2019年5月、数多くの逸話を残したかつてのF1ドライバーのニキ・ラウダが亡くなった。はっきりとした死因こそ公表されていないが、大本をたどれば現役時代の1976年に起きた大事故による怪我の後遺症が関係していると言われている。それを思うと、モータースポーツにおける70年代はいかに尋常ではなかったか、改めて感じざるを得ない。当時は現在に比べると安全規約の項目もはるかに少なく、競技車の整備技術も不十分だった。そのためドライバーにはリスクが大きく、操縦ミスと隣り合わせの危険に今より多くさらされていた。サーキットに出て命を賭す者は単にスポーツマンというだけではなく、時代の先端を行く闘士として称賛を浴びる勇者でもあったのだ。
こうしたエモーションをひと目見て呼び覚ましてくれるのが「ティソ ヘリテージ 1973」だ。このモデルにどんな吸引力があるかは実に明らかで、モータースポーツ感あふれるレトロスタイルのコンビネーションがひときわ目を引く。ヒストリカルピースにインスパイアされたオーバルケースやバイカラーに色分けした文字盤、すっきりした形状のプッシュボタンからは当時の雰囲気が伝わってくる。ストップウォッチ機能とパンチングされたカーフストラップ、そしてタキメーターの目盛りも往年のモータースポーツ向けウォッチにはなくてはならない要素だ。特にタキメーターは平均時速を計測する際に有用で、走行中にクロノグラフをある地点からスタートさせ、走行距離が1㎞または1マイルに達した時にストップをかけるとその間の平均速度を割り出せる。ストップ時にクロノグラフ秒針が示す文字盤外周に記された数値が時速を表しているのだ。
この付加機能はティソでは73年に発表されたモデルの〝ナビゲーター〞ですでに見られ、「ヘリテージ 1973」というモデル名もそれにちなんでいる。文字盤の地色とサブダイアルを別の色に分けるのも同様だ。もっとも、〝ナビゲーター〞はセンター針による60分積算計を採用していたため、サブダイアルはスモールセコンドと12時間積算計のふたつだけという違いがある。そしてクロノグラフ分針には矢印状の三角ポイント付きの形状で目立つオレンジ色になっているものが使われていたが、もちろんこの特徴もヘリテージ 1973に引き継がれている。
よりスポーティーに進化
これらのふたつのモデルを比較してみて実感するのは、ヘリテージ 1973はお手本にしたヒストリカルピースよりはるかにダイナミックに出来上がっているということだ。3つのサブダイアルをシンメトリーに配置したコンパックススタイルの文字盤は艶消しのブラックとシルバーでメリハリがあり、クロノグラフ針のオレンジの差し色との組み合わせがスポーティーで好感が持てる。
ケースサイズは縦46.6×横43㎜。細い手首には落ち着かないかもしれないが、今の時代には見合っている。膨らみを持たせた表面の加工は爽快感のある仕上がりだ。ことに放射状に施されたサテン仕上げや面取り部分の鏡面研磨、ラグ先端のエンド部分という狭い面積に当てられた細やかな筋目はよく出来ている。平均して丁寧な作業ぶりが伝わるのだが、ラグ裏側のエッジが鋭く、繊細さにやや欠けるのは残念だ。着けていて気になるほどではないのだが、ケースサイドから触るとはっきり分かる。
裏蓋はティソのほとんどのモデルと同じく押し込んで閉めるスナップ式だ。シンプルな構造ではあるが、10気圧の防水性能を損なうようなことはない。トランスパレントバックになっているのでガラスがはめられているが、これにはミネラルガラスを使用している。この素材は傷に強いものではないが、取り付けられているのは常に露出する文字盤側ではなく裏側の肌に触れる箇所なので、あまり気にすることはなさそうだ。
堅実なムーブメント
ガラス越しに見えるムーブメントはETAの自動巻きキャリバー7753。このムーブメントは7750のバリエーションで、サブダイアルは3時、6時、9時位置に配置されている。7750とは異なり、リュウズによる日付表示のクイックコレクト機能は備わっていない。日付の修正をする際はケースの10時位置側面に埋め込まれたプッシュピースを付属の専用スティックで押し、1日ずつ進めていく必要がある。それが手間といえば手間かもしれないが、リュウズやクロノグラフのプッシュボタンの使い勝手については特に不満は見当たらなかった。ムーブメントの装飾も全体の作りに見合っているように思える。
さて、精度はというと、テストウォッチは残念ながら1日に約10秒の進みが見られた。これは歩度測定器に掛けた時だけでなく、着用テストの時も同じだった。大幅なプラス傾向のためか、クロノグラフ作動時の方が精度は安定している。そして若干気になったのは、ミニッツカウンターの針がリセット時にきっちり垂直に戻らず、ごくわずかながら左にずれていたことだ。
レトロ風のスポーツウォッチを選ぶ時、厳密さを求めるのもひとつの在り方だ。だがモータースポーツにおいて、メカニックチームの先鋭化した技術より、レースに懸ける情熱とカリスマ性が牽引した大胆な時代を振り返る時、往年の熱狂を彷彿とさせるは大いなる愉悦をもたらしてくれるだろう。