ブルガリ/オクト フィニッシモ Part.3

2014年の発表以来、世界中の時計賞を総ナメにしてきたのが、ブルガリの「オクト フィニッシモ」だ。薄型時計は普段使いできないという評価を覆した本作は、またムーブメントの薄さでも多くの記録を塗り替えてきた。かつてオクトの派生モデルとして生まれたオクト フィニッシモは、どのような経緯を経て、世界最高の薄型時計となったのか?

オクト フィニッシモ

星武志:写真
Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
広田雅将(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2022年9月号掲載記事]


Evolution of the ULTRA-THIN
~大団円を迎えたフィニッシモ・サーガの軌跡~

2014年に始まった「オクト フィニッシモ」の歩みは、関係者たちが公言するとおり、22年でひとつの章を終える予定だ。薄型時計の在り方を大きく変えた短くも凝縮した8年を、長い序章と、関係者たちのコメントから振り返りたい。その歩みは、間違いなくサーガと言えるだろう。

オクト フィニッシモ

2014年以降、世界最薄記録を更新してきたオクト フィニッシモ。写真の7モデルはいずれもレコードホルダーである。奥から手前に「オクト フィニッシモ トゥールビヨン」(Cal.BVL268、ムーブメント厚さ1.95mm、14年)、「オクト フィニッシモ ミニッツリピーター」(Cal.BVL362、厚さ3.12mm、16年)、「オクト フィニッシモ オートマティック」(Cal.BVL138、厚さ2.23mm、17年)、「オクト フィニッシモ トゥールビヨン オートマティック」(Cal.BVL288、厚さ3.95mm、18年)、「オクト フィニッシモ クロノグラフ GMT」(Cal.BVL318、厚さ3.30mm、19年)、「オクト フィニッシモ トゥールビヨン クロノグラフ スケルトン オートマティック」(Cal.BVL388、厚さ3.50mm、20年)、「オクト フィニッシモ パーペチュアル」(Cal.BVL305、厚さ2.75mm、21年)。いずれもTiケース、30m防水。

 時計部門の責任者であったグイド・テレーニは、2012年に「オクト」が作られた理由を筆者に次のように説明した。「(当時の)ジェラルド・ジェンタとダニエル・ロートはニッチなコンプリケーションを作っていた。00年、その両社をブルガリに統合するにあたって、もっとムーブメントを量産しようとなった。そこで生まれたのがブルガリのオクトでした」。デザインモチーフとなったのは、ジェラルド・ジェンタの手掛けた8角形のケース。テレーニを含むブルガリのチームは、そのデザインエッセンスを抽出し、新しいアイコンにしようと考えたのである。

 なおパルミジャーニ・フルリエのCEOに転じた後、彼はジェンタをこう評している。「ジェンタというのは優れたデザイナーだったが、自身のブランドにはアイコンを与えられなかった。優れた創作者がブランドを作れるとは限らない」。

 テレーニが述べた通り、長年エタブリスール(組み立て屋)だったブルガリは、05年以降、一貫生産を目指すようになった。同年に文字盤メーカーのカドラン・デザインとジュエリーメーカーのクローヴァを買収。09年には、ケースを製造するフィンガーとブレスレットを製造するプレステージ・ド・オールを傘下に収め、外装を手掛けるブルガリ・マニュファクチュール・エ・ボワティエ・エ・ブレスレットを設立した。

 続いてジェラルド・ジェンタとダニエル・ロートの工房(DRGG)は自社製ムーブメントの開発に着手し、10年には「ウォッチメーカー宣言」を謳うに至った。これら一貫生産体制の集大成が、12年発表の「オクト」であった。ファーストモデルはヴォーシェ製の自動巻きを搭載していたが、翌年にはようやく完成した自社製のキャリバーBVL191に変更。オクトは、名実ともに、ウォッチメーカーブルガリを体現するモデルとなったのである。

 その派生モデルとして生まれたのが、14年の「オクト フィニッシモ」だった。後に8つの世界最薄記録を謳うようになる本コレクションも、そもそもの起こりはささやかだった。ジェラルド・ジェンタ、そしてブルガリのデザインを手掛けてきたファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニは語る。

