ブランパンが「ヴィルレコレクション」という名称を使うようになったのは2002年から。しかしその前身となるモデルは、1983 年から存在していた。同社は以降、わずか6年間で6つの傑作をリリース。それらはブランパンの方向性を決定付けただけでなく、時計業界そのものに大きな影響をもたらすことになった。

星武志:写真
Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
広田雅将(本誌):文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2025年3月号掲載記事]


6マスターピースからヴィルレへ
~機械式復権の嚆矢となった記念碑たちの記憶~

グランド・コンプリケーション Ref.1735-3427-55A

グランド・コンプリケーション Ref.1735-3427-55A
直径42mmというサイズに、トゥールビヨンやミニッツリピーター、スプリットセコンドクロノグラフや永久カレンダーといった、6つのマスターピースを合わせた超大作。復興してからわずか8年後の1991年に、ブランパンはこのモデルを完成させた。自動巻き。Ptケース(直径42mm、厚さ16.5mm)。世界限定30本。参考商品。

 今やブランパンの名前とともに、ドレスウォッチの代名詞的存在となった「ヴィルレ」コレクション。今の盛名を得たのは間違いなく、1992年のスウォッチ グループによる買収と、そして同グループのハイエック・シニア、そして今もブランパンの代表取締役社長兼CEOを務める、マーク A.ハイエックの功績だ。

 もっとも、マークが「(ブランパンは)新たなデザインの地平を切り開き、時計製造業界全体が後に続く道筋をつけた。複雑機構を再び導入することで、人々の機械式時計への関心を取り戻した」と語った通り、同社の「シックス・マスターピース」がなければ、ブランパンはもちろん、以降の機械式時計の在り方は、ずいぶん違うものになっていたのではないか? そしてスウォッチ グループも、ブランパンを買収することはなかっただろう。

 ムーンフェイズ付きのコンプリートカレンダー(1983年)、ウルトラスリム(84年)、パーペチュアルカレンダーとミニッツリピーター(85年)、スプリットセコンドクロノグラフとフライングトゥールビヨン(89年)に、その集大成である「グランド・コンプリケーション」(91年)。今でこそ注目されにくくなったが、このコレクションは、今の時計史を語るうえで絶対に欠かせないものだ。

FRÉDÉRIC PIGUET/BLANCPAIN Cal.1735

FRÉDÉRIC PIGUET/BLANCPAIN Cal.1735
6年の期間を費やして完成したのが当時最も複雑なCal.1735だ。NC旋盤が普及していなかった当時、ほとんどの部品は手作業で製作された。部品点数は740点。自動巻き(直径35.9mm、厚さ12.15mm)。44石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約80時間。

FRÉDÉRIC PIGUET/BLANCPAIN Cal.1185

FRÉDÉRIC PIGUET/BLANCPAIN Cal.1185
垂直クラッチ付きの自動巻きクロノグラフを普及させた立役者が、1989年初出(諸説あり)のCal.1185だ。シリコン製ヒゲゼンマイを採用した後継機は今なお第一線級である。自動巻き(直径26.2mm、厚さ5.5mm)。37石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約40時間。

 ブランパンの創業者であるジャン-ジャック・ブランパンは、ヴィルレ村の記録に従うならば、1735年に時計職人として登録された。現在ブランパンが、世界最古の機械式時計ブランドと称する理由である。農家の納屋で創業されたこのささやかな時計会社は、1932年に直系子孫のフレデリック・エミールが死去するまで家族経営が維持された。

 ブランパン家から経営を受け継いだのは、ベディ・フォスターとアンドレ・レアルである。当時の法律によると、社名はオーナーの名前か、もしくはそれ以外でなければならなかった。そこでふたりは、社名をヴィルレの音訳アナグラムである「レイヴィル・ブランパン」と改めた。

 フォスター家のイニシアチブの下、急速にビジネスを伸ばしたレイヴィル・ブランパン。しかしさらなる拡大を目指して、同社はオメガなどが形成するコングロマリットのSSIH(現スウォッチ グループ)に加わった。これは同社にさらなる成功をもたらしたが、1970年代の半ば以降、ビジネスは急減。75年にはムーブメント専業メーカーへと方向転換を余儀なくされ、80年にはオメガに吸収されてしまった。

