〝至上〟の名を冠する腕時計
フランソワ-ポール・ジュルヌは如何にして高精度トゥールビヨンへと辿り着いたのか?
1999年発表の「トゥールビヨン・スヴラン」は、フランソワ-ポール・ジュルヌという気鋭の時計師に、世界的な名声をもたらした。称賛の理由は、ユニークなデザイン以上に、そしてトゥールビヨンであること以上に、高精度という課題に真っ向から向き合ったためだった。
なぜ今回、F.P.ジュルヌの「トゥールビヨン・スヴラン」を取り上げようと思ったのか。理由は、このトゥールビヨンの価値が、発表当時はもちろん、今なお、まったく減じていないからである。各社は毎年のように、ユニークなトゥールビヨンをリリースするようになった。それらの多くは魅力的だが、時計史という大きな流れで見ると、トゥールビヨン・スヴランを超える腕時計トゥールビヨンは、いまだに存在していないように思える。
1970年代以降から90年代半ばまで、野心的な独立時計師や時計メーカーがトゥールビヨンの〝再現〟に取り組み、機械式時計の復興にひと役買った。しかし、冷静に見ると、それらはまだ入念な作りを持つ工芸品でしかなかった。フランソワ-ポール・ジュルヌが82年に完成させた、初のトゥールビヨン懐中時計も同様だった。しかし、このマルセイユ生まれの独立時計師は、いち早くトゥールビヨン本来の目的であった精度に注目した。もしジュルヌが精度に目を向けなければ、トゥールビヨンは相変わらず工芸品に留まり続けたか、精度を追求する動きがあったとしても、もっと遅かったのではないか。
高精度トゥールビヨンの先駆者となったトゥールビヨン・スヴラン。後にジュルヌはこう語った。「トゥールビヨンはそもそも精度が出ないメカニズムだ。だからトゥールビヨン・スヴランに、定力装置のルモントワールを付けて精度を改善した」。彼の言葉通り、輪列の間に定力装置を持つトゥールビヨン・スヴランは、約40時間にわたって、280度という高い振り角をテンプに与え続ける。今でこそ長時間にわたって、テンプの高い振り角を維持できる高精度なムーブメントは少なくないが、その先駆けのひとつは、間違いなくトゥールビヨン・スヴランだった。
フランソワ-ポール・ジュルヌの設計には、ふたつの際立った特徴がある。ひとつはテンプの高い振り角を長時間維持する点。もうひとつは驚くほど簡潔な設計である。彼が、他の独立時計師や時計メーカーから抜きんでていたふたつの要素は、ジュルヌが91年に発表した初の腕時計トゥールビヨンと、その量産型である「トゥールビヨン・スヴラン」が示す通り、キャリアの最初期から変わっていない。
90年代の後半、ショパールのダニエル・ボロネージは、香箱の数を増やしてパワーリザーブを延ばすと、振り角が落ちにくいことに気づいた。同時期にルノー・エ・パピの技術者たちも、香箱の回転速度を上げると振り角が落ちにくいことを発見した。今や、どのメーカーもテンプの振り角を上げること以上に(一時期は330度が理想とされた)、落ちにくいことを重視するが、こういった思想は、2000年代以降に普及したものだった。
しかしそれ以前にも、振り角の維持を重視する設計者は存在した。ひとりはロレックスのエミール・ボラーである。彼は効率の良い自動巻きを使ってゼンマイのテンションを高くすれば、振り角を高く維持できると考えた。その帰結が、1931年の「パーペチュアル」である。同時期の時計メーカーは、自動巻きのメリットとして手巻き不要を掲げたが、ロレックスだけは、振り角の安定にいっそうの価値を見いだしていた。後にロレックスの自動巻きが優れた精度を獲得した理由である。
