現代クロノグラフの伝達方式は「垂直クラッチ」と「水平クラッチ」に大別できる。このうち、現在のクロノグラフにおける主流といえば、垂直クラッチだ。本記事では、垂直クラッチの歴史を振り返りつつ、現代クロノグラフにとって、どのような存在理由を持つのかを考察していく。
鈴木幸也(本誌):取材・文 Text by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2020年9月号掲載記事]
https://www.webchronos.net/features/115642/
現代クロノグラフの主流、「垂直クラッチ」
1950年代、オメガCal.321を設計したアルバート・ピゲは、次のように書き記した。「クロノグラフを自動巻き化しようとすると厚さが2倍になる」。水平クラッチが主流であった当時、クロノグラフを自動巻き化することがいかに難しかったかがうかがえるエピソードだ。だが、垂直クラッチの実用化と普及によって、状況は一変する。現代クロノグラフにおいて、もはや主流と言っても過言ではない「垂直クラッチ+自動巻き」の“存在理由”を考察する。
垂直クラッチの歴史
セイコーが発明したマジックレバーによるコンパクトな自動巻きと垂直クラッチ式のクロノグラフ機構を持つCal.9R86。ベースとなったセンターセコンドの3針ムーブメントCal.9R65は、設計段階からクロノグラフ化やGMT機構の追加など、その高精度を生かしたバリエーション拡大を想定されたムーブメントだというから、Cal.9R86は生まれるべくして生まれた高精度な現代クロノグラフと言える。
垂直クラッチの転機は1969年に訪れた。この年、初の自動巻きクロノグラフが3つも登場したのだ。ゼニスのエル・プリメロ、ホイヤー・ハミルトンとブライトリングによるCal.11、そして日本の諏訪精工舎によるCal.6139である。注目すべきは6139だ。これこそ、垂直クラッチとマジックレバーによるコンパクトな自動巻きを搭載した、現代クロノグラフの原型と言える嚆矢なのだ。
グランドセイコーが近年、力を入れているスポーツコレクションのスプリングドライブ。スプリングドライブをベースとする垂直クラッチ式クロノグラフは、機械式時計に比べ、高精度かつ耐衝撃性に優れるため、高級スポーツウォッチの領域拡大に大きく資するだろう。自動巻きスプリングドライブ(Cal.9R86)。50石。パワーリザーブ約72時間。ブライトチタン×セラミックケース(直径46.4mm)。10気圧防水。(問)グランドセイコー専用ダイヤル Tel.0120-302-617
6139のベースとなった61系自動巻きムーブメントは4番車を中心に持つセンターセコンド専用機であったため、4番車を6時や9時位置に持つムーブメントとは異なり、水平クラッチによるクロノグラフ化が困難だった。だが、それを逆手に取って、中心の4番車の上にクラッチを重ねることを考案。これが垂直クラッチに結実したのだ。マジックレバーを発明した諏訪精工舎だからこそ実現した“夢”の組み合わせだ。
だが、垂直クラッチを普及させたのは、時代が下った88年にフレデリック・ピゲ(現ブランパン・マニュファクチュール)が開発したCal.1185である。設計者のエドモン・キャプトは、実によく6139を研究したようだ。同機が採用していた円盤状のクラッチバネではなく、たわみに強い3点で支えるクラッチバネに改良した。さらに、クラッチレバーと垂直クラッチを近づけ、一体型のリセットハンマーを採用した。これらの設計は現代の垂直クラッチに受け継がれるものだ。
垂直クラッチを普及させたCal.1185
Cal.1185は、現在もブランパンが後継機F185として採用するほど、まったく色褪せていない。その利点は、垂直方向に摩擦車で連結するため、クラッチ連結時に針飛びしない。軸抵抗が大きく、クラッチの連結を両側からレバーでカットするだけでクロノグラフ車が止まるため、ブレーキレバーを必要としない。水平方向にスペースが出来るため、文字盤側に置かざるを得なかった時積算計をムーブメント側に配することができ、結果、時・分・秒積算車のハートカムを一体型リセットハンマーによって帰零できる、などがある。つまり、クロノグラフ機構の小型化による余白の確保とレイアウトの自由度の向上、整備性の向上が見込めるのだ。