FRÉDÉRIC PIGUET/BLANCPAIN Cal.1150(11.50)

FRÉDÉRIC PIGUET/BLANCPAIN Cal.1150(11.50)
Cal.1185からクロノグラフを外したCal.1195。これを置き換えるべくリリースされたのが、1993年発表のCal.1150だった。今もって傑作中の傑作自動巻きだ、自動巻き(直径26.2mm、厚さ3.25mm)。28石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約100時間。

 名前のみが残ったレイヴィルとブランパンをSSIHから買収したのが、著名なムーブメントメーカーを興したフレデリック・ピゲの息子で、同社の社長を務めていたジャック・ピゲと、オーデマ ピゲを経て、SSIHに在籍していたジャン-クロード・ビバーであった。機械式時計の可能性を確信したふたりは、この世界最古と言われるブランドを、ユニークで高品質な機械式時計を作るメーカーとして再興したのである。

 ピゲとビバーには勝算があった。オーデマ ピゲ「パーペチュアルカレンダー」の開発にも携わったビバーは、このモデルのヒットと、それが引き金となったムーンフェイズ付きカレンダー時計の、ちょっとしたブームを目の当たりにしていたのである。もっとも、当時市場にあったのは、複雑で高価なオーデマピゲを除外すれば、アンティークの時計があるのみ。そこで復興したブランパンは第1弾のモデルとして、ムーンフェイズ付きのコンプリートカレンダーを備えた手巻きモデル(後のヴィルレ)を発表した。1983年のことである。

クロノグラフ Ref.1185

クロノグラフ Ref.1185
新規設計のCal.1185を搭載したクロノグラフ。初出は1989年と言われている。直径26.2mmというコンパクトな自動巻きムーブメントは、ドレッシーなクロノグラフを可能にした。自動巻き。SSケース(直径34mm、厚さ9.5mm、スプリットセコンド版の1186は11.5mm)。参考商品。

 新生ブランパンがリリースした直径34mmのRef. 6595と、直径26mmのRef. 6395は、昔のカレンダーウォッチよろしく、手巻きのムーブメントを搭載していた。その理由を筆者は当事者から聞いている。曰く「オールドストックの手巻きプゾーに、ジャック・ピゲの製作したムーンフェイズカレンダーモジュールを加えて時計にした」。後に、ブランパンと歩みを共にして世界的なムーブメントメーカーへと成長を遂げたフレデリック・ピゲ。しかし、83年当時は、新しいムーブメントを作り起こす余裕がなかったのだろう。

 もっとも、このムーンフェイズ付きのコンプリートカレンダーは、決して古典の焼き直しではなかった。防水性能は30mもあるうえ、なんとブレスレットも用意されていたのだ。ブランパンが最初の「マスターピース」に込めたのは、機械式時計は単なるレトロ趣味にあらず、という明快なメッセージだった。

コンプリートカレンダー Ref.6553

[6 Masterpiece]コンプリートカレンダー Ref.6553
自動巻きを搭載したフルカレンダーモデル。おそらくムーブメントはレイヴィル改造のCal.6511である。後にムーブメントをフレデリック・ピゲ製のCal.1150系に置き換えたRef.6595に進化し、実用性を大幅に高めた。自動巻き。Ptケース(直径34mm、厚さ8.6mm)。参考商品。

 翌84年、ブランパンはこのムーンフェイズウォッチに自動巻き版を追加した。搭載したのはオールドストックのレイヴィルR71(=オメガ710系)をモディファイしたCal.6511。なぜ古いムーブメントを選んだのかは不明だが、これはあくまで場つなぎだったに違いない。事実ブランパンは、86年以降のヴィルレには、Cal.950系(ブランパン銘9.51など/1986年〜)やCal.1195(88年)、そしてCal.1150(ブランパン銘11.50/93年〜)といった、フレデリック・ピゲが手掛けた、新世代の自動巻きムーブメントを矢継ぎ早に載せるようになったのだから。

 後年にビバーは、ブランパンを単に時分表示の時計だけを作るメーカーにするつもりはなかったと語っている。彼が目指したのは伝統的なシンプルさと美しい仕上げ、そして付加機構を持つ時計を作るメーカーだったのである。彼の意図は、やがてシックス・マスターピースとして形になっていく。