フランソワ-ポール・ジュルヌも同様だった。彼は、ダニエル・ボロネージより早くに、テンプの振り角を落とさない意味を理解し、91年の腕時計トゥールビヨンにルモントワールを加えてみせた。なお、それ以前にも定力装置のルモントワールを載せた時計は存在した。しかし、重要だったのはF.P.ジュルヌのルモントワールが、きちんと作動したことだった。つまりジュルヌの定力装置は、工芸的な装飾品ではなかったのである。
現代屈指の時計理論家であり、キクチ・ナカガワの創立者でもある菊池悠介は、トゥールビヨンにルモントワールを加えた意味を、次のように説明する。「トゥールビヨンは姿勢差誤差、つまり立等時性を改善する手段です。対してルモントワールは平等時性を改善する手段です。ジュルヌはこのふたつを盛り込むことで、精度を改善しようと試みた」。時計を立てた位置での精度を立等時性という。脱進調速機を強制的に回すトゥールビヨンは、理論上、立等時性を大きく改善する。そこにジュルヌは、平等時性、つまり横置き状態での精度を改善するため、ルモントワールを加えたのである。平等時性は振り角によって変わるため、振り角を一定に維持するルモントワールは有効な解決策になるはずだ。「平等時性を改善する機構は、主にフィリップスカーブ付きのヒゲゼンマイと、ルモントワールです。トゥールビヨン・スヴランの平等時性を改善すべく、ジュルヌはダメ押しで、さらにフィリップスカーブも付けた」(菊池)。
時計学校を卒業後、ジュルヌはパリにある叔父の工房で時計の修復を始めた。そんな彼を魅了したのは、トゥールビヨンという未知のメカニズムだった。「トゥールビヨンを作り始めたのは1977年のことだ。トゥールビヨン入りの懐中時計を買いたかったが、資金がないため自作せざるを得なかった。時計学校を出たばかりの時計師が、本だけを参考にトゥールビヨンを作ろうと考えたのだから、今思えば若気の至りだったと思うよ」(ジュルヌ)。5年後に完成したトゥールビヨンは、ブレゲというよりも、先達のジョージ・ダニエルズを思わせるものだったが、驚くべき完成度を備えていた。
その後、ある顧客(おそらくユージン・シュウィンド)が、ジュルヌにルモントワール付きの懐中時計を作るよう依頼した。彼はさまざまな文献を読み、ジョージ・ダニエルズが73年に製作して75年に販売したルモントワール付き懐中時計トゥールビヨン「ザ・グランド・エルソムⅡ」も研究した。当時のいきさつを、ジュルヌは本誌2017年11月号にこう寄稿している。「ダニエルズのルモントワールは私も熟知していたが、もっとシンプルな機構に改めるべきと考えた」。
テンプの振り角を落とさない定力装置にはふたつのタイプがある。ひとつは輪列の間に置かれた「ルモントワール」。もうひとつがテンプに近い位置に置かれる「コンスタントフォース」である。いずれも主ゼンマイのエネルギーを中間バネに蓄積し、その力だけを輪列経由でテンプに伝えるものだ。主ゼンマイのトルクが落ちても、テンプの振り角は変わらないため、平置き時の精度、つまり平等時性は大きく改善される。
理論上、定力装置がテンプに近ければ近いほど振り角は安定する。そのため大半のコンスタントフォースは、定力装置をガンギ車の上に重ねている。テンプの振り角は安定するが、ガンギ車が重くなるため精度は不安定になりやすい。また、このコンスタントフォースを脱進機とテンプをキャリッジにまとめたトゥールビヨンに載せると、キャリッジは重くなり、精度は悪化してしまう。
ジュルヌは、テンプに近い位置に定力装置を置くことが、振り角を安定させる鍵と理解していた。しかし、同時にガンギ車に重ねるコンスタントフォースはキャリッジの重さを増し、精度を悪化させることも理解していた。ジュルヌはこう語る。「重くなったトゥールビヨンは、定力装置を付けても何の意味もなさないだろう。そのため私は、脱進機付近ではなく、トゥールビヨン外側の輪列にルモントワールを配置した」。その設計は、類を見ないほど簡潔なものだった。F.P.ジュルヌの個性であるシンプルな設計は、ここに成立したといってよさそうだ。「クラシカルでない、新しいメカニズムは、私自身の表現だと思っている。古典をそのまま模倣するのは、私らしくないからね」(ジュルヌ)。
