2022年ほど、時計が注目を集めた年はないだろう。ニュースでは時計の資産価値が取り沙汰され、人気モデルを買うために時計店に並ぶ行列も、もはや当たり前になった。現在は“時計バブル”と言って良い状態だが、その一面で“功”もある。それが明らかに良くなった外装と、時計市場の質的な深化だ。
時計業界にさまざまな影響をもたらした“時計バブル”
2020年以降、コロナ禍の影響を受けてきた時計産業。だが、22年にもたらされたのは、減産でも、不景気でもなく、“時計バブル”だった。その引き金は金融緩和に伴う金余りであり、立役者は、失速する中国ではなく、アメリカだった。スイス時計協会(FH)のデータによると、スイス時計のアメリカ向け輸出額は2年でほぼ倍に急増。もともと巨大だったアメリカ市場は、さらに膨れ上がったのである。
こういう時計バブルが新作の在り方を変えたのは当然だろう。顕著だったのが、人気メーカー、人気モデル、人気カラー、人気ジャンルへの集中である。加えて、手に入りにくい限定モデルとなれば、買い手は否応なしに熱狂する。さらに“普通”の人々までもが時計に注目するようになると、購買へのバロメーターが上がり、時計はどうしても人気になる。パテック フィリップ、ロレックス、オーデマ ピゲ、リシャール・ミルの時計が、いよいよ入手できなくなった理由だ。
同じ理由で、各メーカーの人気モデルもたちまち注目を集めるようになった。オメガの「スピードマスター」やチューダーの「レンジャー」などが好例だろう。面白いのは、色も選択の対象となったことだ。各社の予想を裏切って、いわゆるアイスブルーやグリーン文字盤の新作は爆発的な人気を集めたのである。加えて、ジャンルそのものも人気を集めるようになった。今や高級時計市場を席巻するのは、ステンレススティール製でスタイリッシュな「ラグジュアリースポーツウォッチ」である。
アンチテーゼとしてのマイクロメゾンや独立時計師ブーム
半面、こういう状況を好まない時計好きたちは、今まで以上にニッチなメーカーやモデルに注目するようになった。いわば人気の玉突きが引き起こしたのが、マイクロメゾンや独立時計師のブームと言える。しかし、皮肉なことに、時計好きたちが注目するニッチな時計は、露出の多さのために、やがて多くの人々の目を引くようになったのである。
2022年に注目を集めたのは、注文が増えすぎて受注停止をした独立時計師や、10年単位でバックオーダーを抱えるマイクロメゾンである。もっとも、人気のあるモデルや色を持てなかったメーカー、時計好きに訴求する新作を作れなかったメーカーにとって、2022年は明らかに厳しい年となった。
“時計バブル”がもたらした「功」の面とは?
時計市場を混乱させる時計バブルであるが、もちろん「功」の面もある。そのひとつがカラフルな文字盤だ。これは2015年以降顕著だったが、2022年は大きなトレンドとなった。大きな理由は、コロナ禍により、生産体制が安定しなかったため。多くの時計メーカーは需要を喚起するために、新しいムーブメントではなく、既存モデルの文字盤を変えて対処せざるを得なかったのである。加えて、ここ数年の技術進化は、文字盤表現をかつてないほど多彩なものにした。
かつて、多くの時計メーカーは、カラフルな文字盤の採用にかなり慎重だった。当たればいいが、外れたら売り切るのは難しいからである。しかし時計バブルは、そういった心理上の障壁を大きく下げた。2022年、各社はカラフルな限定モデルを次々とリリースし、それは好調なセールスをもたらしたのである。さらに一部のメーカーは、文字盤に加えて、外装にジュエリーをあしらうことで、見た目での差別化をいっそう推し進めるようになった。製造技術の進化は時計バブルと結びついて、時計の見た目を大きく変えたのである。また、バブルに伴う熾烈な競争は、新作のケースやブレスレットの質をさらに改善した。
もうひとつの「功」が、時計市場の質的な深化である。アメリカ市場は極端だとしても、時計バブルによって今までいなかった層が時計に目を向け、その一部が質に向かっていることは間違いない。それを示すのが時計専門のオークションだ。かつては数百人程度しか集まらなかったニッチな時計オークションは、今や数千人を集める一大イベントに成長を遂げたのである。つまり、時計を巡る裾野が広くなった結果として、その頂点は明らかに高くなったのだ。
過熱した時計市場の行方
量から質への転換
では、2023年以降、時計市場はどのように変わっていくのか。アメリカを筆頭に、現在のような市場の過熱状態は鎮静化するに違いない。しかし、その反動として、市場は質に向かうようになるだろう。時計市場がこの40年で繰り返してきた、質と量の行きつ戻りつは、2023年以降、いっそう顕著になるのではないか。
ここ2年の時計市場。とりわけ2022年は控えめに言っても時計バブルだった。しかし長い目で見ると、時計業界にもたらす恩恵は小さくなさそうだ。少なくとも、良質な外装を持つ時計は、誰にでも分かる恩恵のひとつ、と言えるだろう。
サラリーマンを経て、2004年より時計ジャーナリストとして活動を開始。国内外の時計専門誌やライフスタイル誌などに寄稿する一方、時計ブランドや時計販売店でのセミナーやイベントの講師も務めてきた。コロナ禍の影響で海外取材ができない状況においても、オンラインを活用することで、スイスやドイツ、イタリアなど、ヨーロッパを拠点とするブランドのCEOや研究開発・企画担当者など、時計業界関係者に取材を継続。2016年より現職。
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