同社はプリヴェをCPCPの焼き直しにはしなかった。オリジナルとの継続性を持たせつつもデザインはモダナイズされ、同社の技術力を示すように、スケルトンを初めとするユニークなムーブメントが追加されたのである。可能にしたのは、マニュファクチュールとしての成熟だった。
2021年に復活したのが、テーブルクロックとしても使える「クロシュ ドゥ カルティエ」だ。初出は1921年。1984年と95年に復活し、2007年にはCPCPでリリースされた。デザインはかつてのものを踏襲するが、わずかにボクシーになっている。また自社製のケースは面の歪みが小さく、高級機然とした仕上がりをもたらした。
2001年にカルティエはラ・ショー・ド・フォンに工場を落成。以降は時間をかけて、ケースやムーブメントの内製化を推し進めていった。これ以前のカルティエは、グループ内の組み立て工場こそあったものの、部品を外部から購入するエタブリスールだった。しかし、モジュールの内製化に始まったマニュファクチュール化は、時計メーカーとしてのカルティエの底力を大きく変えたのである。こういった変化が、プリヴェに反映されたのは言うまでもない。カルティエは、ケースやムーブメントを自在に設計・製造できるだけではなく、それらを自在に組み合わせられるようになったのである。となれば、新しいプリヴェは、単なる焼き直しに留まらないだろう。
新しいプリヴェは、過去のデザインを継承しつつも、カルティエの技術力を巧みに接ぎ木したコレクションとなった。最初に打ち出したのは、「オート オルロジュリー コレクション」(2008〜18年)の時期に人気を博したスケルトンである。この時代にマニュファクチュール化を完成させたカルティエは、単にスケルトンを作るだけでなく、ケースに合わせて仕立て直すノウハウを身に付けた。異型ケースのプリヴェが、毎年のようにスケルトンモデルを加えた理由である。
2022年の題材に選ばれたのが「タンク シノワーズ」である。かつてのモデルはケースの「帯」が別部品だったが、22年版ではおそらく一体成形となった。ケースを内製すればこその進化だ。左のスケルトンモデルは、ケースの帯だけでなくムーブメントの飾り板にまでラッカーを施している。
プリヴェの方向性を固めたのは、2019年の「トノー」だろう。デザインはいっそう古典に近づき、一方でモダンなディテールはいっそう強調された。例えば、ローマ数字のインデックス。プリントではなくメタリックなデカルクを使うのは「タンク サントレ」に同じ。しかしより立体的に改められたほか、上下のインデックスは大きく伸ばされた。併せて、6時位置のスイスメイド表記も書体が変更され、目立たないように白印字とされた。
2020年の「タンク アシメトリック」も同様である。デザインのモチーフとなったのは、1996年のCPCPではなく、1936年のオリジナル。かつて再現できなかったストラップを貫くバーが再び日の目を見たのである。
古典への傾倒を明確に打ち出したのが、2023年の「タンク ノルマル」だ。ディテールはマッシブになったが、中央が盛り上がった風防を含め、造形は往年のモデルを思わせる。また1940年代から50年代を思わせるブレスレット版も追加された。左はスケルトン版。しかし12時間ではなく24時間表示に改められている。
以降カルティエは、注意深くオリジナルへの回帰を目指すようになった。これは2021年の「クロシュ」と、22年の「タンク シノワ」で顕著となり、23年の「タンク ノルマル」で決定的となった。もちろん造形もディテールも異なるし、かつて存在しなかったスケルトンも加えられた。
しかし、2作目の「タンクサントレ」と比べれば、時計の在り方がいっそう古典に近づいているのが分かる。もちろん過去の焼き直しではない。しかし、試行錯誤の末に、昔の焼き直しに留まらない手腕を身に付けたカルティエは、古典に近づくことを恐れなくなった、とは言えそうだ。
1912年に発売されたトーチュは、トノーの進化版として生み出されたモデルだった。写真のような、装飾を施したラグと異形ケースの組み合わせを、カルティエは少なくとも1910年には発売していた。太いストラップは後のタンクなどに通じる要素だ。
そんなカルティエが2024年の題材に選んだのは「トーチュ」である。1912年のレディースモデルを原型に持つ本作は、19年に男性用時計としてリリースされ、96年にはCPCP初のコレクションに選ばれた。もっともトーチュの大きなケースは、8日巻きやデイ&ナイトといった複雑機構を載せるにはうってつけであり、CPCPが終わった後も、トーチュは永久カレンダーなどを搭載するベースとして残された。対して2024年、カルティエは新しいトーチュを、クラシカルなモデルとしてリバイバルさせたのである。
(右)1919年モデル。少なくとも13年にはこれと同じケースが存在していたことが確認されている。ケースとラグを鋳造で一体成形することで、ケースの一体感がいっそう強調された。
(左)同じく1919年に製造されたPtケースのトーチュ。辛亥革命直後の1914年に、清朝中国の皇子(Prince Tsai Lun)に販売されたものと同型のモデルと記録される。
CPCPコレクションにあって、大きな人気を集めたのがXLサイズのトーチュだった。ゆとりあるケースサイズを生かして、カルティエはCPCPとして例外的に、様々な複雑機構を盛り込んだ。これは昼夜表示を備えた「ナイト&デイ」。CPCPがディスコンになった後も、トーチュのケースは複雑時計のベースとして残された。