2013年、ジュルヌは筆者に、シンプルで、まったく新しいルモントワールに至った経緯を次のように語っている。
「私にトゥールビヨンを注文した顧客は、ジョージ・ダニエルズのことも、ルモントワールが何なのかも理解していた。ルモントワールを作るなら、シンプルで機能性が高いものにすべきと思っていたが、着想の糸口さえ見つからなかった。(板バネを使った)あのルモントワールは急に思い付いたものだ。注文をもらい、プレゼンテーションまでに考えれば大丈夫だと思っていたが、発表当日の10時、11時になってもアイデアがまとまらない。いよいよ間に合わないと思ったが、昼に新しいルモントワールのアイデアを思い付き、完成させることができた。〆切り直前になって、いきなり原稿を書くようなものだった」
ジュルヌの天才ぶりは、ルモントワールの構成を見れば分かる。既存のルモントワールは、主ゼンマイの力を蓄える中間バネに、ほぼ例外なくヒゲゼンマイを使ったものだった。厚みは増すうえ、トルクロスも大きく、バネ力を蓄えるシークエンスも長いが、バネの調整は容易だ。対してジュルヌは、調整は難しいものの、トルクロスが小さく、部品点数の少ない板バネ式のルモントワールを採用したのである。後にF.P.ジュルヌは、このルモントワールを改良し、バネ力を蓄えるシークエンスを1秒に縮めることで、精度を高めた。「コンスタントフォースは毎回の衝撃のたびに、脱進機に内蔵した中間バネを巻き上げる。そのため出力するトルクは一定だ。対してルモントワールは数回の衝撃後に中間バネを巻き上げるため、中間バネのトルクは一定でなくなる。しかし、コンスタントフォースに同じく、中間バネの巻き上げを1秒周期にすると、衝撃時のトルクは安定し精度は向上するだろう。トゥールビヨン・スヴランのルモントワールを、懐中時計向けの5秒周期から、1秒周期に改めた理由だ」。
筆者の知る限り、板バネを使ったルモントワールは、18世紀半ばにオーギュスト-ルシアン・ヴェリテが手掛けている。しかし、前述のエピソードが示す通り、ジュルヌはヴェリテのルモントワールを知らなかったようだ。つまりジュルヌは、その天才ぶりをもって、簡潔な板バネ式のルモントワールに至ったわけだ。「輪列に差し込めるルモントワールは、脱進機に載せるコンスタントフォースに比べて小さくできる。そのためスペースはさほど必要なく、どのような時計にも搭載できる。レゾナンス同様、ルモントワールはF.P.ジュルヌブランドの強みだと考えている」。
〆切り直前になって、いきなり原稿を書くようなものと彼は述べたが、シンプルな板バネ式のルモントワールには、ジュルヌの経験が色濃く反映されている。「私の設計が簡潔に見える理由は、1980年代に、すべての部品を手作業で作ったからだろう。多くの人は、時計の組み立てに時間がかかると考える。しかし、部品を作るほうがずっと手間だ。トゥールビヨンを例に挙げると、部品の製造だけで300日かかった。自分で部品を作るならば、いかにして減らすかを真剣に考えたくなるだろう?」(ジュルヌ)。ちなみにこれが、F.P.ジュルヌの時計が、モデルを問わず同じケースを持つ理由でもある。第1作のトゥールビヨンを作る際、ジュルヌは世間に、ケースメーカーが存在することさえ知らなかったという。ケース作りに懲りた彼は、以降、ケースを共有することを決め、それにフィットする薄いムーブメントを作ろうと考えた。そんなジュルヌの手掛けるムーブメントは、当然簡潔なものになるだろう。
