発表時には「まるでA.ランゲ&ゾーネらしくない」と酷評されたツァイトヴェルク。しかし瞬時切り替え式のデジタル表示を持つ本作は、他にはない審美性と高い実用性で、たちまち愛好家の心をつかんだ。実は、古典に根差した設計を持つ本作。その強いトルクはやがてA.ランゲ&ゾーネの多機能化を促すきっかけともなったのである。今回はそのユニークな成り立ちと歩みを振り返ることにしたい。
広田雅将(本誌):文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2021年11月号掲載記事]
ZEITWERK
定力装置が成し遂げた時分表示の新解釈
世界初の瞬転式時分デジタル表示を持つ腕時計。発表は2009年だが、今なおその存在感は圧倒的。操作系の感触も極めて良好だ。手巻き(Cal.L043.1)。68石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約36時間。18KPG(直径41.9mm、厚さ12.6mm)。3気圧防水。991万1000円(税込み)。
2009年にリリースされた「ツァイトヴェルク」は、機械式時計ながらも、デジタル式の時分表示を備えた時計だった。過去にもこうした機械式のデジタル腕時計は存在したが、時分の瞬時切り替えを盛り込んだことがツァイトヴェルクの新しさだった。A.ランゲ&ゾーネCEOのヴィルヘルム・シュミットが、「機械式であること以外のすべてに、疑問を投げかけながら開発をするような、革新的で、時にラディカルな設計アプローチ」と本作を評したのも納得だ。
ツァイトヴェルクというデジタルウォッチは、9時位置に「時」、3時位置に「分」の表示を持っている。そして数字を記した大きな回転ディスクを進めることで、時間を示す。重いディスクを、しかも瞬時に動かすには、非常に大きなトルクが必要になる。そのため、普通の機械式時計に載せると、精度は維持できない。対してツァイトヴェルクは、時計を動かすトルクと時間表示を動かすトルクを切り分けることで、重い回転ディスクを動かす瞬間でも、精度を安定させたのである。そこで採用されたのが、定力装置のルモントワールだった。
後に設計部門の責任者を務めたティノ・ボーベはこう語った。「輪列にルモントワールを挟むと、表示用のトルクと、テンプを回すためのトルクを別々にマネージメントできます。その結果、複雑時計であっても性能は落ちにくくなるのです」。後にA.ランゲ&ゾーネのお家芸となった、ルモントワールを載せた高精度な複雑時計。その先駆けとなったのが、約31日巻きを実現させた07年のランゲ31であり、瞬時切り替えのデジタル表示を持つ、ツァイトヴェルクだったわけだ。このモデルが切り開いたのは、新しいデジタル表示以上に、A.ランゲ&ゾーネの新しい未来だった、と言えるかもしれない。
細かな熟成改良を繰り返してきた
ツァイトヴェルクの基礎骨格
しばしば「A.ランゲ&ゾーネらしからぬ」と評されてきた、ツァイトヴェルクのデジタル表示。しかし、このメカニズムは、他のA.ランゲ&ゾーネに同じく、古典に深く根差した設計を持つ。では、A.ランゲ&ゾーネの技術者たちは、いかにしてこれを現代の腕時計に搭載し、改良したのか?
