生まれ変わるスピードマスター
カルトウォッチから現代的なスポーツモデルへ
“ムーンウォッチ”の名とともに、月面着陸の伝説とともに多く語られてきたスピードマスター。その優れた設計を見れば、NASAの公式クロノグラフに選ばれた理由も納得できる。とはいえオメガが一貫して、スピードマスターとクロノグラフをメジャー化するべく心を砕いてきたことも、銘記されて然るべきだろう。
1964年初出。リュウズガードのないST105.002(62年初出)の後継機である。生産は65年まで。しかし69年春に、50本のST105-003が製造されたと記録にある。なお67年以降、リファレンスはST145-003に変更された。手巻き(Cal.321)。17石。SS。参考商品。撮影協力:ケアーズ
1959年に発表されたCK2998。アルミ製のベゼルを持つほか、針の形状などが改められた。CK2915に見られる試行錯誤は、以降ほとんど見られなくなった。いわばスピードマスターの原型機である。基本スペックはCK2915にほぼ同じ。参考商品。撮影協力:ケアーズ☎03-3635-7667
「クロノス」ドイツ版で編集者を務めるイェンス・コッホはこう語る。「現在はともかく、かつてのスピードマスターとはカルトウォッチの代名詞的存在だった」。
かつてスピードマスターを含むすべてのクロノグラフは、日本市場とドイツ市場を除いて、専門家向けの時計と考えられていた。中でもスピードマスターが〝カルト〟と称されてきた理由は、大きく3つある。ひとつは文字盤の色。専門職をイメージさせる黒文字盤は、日本以外ではポピュラーではなかったのである。もうひとつの理由が「ムーンウォッチ」であること。月面に降りた時計という称号は、スピードマスターに圧倒的な知名度を与えたが、反面、専門職向けというイメージをいっそう強調することになった。しかし最も大きな理由はケースサイズだろう。40㎜を超えるスピードマスターのケースは、1990年代に入っても、多くの一般ユーザーにとっては、持て余すほど大きなものだったのである。
ちなみにスピードマスタープロフェッショナルが載せたレマニア321と、後継機の861はかなり小さなムーブメントである。小振りな防水ケースに収めることは容易だったし、事実オメガはそれを意図して、直径27㎜でクロノグラフを作ってほしいとアルバート・ピゲに依頼している。
しかし新しいクロノグラフを作るにあたって、その開発チームは小さなクロノグラフムーブメントを、小振りなケースに収めようとは考えなかった。理由は〝スピードマスター〟というモデル名が示す通りだ。
1966年初出。3時側にガードを持つ、初のスピードマスターである。変更に伴い直径が42mmに拡大された。バトンハンドなどはST105.002/003に同じ。67年からはリファレンスがST145.012に変更された。なおCal.861搭載機は、リファレンス末尾が022となる。手巻き(Cal.321)。17石。SS。参考商品。撮影協力:ケアーズ
彼ら開発チームが、まずユーザーとして想定したのが、スポーツカーの愛好家たちであった。当時のドライバーは振動の大きな車を操らざるを得ず、それはしばしば時計を壊す原因となった。そこで開発陣はケースの間に、ムーブメントを支えるインナーケースを設けることで、耐衝撃性を高めようと考えたのである。これは直径39㎜という当時としては巨大なケースを要することになったが、狙いはまったく正しかった。ムーブメントを保護する中空のインナーケースがあればこそ、後にスピードマスターはNASAのハードな耐衝撃テストをクリアできたのだから。
開発陣がスポーツカーのドライバーを意識していた証拠は他にもある。デザイナーのクロード・ベローは、文字盤のデザインにあたってイタリア製スポーツカーのダッシュクロックを参照したという。確かに太いホワイトインデックスと、荒らしたブラックという地色の取り合わせは、自動車用のクロックそのものだ。ベローは強い衝撃下にあっても優れた視認性を与えるべく、文字盤と針のコントラストを極端に強調したのではないか。ともあれ高い耐衝撃性と優れた視認性を持つスピードマスターは専門家たちに高く評価され、彼らの要望を満たすべく進化を遂げていった。
59年にはベゼルにアルミ製のプレートをはめ込んだCK2998に進化。64年にはバトンハンドを持つST105.003となり、66年にはリュウズガードを備えたST105.012となった(69年春まではリュウズガードなしのST105.002も生産された)。ST105.003は、67年にナンバリングルールが変更されてST145.003となり、68年には同リファレンスのまま、搭載ムーブメントをキャリバー321から861に変更してST145.022となった。こうした詳細は、専門書籍やウェブサイトなどに譲るとして、スピードマスターの進化からは、ある傾向がうかがえる。
50年代後半以降、オメガはケース製造の技術を高めた。これはハイエンドのコンステレーションはもちろん、専門家向けのシーマスターやスピードマスターにも恩恵をもたらした。明らかな変化は63年末に登場したST105.012にうかがえよう。それ以前のモデルは、ミリタリーウォッチを思わせるシンプルなケースをもっていた。対してST105.012は、リュウズとプッシュボタンを覆うガードを備えた、複雑なケースであった。リュウズガードがあれば、時計はより頑強になる(事実、NASAはリュウズなしのモデルをテストにかけたが、宇宙飛行士に支給したのはリュウズガード付きであった)。しかしその複雑な造形を見る限り、オメガはスピードマスターに、頑強さだけでなく洗練さをも盛り込みたかったのではないか。
毎年のようにリリースされるスピードマスターの限定モデル。2014年は外装の一部に18Kセドナゴールドと、レーザー処理で表面を荒らした文字盤を与えた。質感は極めて良好だ。手巻き(Cal.1861)。18石。Ti×18Kセドナゴールド(直径42mm)。50m防水。世界限定1969本。参考商品。