 自動巻きのムーンフェイズカレンダーと同年にリリースされたのが、第2のマスターピースとなる極薄手巻きの「ウルトラスリム」だった。搭載するのは、1925年に完成した手巻きのCal.21。厚さ1.73mmのこのムーブメントは、オーデマ ピゲの2003やヴァシュロン・コンスタンタンの1003、そしてジャガー・ルクルトの838(後の849)などの範となった、いわば極薄手巻きの祖である。あくまで推測だが、ブランパンは、かつてストックしていたCal.21のエボーシュを転用したのだろう。ほぼ同時期に追加されたウルトラスリムの自動巻き版も、搭載するのはやはり往年の名機である、Cal.71だった。

ウルトラスリム Ref.0021

[6 Masterpiece]ウルトラスリム Ref.0021
ヴィルレというよりも、ブランパンを代表する傑作中の傑作。1911年に設計開始、25年に完成したフレデリック・ピゲのCal.21を搭載する。薄型時計だが、ムーブメントの厚みを1.73mmに留めたため意外と実用的だ。手巻き。Ptケース(直径34mm、厚さ5.4mm)。参考商品。

 ブランパンが時計メーカーとしての地歩を築くのは85年からと言ってよい。3作目のマスターピースにあたる永久カレンダー(85年)は、新しい小型自動巻きのCal.950に、デュボア・デプラ製の永久カレンダーモジュールを加えた大作だった。当時はオーデマ ピゲやブレゲ、パテック フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタンといった老舗にしか作れないと思われていた永久カレンダーを、ブランパンは、復興わずか2年で完成させてしまったのである。

 また同年のバーゼル・フェアで、ブランパンは4つめのマスターピースとなる「ミニッツリピーター」もリリースしている。搭載するのは、2年半の期間を経て完成したCal.33。約100万スイスフランを費やして8本のプロトタイプを完成させたブランパンの努力は、132本もの受注で報われることになる。

パーペチュアルカレンダー Ref.5453

[6 Masterpiece]パーペチュアルカレンダー Ref.5453
1985年にリリースされたのが最初の永久カレンダーがRef.5495で、ベースムーブメントはフレデリック・ピゲ製のCal.953。後に閏年表示が加わり、ムーブメントをCal.1150系に改めたRef.5453へと進化した。自動巻き。Ptケース(直径34mm、厚さ9.1mm)。参考商品。

ミニッツリピーター Ref.0033

[6 Masterpiece]ミニッツリピーター Ref.0033
復興からわずか2年後の1985年に、ブランパンはミニッツリピーターをリリースした。搭載するのは、直径23.5mm、厚さ3.3mmのCal.33だ。これは当時世界最小のミニッツリピータームーブメントだった。手巻き。Ptケース(直径34mm、厚さ8.75mm)。参考商品。

 Cal.33の直径はわずか23.5mm、そして厚みは3.3mm。その見た目は後のオーデマ ピゲ製ムーブメントを思わせるが、おそらくこれは世界で初の、量産された(といっても年産15本に過ぎなかった、とジャーナリストのギスベルト・L・ブルーナーは記す)腕時計ミニッツリピーターだったのである。

 続く第5のマスターピースが、89年のクロノグラフとスプリットセコンドクロノグラフだ。搭載するのは、新規に設計された自動巻きクロノグラフムーブメントのCal.1185と、そのスプリットセコンド版のCal.1186。本誌でも再三述べてきたように、コンパクトな自動巻きに垂直クラッチを合わせた1185系こそが、近代型自動巻きクロノグラフの祖だったのである。

スプリットセコンド Ref.1186

[6 Masterpiece]スプリットセコンド Ref.1186
Cal.1185にスプリットセコンド機構を加えたのがCal.1186である。1989年のバーゼル・フェアでお披露目された本作は、世界初のスプリットセコンド自動巻きクロノグラフにふさわしく、Ptケースを打ち出していた。自動巻き。Ptケース(直径34mm、厚さ11.5mm)。参考商品。

