L.U.Cキャリバー、その発展と系譜
1996年に始まったL.U.Cプロジェクトは、設計思想の違いによって大きくふたつに分けられる。まずは超高級機を目指したCal.1.96の流れ。そしてもうひとつが、クロノ ワンに始まる実用性を盛り込む試みだ。その実際を3カテゴリーのムーブメントから見ていくことにしよう。
LUCという自社製ムーブメントのプロジェクトを指揮しているのが、ショパール共同社長のカール-フレドリッヒ・ショイフレ氏である。現在では、自社製ムーブメントを作ろうとする時計メーカーは少なくない。しかしLUCのように、いきなり最上級を目指した例は珍しかったし、今なおそうだろう。ショイフレ氏は理由をこう説明した。
「ショパールを次のステージに持っていきたかったから、妥協は一切したくなかったのです。確かにLUCの生産性は良くありません。しかし生産性は重要でなかった」
筆者はある話を思い出した。ワインのコレクターとしても知られるショイフレ氏は、膨大な数のワインを蒐集している。だが彼はワインに蘊蓄を傾ける人種ではないし「ワインに携わっている時間もない」と断言する。では彼はどうやってコレクションを蒐集、管理しているのか。聞くと、スイスでも最良のソムリエを雇って管理させているという。一流を好み、そのために第一級の専門家に依頼するという彼のスタンスは、ワイン集めよりも、LUCの開発にこそ生きたのではなかったか。
Micro Rotor Automatic
マイクロローターにダブルバレル、自動巻きにラチェット式を採用したムーブメント。日の裏車の押さえにルビーを配するなどの配慮も秀逸だ。自動巻き(直径27.4mm、厚さ3.3mm)。32石(後に29石)。2万8800振動/時。パワーリザーブ約65時間。巻き上げヒゲ。
L.U.C 1.96の量産型。ヒゲゼンマイが平ヒゲに、エッジの処理がダイヤカットに変わった他、文字盤側のペルラージュ径がやや拡大された。またジュネーブ・シールも取得していない。それ以外は仕上げ、スペックともに1.96にほぼ同じ。現行のローターは1.96同様の22K製。
初のLUCムーブメントとなったのが、マイクロローター自動巻きの1.96である。発表は1996年8月。原型を手がけたのは〝神の手を持つ〟ミシェル・パルミジャーニ氏であり(最終的に監修したのは非常に著名な独立時計師だ)、プロジェクトをまとめたのはパテック フィリップ出身で、ジュネーブ時計学校の教授も務めたダニエル・ボロネージ氏であった。ちなみにこの試みに触発されたパルミジャーニ氏は、後に自身でパルミジャーニ・フルリエを起こすことになる。
プロジェクトの開始は93年初頭のこと。設計に携わったパルミジャーニ氏は「ショパールからはふたつの香箱を持つ、自動巻きの設計を依頼された」と語る。社内コードはASP94。完成した第1号機は2万1600振動/時だったが、すぐに振動数とパワーリザーブが変更された。95年末にプロトタイプが完成し、翌年の8月からは製品版の試作がスタート。年末からは量産が始まった。
1998年初出。地板側に置かれた3番車が秒カナを回す、インダイレクトセンターセコンドを採用する。この方式だと秒針の挙動は不安定になるが、ショパールはよく抑制している。基本スペックや仕上げは、上のL.U.C 3.96に同じ。
L.U.C 3.96から秒針と日付表示を省いたのがL.U.C 96HM(現96.17-L)。L.U.C 1.96の弱点であった針飛びなどは、現在ほぼ改良された。なお石数が32石から29石に減っているが、理由は日の裏側に用いる3つのベアリングをカウントしなくなったため。
共同設計者のボロネージ氏とは、好きなムーブメントについて話をしたことがある。彼が好みとして挙げたのは、パテック フィリップの自動巻き、27-460Mであった。ラチェット式の自動巻きとしては、今なお最高峰とされる27-460M。ボロネージ氏が新しい自動巻きに、往年の傑作に比肩する機構を載せようと考えたのも自然な成り行きだろう。
「テック ツイスト」が搭載するL.U.C 96T。文字盤を省いた構造のため、日の裏側はすべてジュネーブ仕上げ。秒針の位置がずれているのは、ムーブメント自体を傾けて取り付けてあるため。基本的なスペックと仕上げはL.U.C 3.96に同じ。2007年初出。
