今回のテストに当たって、どうしても借りたいのがグランドセイコーの「テンタグラフ」だった。野心的なCal.9SA5にクロノグラフを重ねた本作は、ぜひテストすべき時計のひとつではないか。もっとも、懸念はある。Cal. 9SA5導入時、精度の安定に苦労したと聞く。それを考えれば、さらにクロノグラフを重ねたテンタグラフに、優れた精度を期待して良いのだろうか?
傑作、Cal.9SA5をベースににモジュールを載せることでクロノグラフ化した2023年の注目作。インプレッションでは数日にわたって日差0秒という驚異的な精度を記録した。自動巻き(Cal.9SC5)。60石。3万6000振動/時。パワーリザーブ約72時間。ブライトチタン(直径43.2mm、厚さ15.3mm)。10気圧防水。181万5000円。
広田雅将:取材・文
Text by Masayuki Hirota(Chronos-Japan)
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2023年11月号掲載記事]
驚くべき高精度と優れたパッケージング「テンタグラフ」は想像以上の優等生
傑作キャリバー9SA5を生かすべく、文字盤側にあえてクロノグラフモジュールを重ねたキャリバー9SC5。これを搭載したのが、グランドセイコー初の機械式クロノグラフとなる「テンタグラフ」だ。時計好きならば、デュアルインパルス脱進機や、グランドセイコーフリースプラングなどがもたらす精度は気になるはずだ。
結論から言うと、テンタグラフの精度は動態、静態精度ともに予想以上だった。4日間連続して装着したところ、日差は0秒、クロノグラフを作動させた場合でも+5秒程度だった。静態精度に比べて、動態精度は明らかに良かったが、これは個体差なのか、キャリバー9SC5の特性なのかは分からない。さておき、テンタグラフの驚くべき高精度は、企画チームの「9SA5の素性を生かしたかった」という言葉を裏付けるものとなった。
キャリバー9SC5は巻き上げも非常に良好だった。停止で軽く時計を振り、リュウズを5回だけ回してテストに臨んだが、デスクワーク中心の使用条件でも、十分に巻き上がった。筆者はリバーサー式の自動巻きにはやや懐疑的だが、ロレックス、ケニッシ、ショパールの一部、9S系などは十分信頼できる。ただ、ケースがチタンのためか、SSケースの白樺に比べてローター音は大きかった。耳障りではないが、抑えた方が高級感は増す。
いわゆるモジュール型クロノグラフには、秒針が動き出してから、しばらくの間分針が動かない「置き回り」という問題が起こりがちだ。デュボア・デプラのモジュール型クロノグラフには、1分から2分以上置き回るものもある。同様の構成を持つ9SC5の置き回りは、目視で30秒程度。一体型よりは大きいが、許容範囲にある。なお、リュウズの1回転で分針は25分程度動く。汎用エボーシュより移動量を抑えたのは、厳密な針合わせが求められる高級機ならではだ。
意外だったのは、リュウズの感触である。コハゼの存在を感じさせる緻密な手巻き感は、生半な手巻きムーブメントよりずっと優れる。また、リュウズは正逆いずれの方向に回してもトルク抜けがなく、もちろんざらつきも皆無だった。スイス製の時計に比べて感触は軽いが、これはひとつの個性か。一方、プッシュボタンには、最初にタメを設け、押し込むと一気にスタートする、セイコー流の味付けとなった。感触は重めだが、クロノグラフモジュールが無類に強固なことを思えば、合点もいく。
テンタグラフはお世辞にも薄い時計ではない。ただし、装着感は良い意味で予想外だった。白樺に比べて明らかにヘッドヘビーな構成を持つが、軽いチタン素材と、幅の広いブレスレットのおかげで、3時間装着したら「慣れ」た。テンタグラフを含む「エボリューション9 コレクション」は、ブレスレットの幅が、ケースサイズの50%強もある。そのため、重さをうまく散らせるようになった。また、極端なテーパーをかけていないため、バックル側のホールドも良好だった。スイス製の時計に比べて、ブレスレットの遊びはやや大きい。
しかし、ガチガチに固められたブレスレットの多くが、経年変化で感触を劣化させることを考えれば、この味付けは経験値の帰結だ。また、当たり前ながらブレスレットは毛を挟まない。薄い時計を好む筆者が連続して着けられたのだから、テンタグラフの装着感は良好と言える。もっとも、シンプルなバックルは筆者の好みではなかった。長期の使用を考えればバックルは簡潔な方が良いが、構造と仕上げは100万円台後半という価格に見合っていない。多くのコンペティターが凝ったバックルを採用することを考えれば、コストと重さは増しても、微調整機構付きのバックルは採用すべきだ。
グランドセイコーらしいのは、クロノグラフでありながらも、時計としての視認性を優先したことだ。針の位置次第でサブダイアルは見づらくなるが、あえて時分針を優先したのは、ブランドとしての見識だろう。また、日本製の時計としては珍しく、見返しの幅は極端に詰められた。針がせり上がって置かれているため、見た目も良く、もちろん視認性も優れている。テンタグラフが、日本製の時計らしからぬ印象を与える一因だ。
文字盤は下地に岩手パターンと呼ばれ精緻な放射模様を施したラッカー仕上げである。グランドセイコーらしく光の強さや角度で色が変わるが、下地の見せ方も含めて、視認性を妨げない程度に抑えられた。文字盤のラッカーは厚塗りだが、研ぎ跡はなく、面も平滑だ。近年、スイスメーカーも文字盤や針に注力するようになったが、あいかわらず、グランドセイコーは頭ひとつ抜きんでている。
時計を選ぶにあたっては、消去法と加点法のふたつがある。熱狂的な時計好きであれば、何かひとつ「推し」があれば、それだけで手にする理由となる。しかし、普通の人にとって重要なのは、消去法でも残る時計であること、だ。その点、新しいテンタグラフは、高精度な9SC5や、良質な針や文字盤という売りを持ちながらも、欠点の少なさが際立っていた。ローター音やバックルといった課題はある。しかし、トータルのパッケージは、予想外に優秀だ。その証拠に、薄くて簡潔な時計ばかりを好む筆者でさえも、時計を返しがたかった。 (広田雅将:本誌)
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