 設計者はバルジュー(現ETA)7750を設計したエドモン・キャプト。彼は諏訪精工舎のCal.6139が採用した垂直クラッチを改良し、そこに7750に高い生産性をもたらしたプレス成形のパーツを合わせることで、高性能なだけでなく、生産性が高く、しかもコンパクトな自動巻きクロノグラフムーブメントを作り上げたのである。これ以降の自動巻きクロノグラフムーブメントで、1185の影響を受けなかったものはおそらく存在しない。加えてブランパンは、ムーブメントの薄さを活かして、スプリットセコンド機構も加えたのである。今でこそ珍しくなくなったが、自動巻きスプリットセコンドの祖も、間違いなくフレデリック・ピゲとブランパンだった。これほど時計業界にインパクトを与えたムーブメントはないだろう。

「ニューカマー」を冷ややかに見ていたオーデマ ピゲやヴァシュロン・コンスタンタンといった老舗も、1185のおかげで「ロイヤルオーク」や「オーヴァーシーズ」といったコレクションに自動巻きクロノグラフを加えることに成功した。ロレックスも同様だった。「デイトナ」にエル・プリメロの改良版を搭載していた同社は、次世代のエボーシュとして革新的な設計を持つ1185に目を付けた。しかし、おそらくはブランドイメージを維持するため、ブランパンとフレデリック・ピゲはその要請を断ったのである。そこでロレックスは、1185の強い影響を受けつつも、全く新しい自社製ムーブメントのCal.4130を作らざるを得なかったのだ。

トゥールビヨン Ref.0023

[6 Masterpiece]トゥールビヨン Ref.0023
1989年に打ち出された“シックス・マスターピース”という構想。その最終作となるのが、おそらくは腕時計初となったフライングトゥールビヨンだった。薄くするため、オフセットしたテンプを持つ。なんとパワーリザーブは8日巻き。手巻き。Ptケース(直径34mm、厚さ8mm)。参考商品。

 そして6つめのマスターピースが、89年に発表された「フライングトゥールビヨン」である。独立時計師であるヴィンセント・カラブレーゼの協力を得て完成したCal.23は、おそらく世界初となる腕時計フライングトゥールビヨンだった。約8日間ものパワーリザーブを持つにもかかわらず、厚さは当時世界最薄のわずか3.7mm。カラブレーゼはさらに薄くするため、受けを省いただけでなく、テンプの中心をキャリッジからオフセットして配置した。見た目はカルーセルにそっくりだったが、これは歴としたトゥールビヨンである。ちなみにマーク A.ハイエックは、こういった声を受けて、ヴィルレにトゥールビヨンとカルーセルを搭載したモデルも加えている。

 シックス・マスターピースの完成後、その歩みを見続けてきたブルーナーはこう記した。「これで終わり、とビバーは述べた。つまりシックス・マスターピースのムーブメントは、新しいマスターピースに統合されるだろう」と。その帰結が1991年の「グランド・コンプリケーション 1735」であった。ムーンフェイズに永久カレンダー、スプリットセコンドクロノグラフにトゥールビヨン、そしてミニッツリピーターと自動巻きを載せながらも、その直径は42mm、厚さは16.5mmしかない(これがウルトラスリムを称する理由だ)。以降、各社がこぞって腕時計グランドコンプリケーションを作るようになったと思えば、ブランパンのシックス・マスターピースが時計業界にもたらした影響は、それ以前に比べても極めて大きかったのである。

 スウォッチ グループに買収された1992年以降も、そしてヴィルレの名称に統合された2002年以降も、コレクションの基本は変わっていない。つまりは、伝統的なシンプルさと美しい仕上げ、そして付加機構である。もっとも2000年にブレゲがグループに加わったことで、ヴィルレの在り方は、少し変容したように思える。伝統的なコンプリケーションを強調するブレゲに対して、ブランパンはユニークで使える複雑機構を打ち出すようになったのである。その好例が、2006年に発表された手巻きムーブメントの13R0だろう。ブランパンに統合されたフレデリック・ピゲが設計したこのムーブメントは、フリースプラングテンプに加えて、8日間ものパワーリザーブを持つ、極めて実用的な高精度機だった。今のブランパンらしい機構は他にもある。GMTアラーム(03年)にアニュアルカレンダー(11年)、ハーフタイムゾーン(11年)にトラディショナル チャイニーズ カレンダー(12年)などなど。次は、そんな現在のヴィルレを象徴するモデルを紹介することにしたい。



Contact info: ブランパン ブティック 銀座 Tel.03-6254-7233


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ブランパン/フィフティ ファゾムス