フレデリック・ピゲ(現ブランパン・マニュファクチュール)Cal.1185の直系ムーブメント。一体型のリセットハンマーやオフセットした輪列によって実現したムーブメント厚5.5mmなど、基本的な設計は変わらないが、フライバックが追加されている。なお、ブランパンは同機の振動数を3万6000振動/時に上げ、ヒゲゼンマイをシリコン製に変更したCal.F385も有している。
名機Cal.1185の後継機であるCal.F185を搭載する。古典的なムーブメントの設計を受け継ぎ、時間をかけて熟成させたため、信頼性が高く、操作性も優れている。ムーブメントも魅力的だが、ダイバーズウォッチらしからぬ、良質でよく磨かれた高い質感の外装も評価すべきポイント。自動巻き(Cal.F185)。37石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約40時間。SSケース(直径45mm)。300m防水。(問)ブランパン ブティック銀座 Tel.03-6254-7233
進化する「垂直クラッチ+自動巻き機構」
この利点に着目したメーカーは2000年代に、次々と垂直クラッチ+自動巻き機構を採用したクロノグラフをリリースするようになった。
ジャガー・ルクルトのCal.750系
05年初出のジャガー・ルクルトのCal.750系は、輪列をオフセットさせて厚みを減らした垂直クラッチや一体型のリセットハンマーなど、基本設計を1185に倣っているが、ダブルバレル化によって振動数を8振動/秒に高め、パワーリザーブも1185の約40時間から約72時間に延ばした。さらに調整機構は緩急針から現代的なフリースプラングに改められ、より精度が追求された。
2005年初出のCal.750からスモールセコンドを取り除いたムーブメント。薄型の垂直クラッチ、一体型のリセットハンマーとコンパクトにまとめられたクロノグラフ機構を持つ。結果、ムーブメント厚は5.70mmに抑えられた。ベースのCal.750は設計をフレデリック・ピゲのCal.1185に倣っているが、テンプはフリースプラングになるなど、現代的なリファインがなされている。
1968年に発表されたアラームウォッチ、メモボックス・ポラリスのデザインコードを受け継ぐ「JLCポラリス」シリーズ。ダイアル外周にグレイン、内周にサテンと2種類の仕上げを組み合わせる。3時位置と9時位置のインダイアルはそれぞれ30分積算計と12時間積算計である。自動巻き(Cal.751H)。37石。2万8800 振動/時。パワーリザーブ約65時間。18KPGケース(直径42mm)。10気圧防水。(問)ジャガー・ルクルト Tel.0120-79-1833
カルティエのCal.1904-CH MC
この750系をさらに改良したのが、19年にカルティエが発表した「サントス ドゥ カルティエ クロノグラフ」が搭載するCal.1904-CH MCである。一体型リセットハンマーの先端をバネ状に成形し、組み立て時とメンテナンス時のハンマーとハートカムの当たりの調整を不要とした。設計したのはいずれも、かつてリシュモン グループの頭脳であったキャロル・フォレスティエ=カザピである。
自社開発のCal.1904 MCに、ジャガー・ルクルトが持つCal.750系のクロノグラフ機構を改良して重ねたモデル。設計者はキャロル・フォレスティエ=カザピ。基本設計はフレデリック・ピゲCal.1185の流れを汲んでいるが、大きく長い一枚板のリセットハンマーの先端をバネ状に成形したのが主な違い。バネ性を持たせ、組み立てとメンテナンス時に必要なハンマーとリセット用ハートカムの当たりの調整を不要とした。