そもそも専門家向けのツールに洗練された意匠は不要である。しかしオメガがクロノグラフに市民権を与えようと努めてきたことは、ファーストモデルに同封されたリーフレットを読めばいっそう理解できる。
「電車に座り、クロノグラフを使って、あなたがどれぐらいのスピードで移動しているかを知るのは一種の喜びでしょう。(中略)こういった例は、クロノグラフの多様性を示すものなのです」
「クロノグラフは普通の時計より部品点数が多いものの、メンテナンスとサービスは今や深刻な問題ではなくなりました。普通のケアだけで、このクロノグラフは優れた性能を長年にわたって提供します」
月面着陸とともに語られがちなスピードマスター。確かにアポロ11号の偉業はこのクロノグラフに比類ない名声(と専門家向けというイメージ)を与えた。しかしそれ以前も、オメガがスピードマスターをメジャーにしようと努めていたことを忘れてはならないだろう。ちなみにST105以降のスピードマスターはベゼルの交換が可能であった。これもまたクロノグラフに〝多様性〟を与える試みのひとつと考えていいのではないか。
急激な温度変化から時計を保護する試みが“アラスカプロジェクト”。1971〜73年までピエール・ショパールの主導で行われた試みである。これは少数生産されたプロトタイプのひとつ。赤いアルミケースが温度変化から時計を保護する。手巻き(Cal.861)。17石。SS(直径42mm)。参考商品。
クロノグラフに〝市民権〟を与えるというオメガの方向性を端的に示しているのが、71年に登場した自動巻き搭載モデルだろう。エル・プリメロの2年後に発表された新型スピードマスターこと「スピードマスター プロフェッショナル マークⅢ」は、レマニア861をベースとした、自動巻きムーブメントキャリバーの1040を載せていた。また73年の「スピードソニック」は、音叉式クロノグラフという、いっそう専門家向けではないムーブメントを載せていた。
ETA2892-A2にDD2000系モジュールを載せた自動巻きバージョン。初出は1988年の1月。直径35.5mm、厚さ12mm弱と、既存のスピードマスターに比べて小振りである。長年スピードマスターのエントリーモデルであったが、近年ディスコンとなった。自動巻き(Cal.3220)。46石。SS。100m防水。参考商品。
ただしスピードマスターが本当に市民権を得たのは、88年の「スピードマスター・オートマティック」以降だろう。このモデルが採用したムーブメントは、手巻きの861系ではなく、ETA2892-A2を改良したキャリバー1108に、デュボア・デプラ製のモジュールを重ねたものであった。これは傑出したムーブメントではなかったものの、価格が安く、ケースが小さく薄いため大ヒットを記録することになる。
また90年には、ETA7751(オメガ名キャリバー1150)を載せた「スピードマスター・クラシック」も追加。ここでようやく、スピードマスターはカルトウォッチから、実用的なスポーツウォッチへと脱皮したといえるだろう。そして副社長にジャン-クロード・ビバーが就任した時期には、スピードマスターの打ち出しは月をイメージさせるものだけではなく、スピードを連想させるもの(本来のスピードマスターが目指した方向性だ)も含まれるようになった。かつてのF1レーサー、ミハエル・シューマッハによるオメガの広告を覚えている方も多いのではないか。
2007年以降は、そこに高級化という流れが加わった。どう控えめに言っても、オメガは長年、外装には注力してこなかった。しかし「デ・ヴィル アワービジョン」以降、ケースや文字盤の質感を高めるようになった。スピードマスターでこういったモデルを挙げるなら、14年の「スピードマスター マークⅡ」や「スピードマスター プロフェッショナル 〝アポロ11号〟 45周年 リミテッドエディション」になるだろうか。これらはいずれもムーンウォッチのイメージからは想像できないほど、良質な外装をもつ時計である。
アポロ11号の月面着陸を記念して製作されたソリッドゴールドのスピードマスター。1969年秋から72年にかけて1014本生産された。なおオメガは、この形状のブレスレットを、後年SSでも製作している。手巻き(Cal.861)。17石。18KYG(直径42mm)。参考商品。
オメガはスピードマスターのデジタル化にも努めた。これは1997年のX-33プロトタイプ。50本製作されたうちのひとつで、文字盤には“フライトマスター”と記されている。開発にはアメリカ、ロシアなどの宇宙飛行士や、ブルーエンジェルスの飛行士などが携わった。クォーツ(Cal.E20.301)。Ti(直径42mm)。参考商品。
こういった変化を歓迎しないピューリタンは少なからず存在する。しかしスピードマスターとは、そもそも大ヒット作、シーマスターの別ラインであり、レイルマスターの兄弟機でしかなかったのである。オメガがファーストモデルでさえも、普通に使える時計として打ち出していたことを考えれば、スピードマスターが現代的なスポーツウォッチに変化を遂げるのは必然だったと言えるのではないか。
では現代のスピードマスターは、どのような進化を遂げたのだろうか。次は、ムーンウォッチのデザインを受け継ぎつつも、現代風のスポーツウォッチに仕立て直された「スピードマスター コーアクシャル」を見ることにしたい。
FP1150系をベースに開発されたCal.3300系。その最新型がCal.3330である。フリースプラングとコーアクシャル脱進機、シリコン製のヒゲゼンマイにより、初期型からは想像できないほどの高精度を得た。自動巻き。31石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約52時間。
近年のオメガは、往年のモデルを復刻するだけでなく、そこに良質な外装と最新のムーブメントを併せるようになった。好例が本作である。加えて最大9.6mmまで微調整が可能なエクステンションバックルを備える。自動巻き(Cal.3330)。SS(縦46.2×横42.4mm)。10気圧防水。60万円。