グランドセイコーとクラウンの間を埋める高級機としてリリースされた、初代キングセイコー。小径かつロービートという手巻きムーブメントはキングセイコーに大きな制約を与えたものの、1960年代を通して、このコレクションは大きく進化した。非常にユニークな成り立ちを持つキングセイコーの歴史を初号機から振り返りたい。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版2021年3月号初出]
諏訪精工舎製のマーベル、GSを意識したミドルレンジの最高峰
1960年代のセイコーを代表するのが、グランドセイコーとキングセイコーである。日本製の高級時計として、このふたつはしばしば比較もされてきた。しかし、その生い立ちもたどった方向性も、グランドとキングはかなり異なる。1960年代のキングセイコーの歩みを、グランドを含めて振り返りたい。
1950年代以降、急激な発展を遂げた日本の時計産業。牽引したのは服部時計店(以下セイコー)であり、もっと言えば、セイコーのふたつの製造会社である諏訪精工舎およびその前身の第二精工舎諏訪工場(現セイコーエプソン)と、第二精工舎亀戸工場(現セイコーウオッチ)の熾烈なつば競り合いだった。この2社は、毎年のように新しいムーブメントをリリース。それはさまざまな新作をもたらしただけでなく、結果として、日本時計産業の水準を大きく高めたのである。その象徴とも言えるのが、主に諏訪精工舎の携わったグランドセイコーと、第二精工舎が主導したキングセイコーだった。
日本の機械式時計が世界的な水準に達したのは、諏訪精工舎が56年に完成させたセイコー「マーベル」だった。全く新しいムーブメントを持つ本作は、通商産業省(当時)の開催した57年の「国産時計品質比較審査」で、1位から5位を独占。加えて10位以内に7個が入賞したのである。
それ以前、諏訪精工舎は小型のムーブメントしか持っていなかった。しかし新規設計のマーベルは、地板のサイズを25.6mm(11と4分の1リーニュ)に拡大。併せてテンワを拡大することで、テンプの慣性モーメントは2300mg・㎟にまで増えた。これは「スーパー」の1432mg・㎟に比べると、約1.6倍大きいものだった。優れた性能を持つマーベルは市場で人気を集め、わずか3年で約166万3000個が製造される大ヒット作となったのである。
マーベルの成功に刺激された第二精工舎は、58年5月に新しいムーブメントを載せた「クロノス」を完成させた。ムーブメントの直径はマーベルに同じく25.6mm(11と4分の1リーニュ)。しかしチラネジのないスムーステンプの採用により、テンプの慣性モーメントはマーベルにほぼ同じながら、重さは約40%減少した。これにより携帯精度はさらに向上。また、ムーブメントの厚みも、マーベルに比べて0.4mm薄い4mmとなったのである。
翌59年3月、諏訪精工舎は対抗策として、さらに大きなムーブメントを載せた「クラウン」を開発。スムーステンプに変えることで、テンワの直径はマーベルより40%近く拡大し、テンプの慣性モーメントは3500mg・㎟に増えた。ちなみに、この高性能なクラウンをベースに一層の高精度化を図ったのが、60年12月発売の初代「グランドセイコー」だった。毎年のように繰り広げられたムーブメントの大径化、つまりはテンプ慣性モーメント増大は、59年のクラウンで一段落した。対して第二精工舎は、さらなる大径化で対抗するのではなく、薄型化と小型化を志向するようになった。その表れのひとつが、60年3月発売のセイコー「ゴールドフェザー」である。薄型化で先行するシチズンを超えるべく、ムーブメントの厚みはわずか3mm。これは、手巻きのセンターセコンドモデルとして当時最も薄いものだった。
こちらは1961年の初代キングセイコー。写真の個体は61年8月製造の最初期型だが、秒針が太くされた。おそらく1964年まで製造。Ref.J14102E。手巻き。25石。1万8000振動/時。おそらく洋白+金張り(直径35mm)。防水。販売当時の価格1万5000円。
薄型化と小型化を目指す第二精工舎。そんな同社の在り方を象徴するのが、61年9月に発売された初代キングセイコーだった。立体的な造形を持つ初代グランドセイコーに対して、初代キングセイコーは薄く、細く見えるデザインに特徴があった。
初代キングセイコーのムーブメントは58年のクロノスをベースにしたものである。直径25.6mm(11と4分の1リーニュ)でテンワも同サイズ。つまり理論上の基礎体力は、直径27.6mm(12リーニュ)のムーブメントを持つグランドセイコーには及ばない。しかし、クロノスのムーブメントは、グランドセイコーのベースになったクラウンよりもわずかに薄かった。セイコーが、そのメリットを強調するデザインを与えたのは当然だろう。
秒針規制付きのKSKにカレンダーを加えたモデル。リュウズは二段引きとなり、日付早送り機構が備わった。1965年発売。手巻き(Cal.4402A)。25石。1万8000振動/時。SSもしくはSS+金張り(直径36.7mm)。防水。販売当時の定価1万5500円(SSモデル)。
もっとも、第二精工舎は、グランドセイコーに及ばないまでも、可能な限りの高精度化に努めた。その改良点は、初代グランドセイコーにほぼ同じ。香箱の上下には穴石が追加され、緩急針も微調整が可能なものに変更され、ヒゲ持ちはビートエラーの調整ができる可動式となったのである。
初代キングセイコーに諏訪精工舎のノウハウが移転されたのかは分からない。しかし、50年代半ば以降、諏訪精工舎と第二精工舎はライバルでありつつも、協力関係にあったと思えば、ありえない話ではなさそうだ。事実、60年には、マーベルの廉価版である「ローレル」の製造が、諏訪精工舎から第二精工舎に移管され、後にはキングセイコーの自動巻きを諏訪精工舎が、逆にグランドセイコーの手巻きを第二精工舎が製造するようになる。
