プロ野球に年に一度「オールスターゲーム」が、サッカーに4年に一度「ワールドカップ」があるように、どんなジャンルにも“絶対に見逃せない”ビッグイベントがある。時計の世界におけるこのビッグイベントが、毎年3月末から4月初めにかけてスイスで開催される時計フェアだ。新型コロナ禍を経て、さらに進化し、発展するスイスの時計フェアを時計&モノジャーナリストの渋谷ヤスヒト氏がリポートする。
Photographs & Text by Yasuhito Shibuya
唯一無二になった「ジュネーブ」の存在感
時計フェアは世界中から時計関係者が集まり、その年の新作時計が発表される「世界時計祭り」とも言える大イベントである。2019年まで、スイスの時計フェアは、出展ブランドが20ブランドに満たない、1月にジュネーブで開催されるSIHHと、出展ブランドが数百ブランドもある、世界最大の3月に開催されるバーゼルワールドのふたつであった。筆者も1995年から毎年このふたつのフェアを必ず取材してきた。特に100年を超える歴史を持つバーゼルワールドは「ザ・時計フェア」であり、スイス時計産業を象徴する唯一無二のNo.1イベントだった。そしてバーゼルはスイス時計の象徴とも言える街であった。
ところが2020年、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐためにスイスで「リアルなビッグイベントの開催」が禁止されたことをきっかけに世界最大のバーゼルワールドは消滅。
リアル・イベントの時計フェアは、昨年22年からは3月末から4月初めにジュネーブで開催される、出展ブランドが全部で38、ビッグブランドは24ブランドのみとごく少ない「ウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ(以下W&WG)」のみになった。バーゼルワールドに出展していた数百もの時計ブランドは、新作時計発表の場を失った。
同時に、これはスイス時計の歴史と文化を象徴・代表する都市がバーゼルからジュネーブに移ったことを意味している。実はジュネーブは16世紀、フランスから宗教的迫害を受けて逃れてきたプロテスタントの時計師たちの手で時計作りが始まった「スイス時計発祥の地」である。昨年からW&WGは、すでに時計界で唯一無二のイベントになったが、去る3月27日から4月2日にかけて行われた今年のW&WGは、これまでとは違う新たな発展、進化を遂げていたのだ。
時計都市ジュネーブの魅力をアピールする世界的イベントに
23年のW&WGは、出展ブランド数では小さなブランドを中心に10ブランド増えて、22年の38から48ブランドに拡大した。そのため、かつて数百もの時計ブランドが出展する「ザ・時計フェア」であり、スイス時計産業全体の見本市だったバーゼルワールドの役割は果たせていない。
だが今年のW&WGには、かつてのバーゼルワールドとは違う、22年のW&WGにはなかった「新しい時計フェアを目指す新たな試み、取り組み」が3つある。そのひとつが、会期末の2日間にわたる一般向けの有料公開だ。そしてふたつ目の、今回最も注目される取り組みが、ふだんは一般の人々が気軽に訪れることができないジュネーブの旧市街にある高級時計ブランドのブティックの「開放」だ。しかもこの「開放」には、W&WGの出展ブランドはもちろん、出展していないブランドや、ブヘラのようにさまざまな高級時計ブランドを展示・販売するブティックも参加。常連の顧客ではない一般の人々を迎え入れた。
そして3つ目の新しい取り組みが、3月30日の夕方、旧市街のレマン湖に面するエリアで行われた初のシティーイベントだ。ストリートでのダンスパフォーマンスのほか、スイスで人気No.1のDJが生み出すビートに合わせておそらく200人以上がストリートでダンスを楽しんだ。
時計業界のイベントから世界的な観光イベントに
この取り組みの背景には、W&WGの運営体制の大変革と、このイベントを後援し、時計産業とその関連施設を観光の目玉にしたいジュネーブ市の長期的な観光戦略があることは間違いない。「ウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ」という名称で初開催される予定だった20年のフェアでは、実はジュネーブ時計学校の一般公開など、新しいシティーイベントが予定されていた。それが新型コロナ禍で中止になったという過去の残念な経緯もある。
現地で取材したW&WGの広報担当者からは「ようやくフルバージョンでの開催が今年は実現した。今後はさらに新しい展開を行っていく」というコメントを得た。
W&WGの運営団体は22年秋、従来の体制から、かつてバーゼルワールドに出展していたロレックスも含めた、より時計業界を総括する体制に変更されている。今後、W&WGはこの団体主導の下、徐々に出展ブランド数を拡大し、将来的にはかつてのバーゼルワールドのような「スイスで最大で唯一無二の時計フェア」になるだろう。
さらに、ジュネーブ市の主導と協力で、「パテック フィリップ・ミュージアム」を筆頭に、市内にある時計関連施設を観光名所化することで「時計都市ジュネーブ」を強力にアピール。時計愛好家ならぜひとも訪れたい、世界最大の時計イベントに成長することは間違いない。
だから時計好きなあなたは、今後もその動向をお見逃しなく!
時計&モノジャーナリスト、編集者。『GoodsPress』( 徳間書店発行)の編集者として1995年からスイスの時計フェア、時計ブランドやウォッチメーカーの現地取材を開始。スマートウォッチ、カメラ、家電製品、クルマなど、あらゆるアイテムの取材経験も豊富。