カルティエ「タンク」の外装技術の変遷に軸足を置きながら、その歴史を辿る

広田雅将:取材・文 吉江正倫:写真
[連載第11回/クロノス日本版 2012年9月号初出]

メゾンのアイコンという枠組みを超えて、今や伝説の時計となった「タンク」。1917年に初めて生み出されたタンクは、アールデコの象徴的なデザインであるばかりでなく、本当の意味で、“腕時計の始祖”と呼べる存在だった。ジュエラーらしい技法を駆使した初期の作品から、高級時計の方法論にシフトした現代のバリエーションまで、外装技術の変遷に軸足を置きながら、その歴史を辿る。

“Normal Tank”Wrist-watch 9 Ligne

伝説の始まりを告げた〝ファースト・タンク〟の同型機[1928]

ノーマル タンク
[9リーニュ]

1928年に発売された、プラチナ製のタンク。製作はカルティエ パリ。搭載するのは、JLC製の9リーニュムーブメントである。後にタンクは8、7、10リーニュのムーブメントも載せるようになるが、標準は9リーニュ。ムーブメントに「EUROPEAN WATCH AND CLOCK ℃ INC」のサイン。ケースの造形は1919年の初作に同じだ。ストラップ以外はオリジナル。手巻き(Cal.122)。1万8000振動/時。縦30×横23mm。カルティエ蔵。

 今や伝説の時計となったタンク。公式な資料によると、デザインは1917年。発売は19年の11月15日とある。タンクに先立つこと8年、カルティエは腕時計の始祖というべきサントスを商品化した。ラグとケースを一体化させたこの時計は、腕時計らしい意匠を持っていたが、しかし完全ではなかった。とりわけケース幅にそぐわない細身のストラップは、細いワイヤを通してストラップを固定した、かつての腕時計を思わせた。対してタンクのストラップは、風防と同幅といって良いほど広い。ラグとケースを一体化させるというサントスのアイデアは、ストラップとケースを融合させたタンクで完成したと言えるだろう。

 加えてこの時計は、ケース構造も目新しかった。カルティエは13年の時点で2ピースケースを採用していたが、普及したのはタンク以降である。ベゼルを省いたタンクのケースは、明らかに懐中時計のケースとは違う設計を持っており、そういって差し支えなければ、腕時計専用のケースであった。

 他にも特徴がある。タンク(=戦車)をモチーフとしたこの時計は、直線を強調した、アールデコ風の意匠を持っていた。こういった意匠は他社にも見られたが、決定的な違いは、風防にあった。当時四角い風防を持つ時計は、破損を防ぐため角を丸く処理していた。これはサントスも同様だったが、タンクは風防の角が四角い。当時としては極めて斬新な試みだったが、タンク以降のスクエアやレクタンギュラーウォッチは、例外なく、風防の角を残すようになったのである。

 今やカルトウォッチの代名詞的存在ともなったタンク。しかしこの時計が伝説となった理由は、そのアールデコ風なデザインによっているのではない。タンクとは本当の意味での腕時計の祖であり、今なお多くの時計に影響を与える「テクスト」なのである。

(左上)風防からケース、ストラップへと続く曲面が、タンクの大きな特徴である。またこの時代の腕時計としては例外的に、ケースとストラップの間隔を詰めていることが分かる。(右上)ホワイトラッカーで仕上げられた文字盤は、1980年代までカルティエが好んだもの。なお1900年代を通じて、カルティエは細身のローマ数字を用いた。しかし1910年代に入ると、デフォルメを効かせた、帝政様式のローマ数字を併用するようになる。おそらくは、視認性を確保するためだろう。このモデルも、やはりカルティエらしい、太めのローマ数字を用いている。(中)ケースサイド。平たい裏ブタと盛り上がった風防は、確かにタンク(=戦車)を思わせる。ベゼルと一体化したトップケースに裏ブタをはめ込み、側面からネジ留めするという構造は、現行品にも受け継がれる。(左下)ケースバック。「MADE IN FRANCE」の刻印が見える。ジュエリーと同様、この時代のカルティエはプラチナ素材をケースに使うことを好んだ。(右下)ルノー軽戦車のキャタピラに範を取ったケースサイドの造形。後のタンク ルイ カルティエなどに比べると、上面はフラットに成形されているのが分かる。また、風防の固定を確実にするためだろうか、風防の上下のケース幅も後のタンクに比べると太い。