ルモントワールを使って、時計を動かす輪列と、時間を表示する輪列を切り分けた試み(ドイツ特許102009019335)。前者の動力は香箱→2番車→3番車→4番車→ルモントワール→追加4番車→脱進機→テンプと流れる。一方の表示輪列は、3番車から分表示機構→10分表示機構→1時間表示機構と流れる。巨大な回転ディスクを固定するのは、なんと部品の噛み合いのみ。
瞬時に回転する数字ディスクで、時刻をデジタル表示するツァイトヴェルク。ムーブメントの設計に大きく関与したのは、後にモリッツ・グロスマンに籍を置き、現在はラング&ハイネのディベロップメント・ディレクターとなったイェンス・シュナイダーだった。彼はかつて、その詳細を説明してくれたことがある。
「この時計の開発当初は、ふたつのムーブメントを持つデュルシュタインの歴史的な設計を踏襲するか、それとも新しいコンセプトのどちらかにしようという議論がありました。後者を押し通せたのは幸運でしたね」。開発中にはふたつの目標が設定された。時間表示は可能な限り大きくしつつ、その切り替えで時計の精度に影響が出ないことである。開発チームが至ったのは、時計を動かすトルクと時間を表示するためのトルクを切り分ける、ルモントワールだった。
「ルモントワールを使うという発想は、かつての塔時計から得ました。これらの時計では、嵐や雨、氷などが針に大きな力を与えて、表示を変動させます。そのためムーブメントと針はルモントワールで分離されていることが多かったのです。ですが、振動や衝撃にさらされる腕時計に同じアイデアを用いるためには、追加機構が必要でした」。デジタル表示を瞬転させるアイデアも、やはり古典に由来するものだ。
「実はIWCのパルウェーバーを含め、懐中時計時代の機械式デジタル時計は、すべて瞬転式でした。動きの遅いデジタルディスプレイが、安価なソリューションとして存在したのは、1970年代に登場したクォーツ式のデジタルウォッチに追いつこうとした時だけです」。腐心したのは、ふたつのトルクを切り分ける、ルモントワールの設計だった。
「どのルモントワールも、主ゼンマイの発するトルクがサブのヒゲゼンマイの出力するトルクよりも大きい限り、機能します。主ゼンマイのトルクが小さくなると、サブのヒゲゼンマイには完全なテンションがかからなくなるため、通常のムーブメントのように動き続けます。そのルモントワールの問題とは、正しく巻かれていないと、制御が同期しなくなることです。そこで、主ゼンマイのトルクが弱くなる前にムーブメントを止めるため、香箱の上に巻き止めを追加しました。しかし、それだけでは不十分なので、パワーリザーブ表示を動かす歯車が、テンプを停止させるレバーを作動させるようにしました」。時分のデジタル表示にも、抵抗を減らすアイデアが盛り込まれた。ツァイトヴェルクでは、普通のデジタル表示に使われる、位置決めスプリングが存在しないのである。
「摩擦をできるだけ少なくするために、すべての回転ディスクはその位置に固定されているだけです。つまり、位置決めをするためのスプリングがないのです。しかし、そのためには、部品を正確に調整する必要があります。仮に部品の配置に遊びがあるほど、窓の中で数字が完全にまっすぐにならない可能性が高くなります。歴史的なデジタル式の懐中時計も同じような仕組みを採用していましたが、廉価な時計が多かったため、窓の中の数字は決して正しい位置には収まらなかったのです。一方A.ランゲ&ゾーネでは、同僚たちが非常に良心的な仕事をしているので、そこに気付く人はほとんどいないでしょう。なお、表示が切り替わる直前になると、プレソリューション、いわゆる警告として時分表示が動作します。切り替わる数秒前に、ディスプレイが一瞬動くのが見える場合もありますね」
そんなツァイトヴェルクの最新版が、2019年の「ツァイトヴェルク・デイト」である。既存のツァイトヴェルクに日付表示を足しただけに見えるが、中身は全く別モノだ。瞬時送りの日付表示を加えるために、A.ランゲ&ゾーネは設計を根本から変えたのである。
外観上はL043.1にほぼ同じだが、大幅に性能を高めたのがL043.8だ。パワーリザーブが約倍近くなったほか、ルモントワールの効率が改善された結果、テンプの振り落ちが小さくなった。またカレンダー機構も壊れにくい。
