ウブロ/クラシックフュージョン

長年、ビッグ・バンの陰に隠れて目立たなかったクラシック・フュージョン。しかし2010年以降、ウブロはこのコレクションを、ビッグ・バンに並ぶもうひとつの柱として育ててきた。いまだにオリジナルモデルの影響を色濃く残すクラシック・フュージョン。しかしその進化からは、ウブロというブランドの成熟が見て取れる。

広田雅将(本誌):取材・文 吉江正倫:写真
[連載第36回/クロノス日本版 2016年11月号初出]


HUBLOT CLASSIC
MDMが手掛けた〝ウブロ〟の原点

クラシック Ref.1400
1980年初出。船の舷窓をイメージしたデザインと、ラバーストラップを備えたまったく新しいスポーツウォッチである。弓管の噛み合わせが示すように、外装の完成度は非常に高かった。クォーツ。SS×18KYG(直径33mm)。5気圧防水。個人蔵。

 1980年のバーゼルフェア(現バーゼルワールド)で注目を集めたのは、カルティエブースの向かいに出展した、まったく無名のブランドだった。〝ウブロの歴史家〟として知られるジャーナリストのアウグスト・ベローニは、その際の様子を次のように記す。「ウブロ製品を見ようとした人や、この流れに乗じて自社製品の目新しさを示そうとする多くの人でブース内はあふれかえり、十分な数の買い手を引きつけた」(「ウブロ 王の時計」より。一部筆者改訳)。初日はウブロの展示に誰も興味を示さなかった。しかし2日目以降ブースを訪れる客は急増し(ブラジル、イタリアの順で客は増えた、とベローニは記す)、結局デビュー年に、ウブロは約5000本もの時計を売り上げた。

 成功の理由は、今でいう「クラシック」、つまりは第1作の完成度を高めるために、十分な時間と予算を費やしたことにあった。普通時計メーカーは、ひとつのモデルに依存したがらない。しかし創業者のカルロ・クロッコは、あえて単一のモデルに絞り、そこに巨額な投資をして完成度を高めれば、成功すると確信していた。

 クロッコが目指したのは、いわゆるラグジュアリースポーツの進化形であった。「着脱が簡単で寝るときでも気軽に着用できる時計」(ベローニ)にすべく、ストラップの素材には肌触りの良い天然ラバーが選ばれた。また時計を薄くするため、ムーブメントにはETA製のクォーツが採用された。複雑な構造の薄いバックルも装着感を改善するためだった。

 投資額は当時の金額で約100万ドル。イタリア屈指の時計グループ、ビンダの創業家に生まれたクロッコにとって、出せない金額ではなかっただろう。しかし時計業界の景気が最悪だったこの時代、あえて新しい時計を作ろうとする企業家は、クロッコ以外存在しなかったのである。

(左上)ウブロを特徴付ける“耳”は、1980年の第1作から採用された。(右上)ベゼルはチタン製のビスで固定される。ウブロのロゴをデザインしたのは、イタリア人のデザイナーである、フランチェスコ・マリア・ヴィメルカーティ。彼はロゴを手がけたのみならず、カルロ・クロッコとエリック・ボネの手がけたプロトタイプを“ミニマル”なものに進化させた。(中)ケースサイド。この形状を実現するには、合計35回もの冷間鍛造を必要とした。ケース素材は当時珍しかった医療用のステンレス。ウブロは詳細を明らかにしないが、おそらくは304(18-8)ステンレスだろう。(左下)初代クラシックの完成度を物語るのが、弓管とケースのチリ合わせ。それぞれの部品は接合面を精密に切削した後、手で再仕上げして寸法を合わせたという。隙間のなさは、当時の高級機はもちろんのこと、現行の高級機にも勝る。このシンプルな時計が高級機とみなされた理由は、手作業で各部の寸法を追い込んだためである。なおストラップを強固に固定するため、ストラップのケース側とバックル側にはスティールのプレートが埋め込まれた。そのためユーザーがストラップの長さを調整するのは不可能である。(右下)スクリュー留めの裏ブタ。なおMDMとは、彼の妻となったマリー・ダニエル・モントレの略と言われている。