1970年代後半に、ホイヤーはダイバーズウォッチという全く新しいジャンルに活路を見出した。その挑戦は成功を収め、タグ・ホイヤーは一大メーカーへと脱皮を遂げることになる。同社のアヴァンギャルドな試みを反映した歴代ダイバーズウォッチとタグ・ホイヤー アクアレーサーを総ざらいする。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2022年11月号掲載記事]
HEUER DIVING WATCH Ref.844[1978]
1000シリーズへと収斂するホイヤーダイバーの始祖
Ref.844-1。1978年に発表された、ホイヤー初のダイバーズウォッチ。エボーシュを信頼性の高いケースに収め、かなり戦略的な価格で販売した。自動巻き(Cal.FE4611A、後にETA製エボーシュ)。17石。2万1600振動/時。SSケース(直径42mm)。200m防水。参考商品。
1969年のクロノマチック発表に続き、大胆なスタイルとカラーリングでラインナップを拡大させてきたホイヤー(現タグ・ホイヤー)は、70年代半ばに入ると、スイスフランの高騰と、それ以上にデジタルクォーツクロノグラフの台頭に苦しめられるようになった。当時CEOだったジャック・ホイヤーが狙ったのは、新しいジャンルの開拓、つまりはダイバーズウォッチへの進出だった。
この新たな挑戦に際してホイヤーは、フランスのジョルジュ・モナンに製造を委託。同社はMRPの防水ケースを使うことで、廉価だが、本格的なダイバーズウォッチを作ることに成功した。鍵となったMRP製のケースは60年代から70年代のダイバーズウォッチに好まれた、「コンプレッサーケース」とは全く異なるものだった。当時技術部長だったゲニャ・ジョセフは、防水性よりも、大量生産に向き、しかも正確に作動する両方向回転ベゼルで特許を得たのである(CH503306)。
これに関連する特許であるCH1227568には、次のような解説がある。「ベゼルの一方向の動きを阻止する手段は、大量生産を実現する際に要求される安全性や操作性の要件を十分には満たしていなかった」。ホイヤーが目指したのは、手の届く価格で、きちんと使えるダイバーズを提供することだった。事実、発表当時の価格は155ドルで、これはロレックス「サブマリーナー」の5分の1以下だった。
78年に発表された「Ref.844」は、たちまちヒット作となった。翌79年の『Heuer NewsNo.3』はこう記す。「ホイヤー製ダイバーズウォッチの成功に伴い、新モデルを追加した」。同社はRef.844の生産をスイスに移管し、本格的にその量産に取り組むことになった。後に同社の屋台骨となる、ダイバーズウォッチの始まりである。
TAG HEUER SUPER PROFESSIONAL 1000M[1984]
多様性の端緒となった異形のダイビングウォッチ
1982年の「ホイヤー 1000m ダイバー」を置き換えるダイバーズウォッチ。84年初出。1000m防水と高い視認性に加えて、付属品も充実していた。初期ロットはRef.840.006(WS2110-1)、後にRef.840.006-2(WS2110-2)と改番される。自動巻き(ETA2892または2824-2)。2万8800振動/時。SSケース(直径43mm)。1000m防水。参考商品。
Ref.844の成功を受けて、ホイヤーはダイバーズウォッチを、同社の新しい柱に育てようと考えた。その現れが1982年の「ホイヤー 1000m ダイバー」こと、Ref.980.023だった。
見た目はRef.844に酷似していたが、ケースを拡大することで、防水性能は200mから1000mに向上したのである。このモデルをわずか295ドルという価格で提供したホイヤーは、ダイバーズウォッチのジャンルを真剣に開拓しようとしていたことは間違いない。とはいえ、Ref.844のケースを大きく、分厚くしただけのホイヤー 1000m ダイバーは、その名前とは裏腹に、プロユーザー向きとは言い難かった。
同社が本格的にダイビングウォッチに取り組むようになったのは84年以降と言えそうだ。同年、ホイヤーはRef.844とその派生モデルを1000シリーズに改め、さらに新しい「タグ・ホイヤー スーパー プロフェッショナル 1000M」(Ref.840.006)を追加したのである。防水性能は同じ1000mだったが、2ピースケースの採用で気密性が高まったほか、ベゼルも、グローブを着けた状態でも回しやすい形に改められた。加えてムーブメントをクォーツからETA製の自動巻きに変更することで、視認性に優れる、太くて長い針を持てるようになった。
同社がいかにプロフェッショナルを意識したかは、ブレスレットがエクステンション付きとなり、追加のラバーストラップとダイブテーブル付きのキットが用意されていたことからも明らかだった。手頃なダイバーズウォッチは、プロのツールへと進化を遂げたのである。85年にタグ・ホイヤーとなってからも、同社はダイバーズウォッチの開発を加速させていった。それはクロノグラフの成功で確立させた名声や技術を、総合時計ブランドへと発展させることとなる。
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