ともあれ以降のキングセイコーは、直径25.6mmという「小さなムーブメント」で、いかにしてグランドセイコーに追いつくかが課題になったと言ってよい。同社があえてムーブメントを大きくしなかった理由はおそらくふたつある。ひとつは製造体制。61年10月に、第二精工舎は千葉県市川市に「第二精工舎大野工場」(現セイコーインスツル大野事業所)を完成させた。500台の自動工作機械に加えて、2交代制を導入したこの部品製造工場は、極めて高い生産性を誇った。生産性をさらに高めるには、ムーブメントのサイズは揃えたほうが良い。あくまで仮説だが、第二精工舎の男性用手巻きムーブメントの多くが、直径25.6mmというサイズと、1万8000振動/時という決して高くはない振動数に留まった理由だろう。
キングセイコーの最高傑作が、手巻きの45系を載せた「45キングセイコー」である。地板を27.6mmに拡大。巨大なテンプを3万6000振動/時で回すことで際立った精度を得た。手巻き(Cal.4500A)。27石。SSもしくはSS+金張り。防水。販売当時の定価1万6000円。
もうひとつの理由は、アメリカ市場である。アメリカは輸入される時計の税金を、ムーブメントの直径と石数、調整数で決めていた。そして直径25.6mmを超えた多石のムーブメントはかなり高い税率を課せられた。そういった背景を考えれば、アメリカへ輸出を意識した第二精工舎が、ムーブメントサイズを抑えたのは当然かもしれない。
「小さなムーブメント」という制約を持ちながらも、高精度化に努めた第二精工舎。その試みが初めて実ったのは、1964年9月の「キングセイコー クロノメーター」だった。なおグランドセイコー同様、これは公式のクロノメーターではなく、あくまでもクロノメーター検定に準じたテストをクリアしたものである。しかし、クロノメーターを謳うだけあって、このモデルは非常に優れた精度を持っていた。もっとも、差別化のためグランドセイコーのような個別の証明書は付いていなかった。
しかし、キングセイコー クロノメーターはわずか2年で生産中止となった。あくまで推測だが、2万4000円(SS側)という価格が上位機種の「グランドセイコー セルフデータ」(2万7000円)並みに高くなったためだろう。対してセイコーは、同じムーブメントを持つ廉価版の「キングセイコー KSK」(65年)と、高級版の「44グランドセイコー」(67年)をリリースした。前者はキングセイコーの在り方を定めたモデルであり、後者は1万8000振動/時でありながらも、当時の最高精度レベルに達した野心作だった。
キングセイコー初の自動巻きモデル。ムーブメントの製造は諏訪精工舎である。自動巻き機構にリバーサーを採用することで、直径25.6mm、厚さ4.2mmを実現した。自動巻き(Cal.5625)。25石。2万8800振動/時。SS。防水。販売当時の定価2万3000円。
もっとも、精度への追求は67年以降再び加速する。諏訪精工舎は3万6000振動/時のムーブメントを持つ「ロードマーベル 36000」を完成。これは、クラウン用ムーブメントの設計をほぼ変えることなく、振動数だけを倍に高めた高精度機だった。対して第二精工舎は同年に女性用のムーブメントを10振動/秒化。さらに68年には全く新しいムーブメントを持つ「45グランドセイコー」を完成させた。長年第二精工舎を支えてきたクロノスの設計から大きく進化し、10振動/秒やオフセット輪列といった新しい要素が採用されたのである。同年、このムーブメントはキングセイコーにも転用され、瞬間日送りを追加した「45キングセイコー」として発売された。あくまで個人的な意見だが、同年に諏訪精工舎が完成させた自動巻きのキャリバー6139と、第二精工舎が開発した手巻きのキャリバー45系は、国産機械式ムーブメントの双璧といってよい。
また同年には、諏訪精工舎製の56系キャリバーを搭載した「56キングセイコー」も追加された。既に存在する61系自動巻きとの違いは主に薄さ。手巻きムーブメントの上にマジックレバーを重ねた61系に対して、56系は純然たる自動巻き専用機だったのである。
この時期になると、グランドセイコーは諏訪精工舎、キングセイコーは第二精工舎という区分はあいまいになり、むしろ自動巻きは諏訪精工舎、手巻きと女性用は第二精工舎という風に分けられるようになった。またこの時代、グランドセイコーとキングセイコーのキャラクターも明確に切り分けられた。「セイコーセールス特別号」(69年6月)によると、グランドセイコーは3万6000振動/時と連続360時間のテストに耐えた、世界のトップをゆく一級品。対してキングセイコーは、ハイビートを採用した精度と風格のある時計。もっとも、68年にセイコーは公式のクロノメーター検定を通した、「本物」のキングセイコー クロノメーターをリリースしており、この時点で、両者に大きな性能差はなかった、と考えてよいだろう。
しかし、70 年代に入ると、セイコーはクォーツへのシフトを明確にした。75年にはグランドセイコーとキングセイコーが製造中止。80年代には、後継機の「グランドクオーツ」と「キングクオーツ」も廃止となった。以降セイコーは、キングセイコーの復刻版をリリースするも、その存在は長らく忘れ去られたままだった。その本格的な復活は2021年を待たねばならない。
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