ホイヤー(現タグ・ホイヤー)をメジャーブランドへと押し上げる原動力となったモデルが、1963年にリリースされた「カレラ」である。一時は系譜が途切れていたが1996年に復活。2010年の「タグ・ホイヤー カレラ 1887 クロノグラフ」で、再び“アイコン”としての地位をより強固なものとした。タグ・ホイヤーはカレラのデザインに何を見出し、何をそのエッセンスと見なしてきたのか? カレラ半世紀の歴史を振り返りたい
[連載第24回/クロノス日本版 2014年11月号より増補改訂]
CARRERA [1960’s]
テンションリングスケールがもたらした革新
1963年に登場したカレラには、いくつかのバリエーションが存在した。これは12時間積算計とデシマルメーターを備えた通称“カレラ 12 デシマル”(Ref. 2447 SND)である。1960年代後半まで、12時間積算計付きの3カウンターモデルはバルジュー72を、2カウンターモデルはバルジュー92を搭載した。手巻き。17石。1万8000振動/時。SS(直径36mm)。参考商品。
1963年に登場したカレラは、元名誉会長のジャック・ホイヤーが、言わば社運を拓くために作った時計だった。氏の自伝「THE TIMES OF MY LIFE」には、次のような記述がある。
「(フロリダ州の)セブリングサーキットで、私が初めて聞いた言葉はスペイン語のカレラだった。私はそのセクシーな響きだけでなく、さまざまな意味合いを持つことも愛した。道、レース、コース、そしてキャリア。それらはすべて、ホイヤーのテリトリーにあるものではないか! そこでスイスに戻るや否や、〝ホイヤー カレラ〟の商標登録を急いだ。ホイヤーの最大株主として、会社の未来は事実上我が手にある(氏は1961年にホイヤーの最大株主となっている)。私は新しい製品の開発にコミットし、次に作る時計はカレラと呼ぶべきだと考えた」
ジャック・ホイヤーはクロノグラフのデザインに関しても、明確なビジョンを持っていた。同著には「私は文字盤をクリアで、クリーンなデザインにしたかった。そして技術的な革新がその助けになった」とある。
当時のホイヤーにプラスティック風防を納めていたメーカーが、実用性を大きく高めるアイデアを氏に提案している。これは見返し部分にスティールのテンションリングをはめることで、水圧で風防が歪んだ状態でも防水性が保たれるというものだった。氏はそのテンションリングに5分の1秒のスケールをプリントすることで、クロノグラフの文字盤をクリーンに仕立てたのである。
幅広のテンションリングに表記を与えるアイデアは、以降カレラの個性となっただけでなく、他社のクロノグラフにも決定的な影響を及ぼすようになる。しかし、タグ・ホイヤーがその革新性を再認識するには、1990年代の後半まで待たねばならなかった。