「2010年から11年にかけて、顧客に新しい着け方を提案すべく、グランドコンプリケーションウォッチをイタリア流にアレンジした、新モデルの開発が始まりました。当時の複雑機構時計は大きく、分厚く、がっしりとした印象がありました。しかし、金融危機が始まったこの時代は、時計のスタイルにも影響があり、控えめなスタイルが好まれるようになっていました。またメンズファッションの世界でも、これまでの分厚い時計には似合わない、スリムフィットという新しいトレンドが生まれつつあったのです。私たちはタキシードに合わせる超薄型のフォーマルウォッチではなく、現代的なカジュアルシックという姿勢を取り入れた、型破りなウォッチを作りたいと考えたのです」 

Cal.フィニッシモ、初代オクト フィニッシモ

2014年に発表された初代オクト フィニッシモは、モダンな意匠を持つドレスウォッチとして仕立てられていた。ケース素材はPtまたは18KWG。またストラップには、ドレスウォッチらしく、ステッチのない竹斑のアリゲーターがあしらわれていた。搭載するCal.フィニッシモ(後のCal.BVL128)は、厚さ2.23mm。手巻き時計としてはかなり薄いが、後のフィニッシモが載せるムーブメントのような、極端な薄型化はまだ見られない。手巻き。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約65時間。Pt(直径40mm、厚さ5.15mm)。30m防水。参考商品。

 とはいえ、16年に発表された「オクト フィニッシモ リピーター」は、世界最薄ではあったし、極めて凝った外装を持っていたが、ムーブメントは既存のミニッツリピーターを改良したものでしかなかった。13年にブルガリのCEOとなったジャン-クリストフ・ババンが「このリピーターは、世界最薄を狙って作ったものではなかった」と明言したことを考えれば、企画を担当したテレーニも、デザインを手がけたボナマッサも、当時は、これが一大コレクションに成長を遂げるとは想像していなかっただろう。後にフィニッシモを飾る「世界最薄」という称号は、成長の過程で獲得したものだったのである。

 ではなぜ、フィニッシモは極薄を目指すようになったのか。ひとつの理由が、このオクト フィニッシモ リピーターである。「正直、リピーターがヒットするとは思ってもみなかった」とボナマッサが漏らしたように、本作の予想外な成功がなければ、ブルガリが薄型化に大きく舵を切ったかは疑わしい。ケース素材にチタンを使い、普段使いが可能であることを打ち出したこのリピーターは、結果として「オクトを21世紀のデザインアイコンとして確立させることに貢献した」(ボナマッサ)。

 そしてもうひとつの理由が、ジャン-クリストフ・ババンである。13年の就任時に、今後、ブルガリは薄型時計に注力すると明言した彼は、それを実行に移した。もっとも、ジュネーブ・ウォッチグランプリという目標がなければ、薄型化への歩みは、もう少し緩やかだったかもしれない。「ババンは賞が好きなのだ」との声も聞かれたが、彼はジュネーブ・ウォッチグランプリで受賞すること、また「世界初」であることが、ブランド価値の向上には不可欠と理解していたのである。タグ・ホイヤーで成功を収めた彼は、その事例がブルガリにも転用できると確信していた。

 可能にしたのが、マニュファクチュールとしての成熟だった。05年に始まった垂直統合は、「大変な苦労」(テレーニ)を経て、ブルガリを一大メーカーへと変貌させた。一例がムーブメントだ。ブルガリの傘下に収まったDRGGは、ソヌリまで製作できる、スイスでも極めて稀な工房だが、量産ムーブメントの経験はなかった。グイド・テレーニは同社に基幹キャリバーの設計を行わせ、3年後にようやく試作機が日の目を見た。

 DRGGはこのムーブメントの設計をさらに改善し、第4世代となるキャリバーBVL191で、量産化の目処を付けた。自動巻き機構を刷新し、ムーブメントの厚みも減らすという大改造は、ニッチなムーブメントの経験しかなかったDRGGに、モダンな量産自動巻きを設計できるノウハウをもたらしたのである。薄型ムーブメントを開発するには、複雑なものと基幹キャリバーを設計・製造できる能力が不可欠だ。そして試行錯誤の果てに、ブルガリは意図せずしてそれを獲得したのである。