9時位置に設けたプッシュボタンでクロノグラフのオン/オフ、リセットを行うワンプッシュクロノグラフ。ケース厚は12.5mmに抑えられている。写真のブレスレットのほか、ブレスレット風ラバーストラップも付属する。自動巻き(Cal.1904-CH MC)。37石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約47時間。SS×18KYGケース(縦51.3×横43.3mm)。10気圧防水。(問)カルティエ カスタマー サービスセンター Tel.0120-301-757
ブライトリングのCal.01
リセットハンマーにバネ性を持たせるという点では、09年に発表されたブライトリングの自社開発キャリバー01も同様だ。自動センタリングハンマーによって、ハートカムを叩く角度の調整を不要とし、さらにクロノグラフ機構を巧みにモジュール化することで、一体型ムーブメントであるにもかかわらず、ユニットごと取り外すことを可能にし、整備性を高めている。この01も時積算車が分・秒積算車と同様にムーブメント側にあるために実現できた合理化だ。
2009年初出の自社開発ムーブメント。自動センタリングハンマーと呼ばれる、バネ状にされた先端が稼働するリセットハンマーを採用することで、ハートカムを叩く角度を調整不要にするなど、アフターメンテナンスにも配慮された設計が目を引く。また、それまでの主力クロノグラフムーブメントCal.13がテンワに高い振り角を与えていたのに対し、Cal.01では振り角を抑え、パワーリザーブを延ばすアプローチで等時性を確保している。
1984年発表モデルを連想させるルーローブレスレットを持つ新作。前作に比べてケース径が小さくなった上、全長も短いため、腕に載せた際の収まりが良くなった。ライダータブは大きく張り出したものから、控えめな形状に変更された。写真は“逆パンダ”ダイアルを持つ日本限定モデル。自動巻き(Cal.01)。47石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。SSケース(直径42mm)。200m防水。(問)ブライトリング・ジャパン Tel.03-3436-0011
グランドセイコーとセイコー
興味深いのが07年にグランドセイコーから登場したスプリングドライブ クロノグラフである。ベースムーブメントは機械式ではないが、クォーツ並みに高精度なスプリングドライブを最も活かせる垂直クラッチを当初から想定していたという。かつて6139を開発したセイコーエプソン(旧諏訪精工舎)ゆえ、自動巻きに採用するマジックレバーとともに、6139の直系と言える。
同じセイコーのCal.8R48は旧セイコーインスツル(現セイコーウオッチ)が開発。自動巻きと垂直クラッチという構成ながら、クロノグラフ機構をすべて文字盤側に配することで、大きな一体型の三叉ハンマーを搭載。さらに、時・分積算車にもクラッチを設け、より厳密な制御を可能にした。セイコーエプソンとは異なるアプローチで叶えた個性際立つクロノグラフ機構だ。
文字盤側にクロノグラフ機構を移設することでスペースを生み出し、より自由な設計を実現したムーブメント。そのため時・分積算車に専用のクラッチレバーと垂直クラッチを与えることができ、積算計の厳密なコントロールを可能とした。また秒クロノグラフ車と分クロノグラフ車、時クロノグラフ車を均等に叩ける位置に一体型三叉ハンマー(下)を置くことでリセット時の針ズレを解消した。
垂直クラッチの採用によって自動巻き化されたクロノグラフは、信頼性と実用性を一層高め、現代においてクロノグラフの普及に大きく寄与しているのだ。
耐震軸受けの「ダイヤショック」と自動巻き上げ機構の「マジックレバー」、主ゼンマイとヒゲゼンマイに用いられる「SPRON」という、3つのセイコーの独自技術「トライマチック」を採用するプレザージュ。本作ではダイアルに琺瑯が使用される。自動巻き(Cal.8R48)。34石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。SSケース(直径42mm)。10気圧防水。(問)セイコーウオッチお客様相談室 Tel.0120-061-012
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