年々、高額化する高級時計のプライス。その背景にはさまざまな要因があるが、時計好きにとって、価格と品質、そして使い勝手の良さのバランスの取れた時計があれば、それは大いなる福音である。いわゆる「ミドルレンジ」と呼ばれる時計は、最もその可能性を秘めていると言っていいだろう。
『クロノス日本版』編集長の広田雅将が、今、ミドルレンジウォッチを買う意義とその価値を問う。
広田雅将(クロノス日本版):文 Text by Masayuki Hirota(Chronos Japan)
2021年12月 掲載記事
最大のボリュームゾーンゆえの競争と恩恵
人によって定義はさまざまだが、『WATCH ADDICT』を編集する『クロノス日本版』では、大きく30万円から100万円程度の腕時計をミドルレンジと見なしている。そして、このミドルレンジウォッチは、時計業界における最も大きなボリュームゾーンを占める。
時計の単価が高く、数も見込めるミドルレンジの価格帯は、昔も今も、熾烈な競争が続くゾーンだ。そのため各社は、新しい技術や、優れた仕上げを次々に盛り込むようになった。まずハイエンドな時計にそうした技術や仕上げを採用するのは今までに同じ。しかし、ミドルレンジウォッチに普及する時間が、かなり短くなったのである。
ダイアルカラーの多様化と品質向上を促した技術の進化
その一例が、カラフルな文字盤である。以前は、シルバーやブルー以外の文字盤は量産が難しかった。少量生産ならともかく、ある程度の数を作ろうとすると、色が安定しなかったのである。とりわけ、ピンクやグリーンといった中性色は、高級品以外ではまず見られないものだった。しかし、メッキや塗装の技術が進化したことで、ミドルレンジの価格帯にも、鮮やかで、今までにない色の文字盤が見られるようになったのである。
文字盤の進化を促したもうひとつの要因は、風防に施す無反射コーティングの改良だ。2010年を境に、青みがかっていたり、黄色っぽかったりしたコーティングは、ほぼ透明になった。文字盤の色がはっきり分かるようになった結果、各社は文字盤の改良に手を入れるようになったのである。
ケースとブレスレットに見るミドルレンジの底上げ
ケースも同じである。エッジの立った、しかし表面の滑らかなケースは、高級時計しか持てないものだった。しかし、ケースを加工する工作機械が進化したため、ミドルレンジの価格帯にも、高級品に遜色ないケースが増えてきた。チューダー「ブラックベイ」はその好例だ。
また工作機械の進化により、ブレスレットの質が良くなったことも見逃せない。常に負荷のかかるブレスレットは、丈夫でなければならないが、半面、適度な「遊び」が必要になる。ガチガチすぎるブレスレットは、一見丈夫そうだが、ショックを与えるとすぐに壊れてしまう。適度な遊びを持たせるには、職人が手作業でコマの間隔を詰めるしかないが、それにはノウハウが必要だ。スイスの時計メーカーが、ブレスレット付きの腕時計を作りたがらなかった理由である。
しかし、それぞれのコマを精密に加工できるようになったことで、ノウハウを持たない時計メーカーやサプライヤーであっても、優れたブレスレットを作りやすくなったのだ。
加えて、新しいブレスレットの一部には、簡単に交換できるインターチェンジャブル機構が付くようになった。ケースとブレスレットを精密に加工できるようになったため、取り付け部分にガタが出にくくなったのである。以前は一部の高級時計のみに見られる機構だったが、最近は、ミドルレンジの価格帯にも広まりつつある。技術の進化は、ミドルレンジの時計を大きく底上げした、と言えるだろう。
普段使いされるミドルレンジだからこそ問われる実用性
また、この価格帯の時計には、ハイエンドの時計とは違う実用性が盛り込まれている。その一例が耐磁性能だ。身の回りに磁石があるのが当たり前になった現在、腕時計は磁気帯びしやすくなった。磁気を帯びると、時計が進んだり、最悪の場合は止まったりする現象だ。
工芸品としての腕時計に、磁気対策を施しているものは多くない。しかし、普段使いされるミドルレンジの価格帯では、耐磁性能は大きなポイントになっている。そのひとつがMRIにさらしても時刻表示が狂わないマスタークロノメーター規格だ。
今だからこそミドルレンジを買う意義
時計業界で最も大きなボリュームを占めるミドルレンジウォッチ。技術が進化した恩恵を最も受けているのは、間違いなくこのジャンルなのである。正直、20年前のミドルレンジは、ハイエンドの時計とは明らかに違うものだった。しかし、最近のモデルは、どれを選んでも、価格以上の出来栄えを持っている。熾烈な競争が続くミドルレンジに、年々魅力的なモデルが増えているのは当然だろう。