 薄型化で成功した理由を、グイド・テレーニはこう述べた。「ブルガリが薄型で成功した理由は、サイズを大きくしたことです。ブルガリが作る新世代のムーブメントは40mmケースを想定していたし、リピーターやトゥールビヨンも同様です。当時は35mmサイズを想定していた会社がほとんどだった」。

 ケースを大きくするという方針が、フィニッシモに成功をもたらした大きな理由であった。具体的には、地板を拡大し、ムーブメントの部品を水平方向に散らすことで、無理のない薄型化に成功したのである。今の大径薄型キャリバーが好む手法を、いち早く採用したのがフィニッシモだった、と言えるかもしれない。

オクト フィニッシモ ウルトラ

ケース厚がわずか1.8mmしかない「オクト フィニッシモ ウルトラ」には、ブルガリの培ってきた薄型時計作りの手法がすべて投じられた。ただ部品をムーブメント全体に散らすほか、設計でも剛性を担保するのは今までに同じだ。時計開発・品質保証部門で責任者を務めるフィリップ・サルタルスキが「ケースの密封は8本のネジで保証され、ガラスは特殊な機構のサポートでブロックされています」と説明した通り、基本的な構成はフィニッシモと変わらない。ただ脱進機を支える受けは、ショックを受けてもダメージを受けないよう、それ自体に柔軟性を持たせてあるほか、幅広のパッキンが採用された。

オクト フィニッシモ ウルトラ

 その萌芽は、第1作の「フィニッシモ トゥールビヨン」(14年)に明らかだ。重なりを避けるため輪列はムーブメント全体に分散されたほか、香箱とトゥールビヨンのキャリッジは、水平方向からベアリングで保持された。こういったアプローチは、既存のキャリバーを改良したフィニッシモ リピーターも同様である。音響効果を改善するため、ケース内には空洞が大きく取られただけでなく、中枠に対して、ムーブメントはゆるく固定された。これも大きなケースを持つ、オクトフィニッシモならではの手法だ。

 こういったアプローチはオクト フィニッシモの採用したペリフェラルローター自動巻きも同様だ。地板の外周にローターを置くのは、近年の薄型自動巻きが好む手法のひとつ。しかし、地板の大きなフィニッシモでは、より慣性の大きなローターが採用できた。加えて、外周に比重の大きなプラチナを埋め込み、自動巻きのリバーサーに摩耗しにくいセラミックスを内蔵することで、薄さと高い巻き上げ効率を両立したのである。

 21年の「オクト フィニッシモ パーペチュアル」も面白いサンプルだ。これは12時位置に、レトログラード式の大きな日付表示を搭載したもの。あくまで副産物ではあるものの、大きなムーブメントは薄型時計に実用性に加え、視認性という要素ももたらしたのである。

 22年の「オクト フィニッシモ ウルトラ」とは、フィニッシモが至った最終形だ。ムーブメントのサイズはさらに拡大されたほか、輪列の重なりを避けるためにムーブメントはレギュレーター化された。また、針合わせ機構と巻き上げ機構は、リュウズではなく、ケースサイドのスライダーで行うよう改められた。薄くするために、緩急装置はフリースプラングに変更された。そのケース厚はわずか1・8mm。薄く大きくなった時計に剛性を持たせるため、裏蓋と地板は硬いタングステンカーバイトで成形された。

 14年以降、世界最薄の記録を破り続けてきたオクト フィニッシモ。一応、22年でサーガはひと段落した。そうブルガリは説明する。しかし、フィニッシモで培われたノウハウは、ブルガリが開く次章を、さらに豊かにするだろう。ボナマッサは筆者にこう語った。「ブルガリはフィニッシモ以前と、フィニッシモ以降に分かれるでしょう」。

オクト フィニッシモ ウルトラ

オクト フィニッシモ ウルトラ
サーガの集大成は、部品の重なりを排するためレギュレーターとなった。1.8mmというケース厚は、発表時点では世界最薄。ムーブメント厚もわずか1.5mm。手巻き(Cal.BVL180)。21 石。2 万8800 振動/時。パワーリザーブ約50時間。T(i 直径40mm)。10m防水。世界限定10本。完売。



Contact info: ブルガリ ジャパン Tel.03-6362-0100


薄型腕時計開発の先にブルガリが見据える未来。CEOのジャン-クリストフ・ババンが語る。

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