軍用機から民生機へプロダクトモデル誕生の裏側
今や一大ラインナップを形成するに至ったパイロット・ウォッチ。
しかし1980年代後半に至るまで、その存在は、軍関係者や一部のアンティークファンが知るだけだった。
なぜパイロット・ウォッチは復活し、成功を遂げたのか。
関係者の証言を交えつつ、その歴史を振り返ってみたい。
パイロット・ウォッチ・マークⅩⅦ [2012]
先の大戦を通じて、IWCは個性の違うパイロット・ウォッチを英独両軍に提供した。どちらも優れてはいたが、より著名なのがイギリス軍向けに開発されたパイロット・ウォッチ、通称〝マークシリーズ〟であった。1936年の「マークⅨ」に始まるマークシリーズは、44年の「マークⅩ」、48年の「マーク11」と進化していき、主にイギリス連邦の空軍パイロットたちに愛用された。
とりわけIWCに名声をもたらしたのが、マーク11であった。搭載したのは、堅牢で高精度なキャリバー89。これを軟鉄製のインナーケースで覆い、IWCの実測テストで約7万8000A/mという高い耐磁性能を誇った。また高々度での使用を考慮して、ケースの構造も異なっていた。3ピースのケースだと、コックピット内が急激に減圧した場合、風防がベゼルごと吹き飛ぶ可能性がある。このためマークⅩから2ピースケースを採用し、マーク11にも受け継がれた。
後のIWC製パイロット・ウォッチとは、基本的にマーク11の流れを汲んだものである。93年のマークⅫは、事実上マーク11を自動巻き化したものであったし、マークⅩⅤ以降のパイロット・ウォッチも、そういって差し支えなければ、マーク11の延長線上にある。つまりマーク11とは、それほど完成されたパイロット・ウォッチだったのである。
IWC初の「パイロット用特別時計」。耐磁ケースを持たないが、+40℃から-40℃での実用性能と、耐磁仕様のムーブメントを備えていた。初納入は1936年。写真のタイプは39年から41年まで製造されたとされている。手巻き(Cal.83)。15石または16石。1万8000振動/時。SS。非防水。
1944年に登場した新しいパイロット・ウォッチは、急減圧に耐えるための2ピースケースと、ねじ込み式の裏蓋を備えた。しかし機内に置かれたレーダーの磁気が精度に影響を及ぼすという問題に直面した。手巻き(Cal.83)。15石または16石。1万8000振動/時。SS。
耐磁性をクリアしたパイロット・ウォッチの祖。公式記録に従うと、1984年まで販売された。なおこのタイプの文字盤は、1952年から63年まで製造。以降は文字盤にトリチウム使用を示す“T”が加わる。手巻き(Cal.89)。17石。1万8000振動/時。SS(直径36mm)。耐磁ケース。
しかしIWCのパイロット・ウォッチは、かつてのパネライ同様、あくまでも軍用のプロダクトであった。確かに70年代以降のIWCはマーク11を市販はしたが、目的は余剰在庫の整理であった。
ではなぜ、IWCはパイロット・ウォッチを新たに復活させようと考えたのか。経緯を語ってくれたのは、IWCボードメンバーのハネス・パントリ氏である。「70年代の後半、IWCはポルシェデザインとコラボレーションを組みました。これは大変上手くいきましたが、問題も生じました。当時IWCの知名度は低く、対してポルシェデザインのそれは高かった。ですからフェリー・ポルシェ(ポルシェデザイン社長、当時)がIWCを買収したがったのです。幸いにも当時の株主(VDOシェリング)が反対しましたがね。私たちはポルシェデザインとの契約終了後を見越した新製品を作ろうと考えたのです」。
ポルシェデザインとの契約が10年目を迎えた88年、IWCはパイロット・ウォッチを復活させている。ムーブメントは機械式ではなく、ジャガー・ルクルト製のメカクォーツ。このモデルは大きな成功を収め、93年の「マークⅫ」に結実することになる。サイズやスペックはマーク11にほぼ同じ、しかしムーブメントにはジャガー・ルクルト製の自動巻き、キャリバー884/1(後に884/2)を採用した。この時計で興味深いのは、パイロット・ウォッチとしての非凡な性能である。マークⅫとは、事実上IWC初の民生用パイロット・ウォッチであった。しかし耐圧性や耐磁性といった性能は、かつてのマーク11にほぼ同等であった。民生用とはいえ、決して形だけのパイロット・ウォッチを作らなかったのは、いかにもIWCではないか。
ほぼ半世紀ぶりにリリースされた、機械式のパイロット・ウォッチ。なお公式発表に先駆けて、6時位置のロゴがないモデルが先行販売された。自動巻き(Cal.884/1)。33石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。SS(直径36mm)。耐磁ケース。5気圧防水。参考商品。
通称“セラミックス・フリーガ-”。セラミックス製のケースを製造したのは、スイスのアルスイス社である。IWCは新素材の採用にも意欲的だった。自動巻き(Ca.7902)。25石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約44時間。SS(直径39mm)。6気圧防水。耐磁ケース。参考商品。
マークⅫの後継機となったのが、マークⅩⅤである。ケース径は2㎜拡大され、ムーブメントも884/2から、ETA2892A2ベースのキャリバー37524(現30110)に変更された。開発に携わったクルト・クラウス氏は、「そもそもパイロット・ウォッチに、薄型の自動巻きムーブメントは相応しくない」と考えていた。またパントリ氏は「ジャガー・ルクルトからの供給も追いつかなかった」とも述べている。
実用時計として考えるなら、マークⅩⅤへの進化は理に適ったものだった。少なくとも、37524を載せたマークⅩⅤは、はるかに安定した性能と、耐衝撃性能を持つようになったのである。以降パイロット・ウォッチは、マークⅩⅥ、ⅩⅦへと進化を遂げた。大きな違いはサイズと、外装の質感向上である。とりわけ2012年に発表されたマークⅩⅦは、より精緻に加工されたケースと、微調整可能なバックルを持つようになった。
今や、IWCのパイロット・ウォッチは、その出自を感じさせないほど「洗練された時計」へと進化した。しかしながら、2ピースケースや超耐磁性といった特徴は、マーク11の時代からなにひとつ変わっていない。なるほど、IWCのパイロット・ウォッチが大きな成功を収めたはずである。