2005年に発表されたブレゲ「トラディション」は、実用性とブレゲらしい審美性を両立させようと考えた、ニコラス G. ハイエック肝煎りのプロジェクトだった。彼亡き後も、ブレゲの開発チームはこの困難な課題に取り組み、今やトラディションを、一大コレクションへと成長させた。その歩みを、省スペースという観点から見ていこう。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2022年1月号掲載記事]
古典ブームの頂点に訪れた2005年の衝撃
腕に巻くスースクリプション
スウォッチ グループの買収後、豊かな歴史とコンプリケーションを強調するようになったブレゲ。そんな新生ブレゲを象徴するコレクションが、2005年発表のトラディションである。往年のスースクリプションに範を取ったそのデザインは、古典を超えた魅力に満ちている。
シンメトリーなデザインや、パラシュート式の耐震装置などを備えた2005年のモデル。手巻き(Cal.507DR)。34石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約50時間。18KYG(直径37mm、厚さ11.8mm)。30m防水。参考商品。
当時のインタビューを読み込み、その言動を追った限りで言うと、1990年代後半のニコラス G. ハイエックは、ウォッチビジネスに対する情熱を失っていたように思える。彼が注力していたのは、ダイムラー・ベンツとの合同事業であるコンパクトカー「スマート」や、後年のスマートウォッチのような、より多くの人々に届くプロダクトだった。
バーレーンの投資会社であるインベストコープが、エベル、ショーメ、ブレゲ、そしてムーブメントメーカーのヌーヴェル・レマニアをまとめて売却するというニュースを聞いた時も、ハイエック・シニアは積極的ではなかったようだ。彼はブレゲとヌーヴェル・レマニアにのみ、より正しく言うと、ひとつのムーブメントにしか興味を持たなかったのである。当時はジャーナリストだったバスティアン・バス(後にスウォッチ グループの広報担当者となる)は理由を次のように記した。「(買収の目的は)オメガのスピードマスターにムーブメントを供給しているヌーヴェル・レマニア社を手に入れることだった。このムーブメントメーカーが競争相手の手に渡ることは考えられなかった」(『EuropaStar』 2009年3月号/4月号より。以下すべて同)。
デザイン面でも時計の在り方を変えたアブラアン-ルイ・ブレゲ。予約(スースクリプション)方式で販売した1本針の時計は、シンメトリーなレイアウトに特徴があった。本作は1809年に販売されたスースクリプションの「No.2292」である。
ハイエックはブレゲとヌーヴェル・レマニアを買収。インベストコープは残ったエベルとショーメを、ラグジュアリーグループのLVMHに売却している。ハイエック・シニアとしては、伝説的なキャリバー861を独占した気分だったのだろう。
もっとも彼が、当時のブレゲに価値を見いだせなかったのも理解できる。インベストコープの下で、ブレゲの売り上げの大半を占めていたのは、レマニア製の自動巻きクロノグラフを載せていた「タイプXX」であり、高価な複雑時計や、ましてやトゥールビヨンは皆無に近かった。当時のブレゲCEO、フランソワ・ボデの販売価格を極端に上げるという戦略は、そのプレステージを上げるのには役立ったが、売り上げの足を引っ張り続けたと言えるだろう。ハイエック・シニアは「ブレゲという真珠を掌に収めていることに気づいたのは、後になってからだった」と率直に述べている。
しかし、ブレゲに魅せられたハイエック・シニアは、ブレゲのCEOになりたいというジャン-クロード・ビバーの申し出を断り、自ら立て直しに取り組んだ。販売価格を引き下げることで競争力を取り戻す一方で、ブレゲ用のムーブメントを製造するヌーヴェル・レマニアに投資し、ハイコンプリケーションとトゥールビヨンに重点を置くようになったのである。また、著名な顧客と文学的な引用を多用したキャンペーンで、ブレゲの豊かな歴史がより強調されるようになった。
結果は驚くべきものだった。顧客たちはスポーツウォッチ以外のブレゲに目を向けるようになり、巨額の投資はヌーヴェル・レマニア(後のマニュファクチュール・ブレゲ)の生産性と品質を、それこそ劇的に改善したのである。買収からたった10年でブレゲは、超優良企業に変貌していた。当事者であるハイエック・シニア自身が「正直なところ、今日のような状況になるとは思ってもいなかった」と述懐したのも当然だろう。
もっとも、ハイエック・シニアの熱中ぶりは、企業統治に限らなかった。彼は自ら新コレクションの開発にも取り組んだのである。それが2005年に発表された「トラディション」である。往年の「スースクリプション」に範を取ったこの新コレクションは、ユニークな外観を持つだけでなく、買収後のハイエックが強調するようになった、ブレゲの長い歴史とも合致するものだった。トラディションのユニークさは、時代遅れと見なされていた19世紀のデザインに注目したことだ。ハイエック・シニアは、ブレゲの好んだシンメトリーな造形が、普遍的な価値を持っていると喝破していたのである。同社が造形の維持にどれだけ気を配ったかは、わざわざこのモデルのために、新しい耐衝撃装置を開発したことからも明らかだ。また、表面を荒らしたグルネイユ仕上げも忠実に再現された。
発表当時、彼はバスに対して「トラディションは、私が最初から作りたかった時計だった。多くの人は(このスケルトンの時計に対して)ボンネットのない車を市場に出すようなものだと言った。対して私は、いや、細かい部分の作り方を理解すれば、ヒット商品になると反論した」と述べている。「ブレゲはそんなことをやらなかったとも言われた。しかし私は、これがやるべき理由のひとつだと答えた。私たちは、ブレゲ自身がやったことを再現するだけではなく、新しいこともやる。というのも、私たちには、彼と同じくらいの天才がいるからだ」。ハイエック・シニアは明示しなかったが、彼(ブレゲ)と同じぐらいの天才とは、自身のことではなかったか。
「ヨーロッパの大手小売店に(トラディションを)展示したところ、素晴らしいという手紙をもらった。あなたがしたことの中で最も素晴らしいことだ、というメッセージももらった。顧客たちの興奮を目の当たりにして、私はこれを新たなファミリーに加えようと決めた。ラ・トラディションはヒット商品になるだろう」
ハイエック・シニアがどれほどトラディションに魅せられていたかは、公示された特許資料に明らかだ。ブレゲがトラディション向けに開発したデタント脱進機(2003年)の開発者名には、モントル・ブレゲと並んで、なんとニコラス・ジョルジュ・ハイエックの名前が記されている。彼が、機械式時計の機構の開発者として名前を連ねたのは、この脱進機と、ブレゲ向けのフリースプラングテンプのみ。彼はトラディションに、自らの思うブレゲらしさを投影したのである。
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