トゥールビヨン・スヴランの意義を、もう少し述べたい。ジュルヌがトゥールビヨンを手掛けた80年代当時、トゥールビヨンを作ること自体がひとつの目的だった。事実1801〜1980年まで作られたトゥールビヨンは、異説も多くあるものの、約750個に過ぎないと言われている。いわばロストテクノロジーだが、ジョージ・ダニエルズに続いて、デレク・プラットやアンソニー・ランデル、ダニエル・ロート、フランク・ミュラーといった時計師たちが、自らの力量を試すべく、トゥールビヨンの製作に取り組んだ。
彼らが卓越したトゥールビヨンを作り上げた後、一部の時計師やメーカーは、その小型化に取り組んだ。先鞭を付けたのは、フランク・ミュラーである。彼はトゥールビヨンを、女性用の腕時計に載せられるほどコンパクトにし、後に大きな影響を与えた。
しかしこの時代、トゥールビヨン本来の目的である精度が真摯に追求されたとは言いがたい。まずトゥールビヨンが認められたのは、その工芸的な価値であり、機能ではなかったのである。ジュルヌのトゥールビヨンがコレクターたちに称賛された理由も、やはり工芸的な価値があればこそだった。しかし、ジュルヌはトゥールビヨンに、工芸性よりも機能性を与えようと考えたのである。「時計そのものが職人芸だ。だから時計そのものに工芸的な要素を足す必要はない」(ジュルヌ)。
もっとも、彼が漏らしたとおり、トゥールビヨンは精度が出るメカニズムとは言いがたかったし、腕時計ではなおさらだった。40年代以降、オメガなどが腕時計トゥールビヨンで天文台コンクールに挑んだが、その結果は芳しくなかった。以降各メーカーは、トゥールビヨンで高精度を追求することを諦め、より大きなテンワと、60年代以降は高振動化で精度の改善を図ることとなった。もっとも脱進機とテンプをひとまとめにし、それを強制的に回すトゥールビヨンは、立姿勢で使われる懐中時計には意味があった。というのも、立等時性を改善できたからである。しかし、トゥールビヨンがあっても平等時性は改善されなかったし、姿勢がひんぱんに変わる腕時計の場合、重いキャリッジは、むしろデメリットにしかならなかった。かのルードヴィヒ・エクスリン博士が「腕時計にトゥールビヨンは必要ない」と断言した理由だ。
ちなみに、現在のトゥールビヨンは、かなりの精度が出るようになっている。しかし、精度が上がった大きな理由は、部品の加工精度が上がり、キャリッジのバランスを取りやすくなったためだった。また、優れた時計師たちが、時間をかけて調整することも、大きな理由と言える。つまり、機構は変わらなくても、対症療法で精度が出せるようになったわけだ。そう考えると、ルモントワールで平等時性の改善を図ったジュルヌは、他よりはるかに先んじていた、といえるだろう。筆者個人は、トゥールビヨンの歴史は、ジュルヌ以前とジュルヌ以降で大きく分かれる、と考えている。グルーベル フォルセイのように、機構で精度を改善する動きが生まれたのも、ジュルヌのトゥールビヨン・スヴランがあればこそではなかったか。
かつて、工芸品だったトゥールビヨンは、今や工業的に作れるようになった。また、工作機械の進歩は、「そもそも精度が出ない」トゥールビヨンに、クロノメーター級の精度をもたらそうとしている。好きか嫌いかはさておき、それが進歩であることは間違いない。
しかしだからこそ、かつて工芸品でしかなかったトゥールビヨンに、本来の高精度化という目的を蘇らせたトゥールビヨン・スヴランの意義は、どれほど強調してもしすぎることはないだろう。今なお、この時計を超える腕時計トゥールビヨンは存在しないし、これからもそうである。