左モデルの色違い。TBとは「テック ブラック」の略。なおTBには印字が白のバージョンと、限定モデル用として、色が入れられていないバージョンのふたつが存在する。基本的なスペックと仕上げは左に同じ。ショパールはメッキの質も極めて良い。
つまりLUCの1.96とは、ショパール初の自動巻きというだけでなく、往年の大傑作をも超える試みでもあったわけだ。ただし「妥協は一切したくなかった」というその結果として、お世辞にも1.96の設計は量産向きとは言い難かった。加えてショイフレ氏の完璧主義が、生産性をいっそう悪化させた。コストを考えれば仕上げを簡素にすべきだが、ショイフレ氏はそれを好まなかったのである。1.96は、見えない部分まで、すべて手作業で仕上げられることになったのである。
L.U.C 1.96をトノー型に改めたのがL.U.C 6.96(後のL.U.C 1.97、97.01-L)である。2000年初出。初期のL.U.Cは突出した仕上げを持つが、現行ムーブメントの仕上げも量産品としては最良のひとつに数えられる。縦27.6×横28.15mm。巻き上げヒゲ。
こちらはL.U.C 3.96をトノー型に変更したもの。基本的なスペックと仕上げは、3.96に同じ。なお96系のマイクロローターは、耐震装置にインカブロックを用いる。例外はQFやテック用のL.U.C 9.96。これのみ保持方法を変えて耐衝撃性を高めている。
1.96の低い生産性は、愛好家には歓迎すべきものであっただろうが、製品版の試作段階でたちまち問題となった。すべての部品を磨き上げ、しかも一日に数本しか製造できない巻き上げヒゲを載せていたら、製造個数は増やせない。そこで加わったのが、真の量産型とも言うべき3.96(現96.03-L)である。発表は1.96と同じ96年。ヒゲゼンマイは平ヒゲに、ローターはタングステン製(現在は22K製)に変更されたが、緩急針は微調整が可能で、耐衝撃性の高いトリオビスに置き換わった。面取りもダイヤカットになったが、それ以外の仕上げは1.96のレベルを維持した。実のところ、生産性はあまり変わらなかった、と関係者が漏らしたはずである。
Hand Wound
現行品最良の手巻きムーブメントのひとつ。設計はショパールとジュネーブ時計学校による。地板と受けは洋銀製、穴石は立体的なミ・グラスと、品質は極めて高い。手巻き(直径43.2mm、厚さ5.5mm)。20石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約80時間。
2000年初出。4つの香箱で約9日間のパワーリザーブを実現した手巻きムーブメント。またストップセコンドと改良された日付表示も加わった。仕上げはL.U.C 1.96に準じる。手巻き(直径28.6mm、厚さ3.7mm)。39石。2万8800振動/時。巻き上げヒゲ。
1.96の派生系としてより興味深いのが、4つの香箱を持つ1.98(現98.01-L)だ。アイデアを出したのはショイフレ氏。〝セイリングボートの艪〟にインスピレーションを受けた彼は、マイクロローターを外してそこに香箱を追加し、4つのゼンマイでパワーリザーブを延ばそうと考えた。すでに1.96の開発段階で、長い駆動時間は愛好家に歓迎されると喝破していたショイフレ氏。1.98とは、そんな彼の哲学を体現した時計であった。
マイクロローターを外せば、確かに香箱のスペースを捻出できる。ただ設計は容易でなかった。香箱を増やした結果地板も拡大し、別物として作らねばならなくなったのである。もっとも4つの香箱は、長期間にわたって、高い振り角を維持することを可能にした。
L.U.C 1.98のレギュレーター版。日付表示がデイトリング式に改められたほか、24時間表示を備える。かつてL.U.C 1.98の拡張は考えていない、とショパールは述べたが、基礎体力の高さはモディファイにこそ向く。基本スペックと仕上げはL.U.C 1.98に同じ。。
1.96に始まった〝超高級機を作る〟という思想。その極北が、2010年発表のLUC EHGだろう。きっかけは、ショイフレ氏が、ジュネーブ時計学校の教材が不足しているという情報を得たことだった。
