機械式時計がブームとなった1990年代末、その後の時計業界の在り方を決めるような傑作機がリリースされた。
A.ランゲ&ゾーネ「ダトグラフ」。
独創的な意匠と、ムーブメントの造形美という組み合わせは、多くの追随者を生んだ現在でもなお、無二の存在感を放ち続けている。
[連載第14回/クロノス日本版 2013年3月号初出]
DATOGRAPH
バーゼル発表機に小改良を加えた初期型ダトグラフ
1999年初出。この個体は、2001年に販売された初期型(本誌の区分では“第2世代”)である。ムーブメントの一部部品が異なる他は、バーゼルフェアで発表されたプロトタイプにほぼ同じ。装着感が良いとはいえないし、磁気帯びしやすいという弱点もあるが、十分実用に足る。ブリュームラインがこだわったという操作感はかなり秀逸だ。手巻き(Cal.L951.1)。40石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約36時間。Pt(直径39mm)。30m防水。個人蔵。
1999年に発表されたダトグラフは、そういって差し支えないならば、機械式時計の歴史を変えた時計である。〝今や機械式時計に求められるものは、機能でも性能でもなく、審美性である〟。ダトグラフほど、この事実を体現した時計はなかっただろう。以降、多くの時計師や時計メーカーがダトグラフに触発され、かつこの時計をベンチマークとするようになった。
この時計に明確な個性を与えたのが、大胆なダイアルレイアウトである。文字盤側から見ると、8時位置に4番車が、4時位置に30分積算計が置かれているのが分かる。普通のクロノグラフは、それぞれ9時位置と3時位置にあるが、A.ランゲ&ゾーネは両者の位置を下げることで、アウトサイズデイトと、ふたつのインダイアルを、正三角形で結んでみせた。デザインとしては、かつてなかったものだ。A.ランゲ&ゾーネ自身も「伝統的ではない、まったく新しい意匠」(99年のプレスリリースより)と記している。しかし、決して奇異に見えないのは、6時方向を重く見せるという超高級時計のルール(往年のパテック フィリップ 永久カレンダーがそうであった)を忠実にトレースしているためだろう。
積算計と4番車をオフセットするレイアウトは、そのクロノグラフ機構をムーブメントの中心から6時方向に押しやった。しかしA.ランゲ&ゾーネは、積算機構が重なるという制約を、部品が幾重にも重なった、立体的な造形に昇華してみせた。できるだけ部品配置を散らして重ねないことがムーブメント設計の定石である。だがA.ランゲ&ゾーネは、普通の設計者が好まない〝奇手〟を選び、意匠上の個性へと変えてしまったのだ。
斬新だがセオリーに忠実な外装と、構造上のハンデを造形美へと転換させたムーブメント。ダトグラフの存在感は、発表から時を経た現在もなお、色褪せることはない。