プロフェッショナル向けにもかかわらず、多くの人に支持される。そういった時計は、時計史の中でも決して多くない。1952年に発表されたパイロット向けのツール、ナビタイマーは、なぜ時計業界におけるアイコンとなったのか。半世紀以上にわたる歴史と、その新しい歩みを見ることにしたい。
広田雅将(本誌)、鈴木幸也(本誌):取材・文
[連載第45回/クロノス日本版 2018年5月号初出]
NAVITIMER [1952]
回転計算尺を備えた航空時計
1950年代に販売されたファーストモデル。丸い回転ベゼルの突起や、文字盤と同色のインダイアルといった特徴を持つ。また搭載するムーブメントは、ヴィーナス178もしくはバルジュー72だった。Ref.806。手巻き。17石。SS(直径41mm)。ブライトリング所蔵。
第2次世界大戦に従軍したパイロットが民間に転じた結果、1940年代半ば以降、アメリカの民間航空企業は急速な発展を遂げた。それを示すのがパイロットの数である。アメリカのパイロット協会であるAOPAに所属するパイロット数は、42年の12万9947名から、5年後の47年には43万3241名に増加した。アメリカでのアビエーションの盛り上がりを受けて、ブライトリングは販売代理店のワックマンとともに、ブライトリング・オブ・アメリカを設立する。
大戦中に教育を受けたパイロットには、ひとつの共通点があった。彼らはパイロット向けの回転計算尺、E-6Bの使い方をマスターさせられたのである。パイロットを急ピッチで養成した結果、第2次世界大戦中に、約40万枚のE-6Bが出荷されたといわれる。
アメリカにパイロットウォッチを売ろうとするブライトリングが、パイロットにとって不可欠なツールであった、E-6B付きの時計を作ろうと考えたのは当然だった。そして幸いなことに、42年の「クロノマット」で、ブライトリングは回転計算尺の小型化に関するノウハウを得ていた。
パイロット向けの回転計算尺、E-6Bの改良版を搭載したクロノグラフが52年発表の「ナビタイマー」である。AOPAは、ただちにこのクロノグラフを公式時計として採用し、ブライトリングは一躍、航空時計の第一人者とみなされるに至った。加えて当時の社長だったウィリー・ブライトリングは、精力的にナビタイマーの拡販に努めた。プロフェッショナルたちの高評価に押された彼は、17の航空会社に対してナビタイマーの売り込みをかけ、その多くが公式時計としてナビタイマーを採用した。同年、ブライトリングは本社をジュネーブに移転し、世界的な時計メーカーへと脱皮を遂げることとなるのだ。