ツァイトヴェルクが載せるL043.1は、香箱の上に〝巻き止め〞が備わっている。対してツァイトヴェルク・デイトのL043.8は、巻き止めをやめ、その代わりに主ゼンマイを上下に2枚重ねたダブルバレルを採用した。その結果、パワーリザーブは約36時間から約72時間と、2倍近くに延びた。
見直しは香箱に限らない。L043.8の設計時にその中心にいたロバート・ホフマンは次のように説明する。「ツァイトヴェルク・デイトのルモントワールは、時間と日付を切り替えるタイミングで、主ゼンマイのトルクの70〜80%を消費します。そのため、今回は機構全体の抵抗を減らし、ルモントワールのバネもわずかに弱くしたほか、そのタイミングを延ばしました」。
時間がすべて切り替わる際、ツァイトヴェルクのテンプは、振り角が最大30度近く落ちたという。理論上は振り角が安定するにもかかわらず、瞬時切り替えのデジタル表示は、かなりのトルクを消費したわけだ。対してツァイトヴェルク・デイトは、時間と日付と曜日が同時に切り替わるタイミングでも、振り角は6〜8度しか落ちない。また、抵抗が減った結果、表示が切り替わる直前の動きも目立たなくなった。なお、トルクの消費を抑えるため、テンプの慣性モーメントは21mg・㎠から17mg・㎠に小さくされた。理論上、このモデルの精度は落ちてしまうはずだが、テンプの振り角が安定したため、実際はツァイトヴェルクと同じか、むしろより良くなったのである。あくまで著者の私見だが、全面的に〝省エネ化〞を図ったL043.8は、ルモントワールに取り組んできたA.ランゲ&ゾーネの集大成だろう。
瞬時切り替えの時分表示だけでなく、瞬時切り替えの日付表示まで備えたツァイトヴェルク・デイト。次ページでは、そのユニークな機構を見ていきたい。
ZEITWERK DATE
最高のセキュリティを備えたカレンダー表示モデル
ツァイトヴェルクの10周年を祝う大作。日付表示は瞬時送り、早送り、時間表示に連動して逆戻しが可能。現時点で最も完成されたカレンダー機構を持つ時計だ。手巻き(Cal.L043.8)。70石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約72時間。18KWG(直径44.2mm)。3気圧防水。1196万8000円(税込み)。
現時点における、ツァイトヴェルクの完成形が「ツァイトヴェルク・デイト」と言ってよい。時分だけでなく、日付表示も瞬時に切り替える本作は、機構のユニークさが際立っている。瞬時に動く1時間リングには12時間で1回転する12時間リングが噛み合っており、いずれも瞬時に動く。そして中間車を介して12時間リングに噛んだ日付リングも、合わせて瞬転する。一切のタイムラグがなく、すべての表示が切り替わる様は、壮観というほかない。
一般的な瞬時切り替えの日付表示のように、数時間かけて日付を送るバネにトルクをためる必要がないツァイトヴェルク・デイトには、日付操作の禁止時間帯がほぼ存在しない。厳密にいうと、日付が切り替わる瞬間だけは日付を戻せないが、その時間は極めて短いのである。新しいツァイトヴェルクは、時計業界では不可能と考えられてきたカレンダーの瞬時切り替えと逆戻しの両立を、ほぼ完全な形で実現したのである。加えて日付表示の早送り機構は、プッシュボタンを押した力で日付表示を送るのではなく、押す力は、カレンダーを固定するバネのテンションを解消するだけである。テンションが外れると、押した力ではなく、バネの力だけでカレンダーは早送りされる。開発を担当したアントニー・デ・ハスは、誰が触っても壊れないカレンダー機構を作りたかったと述べる。
機構が増えたにもかかわらず、ツァイトヴェルク・デイトは装着感も改善された。ケースの厚さは、ツァイトヴェルクに比べて0.3mm薄い12.3mm。わずかな違いに思えるが、良好な着け心地は、A.ランゲ&ゾーネの成熟を反映したものだ。正直、普通のカレンダーウォッチと考えれば、ツァイトヴェルク・デイトの価格は決して安くない。しかし、日付表示の付いた機械式時計の中で、これほど完成度の高いものは稀だろう。
https://www.webchronos.net/features/65507/
https://www.webchronos.net/features/37640/
https://www.webchronos.net/features/67567/