規格外の高精度と贅沢な外装をまとう時計。セイコー1960年代の力作「グランドセイコー」である。以後GSは、半世紀以上の永きにわたって枝分かれを繰り返しながら、ラインナップを拡充。しかし愛好家の間では、「初号機にこそGSらしさが凝縮されている」という意見で一致する。セイコーは2011年の創業130周年時に、記念モデルとして初号機を“再び”復刻。50年という時を隔てた初代モデルと130周年記念モデルを比較し、その進化の過程を垣間見る。
[連載第7回/クロノス日本版 2011年11月号初出]
Special thanks to antique mecha BQ
Grand Seiko 1st
スイスの牙城に挑んだ、日本時計産業の金字塔
初代モデルのプラチナケース版。市販されなかった「幻のモデル」と言われるが、販売店向け資料には定価と販売予定時期が明記されている。なおSSケースも試作されたが、こちらは完全なプロトタイプ。ベルト以外はフルオリジナルの個体である。手巻き(Cal.3180)。25石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約40時間。Ptケース(直径34.95mm、厚さ9.55mm)。非防水。個人所蔵品。
マーベル(1956年)とクラウン(59年)で、ムーブメントの高精度化に挑んだ諏訪精工舎(現セイコーエプソン)。さらなる高精度を目指して開発されたのが、60年12月発売のグランドセイコー(以下GS)であった。事実、このモデルの発表に併せて設けられた精度基準「グランドセイコー規格」は、5姿勢の平均日差が-3秒から+12秒、最大日較差が7.0秒、復元差が±5.0秒以内と、スイスのB.O.クロノメーター規格を大きく凌駕していた。
初代GSの高精度を支えたのが、キャリバー3180である。ベースはクラウンに搭載されたキャリバー560(後に57系)。テンワに23.3㎎・㎠という大きな慣性モーメントを持つ傑作である。この560から、精度の高い部品を選別して組み立て、高度な調整を施したのが3180であった。加えてこのムーブメントには、当時最新の知見が反映された。一例が潤滑油の拡散を防ぐエピラム処理である。当時のスイスでも採用例が希だったことを思えば、諏訪精工舎の技術陣が、世界水準を強く意識したことは間違いない。 初代GSの開発を指揮したのは、後にセイコーエプソンの社長を務めた中村恒也氏。技術課長として、マーベルやクラウンの開発に携わり、その高精度に絶対の自信を持っていた彼は、クラウンの完成からわずか1年半で、GSをリリースしてしまった。
世界基準の高精度機を目指した初代GSだったが、その完成度は同年代のロレックスやオメガには及ばない。しかしこの時計をきっかけにして、日本の時計産業がスイスの牙城に挑みはじめたことは紛れもない事実である。日本時計産業におけるマイルストーン、それが初代GSであると言って、過言ではないだろう。
(右)林精器製のプラチナケース。完全に整面されたベゼルと、意図的に先端を丸めたボクシーなラグに特徴がある。第二世代の57グランドセイコー以降、大半のケースは諏訪精工舎傘下の天竜工業製となったが(一部は林精器製)、初代のケースはすべて林精器製。贋作の多いプラチナモデルだが、オリジナルとはラグの仕上げが異なる。なおプロトタイプとして製作されたSSケースには、すでにザラツ研磨が施されていた。
(右)プラチナ製の裏蓋。中央の文様は鍛造によるもの。細かい地紋からは、林精器の優れた鍛造技術が見て取れる。なおPtケースの予価は13万円。80ミクロンの金張りケースが2万5000円と考えれば、極めて高価であった。