教材のユニタスが足りないことを聞いた彼は、ショパールの技術陣に、ジュネーブ時計学校の教授たちと共同で代替品を設計するよう指示を出した。それが極めて古典的な手巻きムーブメント、LUC EHGとして完成したのである。地板と受けは洋銀製、ヒゲ持ちは可動式、そして香箱の軸受けにベリリウム合金を採用したこのムーブメントは、ユニタス代替機の水準を大きく超えていた
超高級機に傾倒する一方で、ショパールは実用性と汎用性も考えるようになっていく。その先駆けとなったのが、2006年初出の自動巻きクロノグラフ、LUC10/11CF(03.03-L)である。1.96に始まるLUCは、基本的に古典的な設計を踏襲していた。対して新しいクロノグラフは、垂直クラッチを持つ、モダンな設計を採り入れている。手がけたのは、やはり超一流のクロノグラフに携わったチームである。彼らはこのムーブメントを、現行品の最良にしようと考えたのだ。
一例が一体成形されたリセットハンマーだろう。このクロノグラフは、昔のバルジュー同様、リセットボタンが直接ハンマーを叩くダイレクトリセット方式を採用する。感触は良いし、フライバックを加えるには最適な仕組みだが、直接秒積算計や分積算計の軸を叩くため、機構への負荷が大きい。そこで衝撃を吸収するべく、リセットハンマーの先端にはショックでたわむバネがつけられた。またバネのおかげで、長期間使用してもセンタリングのズレを調整する必要がない。ただしリセットハンマー自体が重くなる。そこで設計陣は、リセットハンマーを押さえつける別の受けを設けて、ブレが出ないようにした。
Full Rotor Automatic
L.U.C 10/11CFからクロノグラフ機構を外した自動巻き。加えてテンプが緩急針付きに変更された。生産性を考慮したとはいうものの、ネジを見れば質の高さは明らかだ。自動巻き(直径28.8mm、厚さ4.95mm)。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。
自動巻き機構も一新されている。採用したのは凝ったラチェット式ではなく、量産に向くリバーサー式。しかし爪を内蔵するのではなく、堅いニッケル-リン製の遊星歯車が用いられた。設計に携わったエリック・ブロリス氏は「耐摩耗性に優れるだけでなく、不動作角(ローターが回転しても巻き上げない角度)は8度から12度に抑えられた」と胸を張る。
緩急針を用いないフリースプラングが採用されたことも特徴だ。テンワにマスロットを入れるのは他社に同じだが、その外周を丸く成形した「ヴァリナーバランス」が採用された。テンワの抵抗要因は、その3分の2が空気抵抗である。それを抑えた結果、このムーブメントの振り角はT0(全巻き時)で約300度、T24でも約260度と向上した。
長年、超高級な設計にこだわってきたLUC。しかしこのムーブメントでは高い生産性と、高級だが実用に使えるという方向性に転じた。それを証明するかのように、10/11CFのムーブメント厚は7.6㎜もある。かつてのLUCからは考えられない変化だが、このムーブメントが、LUCに新しい道を拓いたことは間違いない。
この10/11CFをベースに、3針自動巻きとして再設計されたものが1.010である。〝積算機構を取り去っただけ〟ともいえるが、そもそもの素性が良いのだからこれは正解だ。またテンワの直径も拡大された。コストのかかるヴァリナーテンプは、価格を抑えた1.010には向かない。トリオビスに変えたのは正解だが、マスロットがない分だけテンワが軽くなる。重さを揃えるため、ショパールはテンワの直径を拡大し、天真の位置自体も変えたのである。当たり前のように思えるが、普通のメーカーにできる配慮ではない。
開発初期から最高峰を目指したLUC。超高級を目指す、というキャラクターは変わりつつあるが、その一方で、今や生半可な実用機は足元にも及ばないほどの実用性を持つようになってきている。とはいえ一流好みのショイフレ氏が指揮する限り、LUCの本質が変わることはなさそうだ。今なおすべてのLUCムーブメントは、地板の全面にぬかりなくペルラージュが施されているのだから。