アンティークの分野で、知らぬ人はいないほど高名なW.S.さん。1970年代から時計蒐集を始めた彼は今や、稀少な時計を含む数千本以上の大コレクションを擁するに至った。よほどお金があったのかと思いきや、さにあらず。モノ集めへの執念と、関わってきた人たちとの強い絆はかつてコンステレーションに憧れたひとりの青年を世界的なアンティークコレクターへと成長させたのである。
実業家。1970年代から時計蒐集を開始。以降、日本全国をこまめに歩き、50~60年代の国産時計を数多く揃えた。彼のコレクションの特徴は、ジャンルを問わず、好きな時計を揃えること。また彼は、非喫煙者にもかかわらず、膨大なジッポコレクションを持っている。「時計もライターも、人間くさいのが好き」とのこと。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2020年3月号掲載記事]
「モノを手放すとモノが転がり込んできてさらに楽しい思いができるんです」
W.S.さんといえば、知る人ぞ知る大コレクターである。ジャンルを問わず、さまざまなモノを蒐集する点で、世界的に見ても、彼のような存在は稀ではないか。しかも、昔から時計を集めていただけあって、オークションでも見られないようなレアピースが山のようにある。Wさんが時計に魅せられたのは、20代の頃。
「それ以前も、セイコーなどを持っていましたよ。しかし、パテック フィリップやオメガなどを見て、時計っていいもんだと思いましたね。とりわけ『コンステレーション』は憧れでした」
いわゆる“舶来時計”で時計の魅力に開眼したWさんは以降、時間を見つけては国内各地の時計屋を回り、コツコツと機械式時計を蒐集するようになった。
「時計が集まってきたのは、1980年代の頃ですね。クォーツが普及したので、昔の機械式時計なんて、投げ売り状態だったんですよ。70年代や80年代は、昔の時計が定価で買えたんです。僕にとっては宝の山を見る感じでしたね」
彼のコレクションで目を惹くのは、驚くべき量と質を誇る、国産時計のコレクションだ。箱付き、保証書付きのレアモデルが、ありふれた時計のように転がっている。その中には、今や伝説となった天文台クロノメーター仕様やV.F.A. 規格のグランドセイコーなども多く含まれているのだから、只事ではない。
「今でこそ、グランドセイコーやキングセイコーは人気を集めています。でも、バブルの頃は誰も注目しませんでしたよ。僕は有名でない時代に買っただけ。たぶん、このままだとなくなってしまうと思って蒐集しただけです」
淡々とレアピースの説明をするWさんには、まったく自己顕示欲が感じられない。一部のコレクターは、あれを買った、いくらで買った、どれだけ安かった、と言いたがるが、彼は手持ちの時計を見せて、それにまつわるエピソードを静かに語るだけだ。「ああそうだ」と独りつぶやいて、彼が別室から、古びた懐中時計を持ってきてくれた。銀無垢で鍵巻きの、どこにでもありそうな個体だ。何が面白いんですかと尋ねたところ、Wさんは簡潔に説明してくれた。
「このロンジン、製造番号が33番なんです。日本に正規輸入された初のロンジンではないでしょうか。納入先は皇室ですね」
多くの証言が示す通り、日本の近代化を牽引した明治天皇は、無類のメカ好き、時計好きだった。1868年に製造され、日本に輸入されたこのロンジンはおそらく、そんな「御物」のひとつだったに違いない。普通なら、もっと自慢するはずだが、Wさんは一事が万事、こういう感じなのだ。
これも面白いと思います、と見せてくれたのは1930年代の、手巻きのロレックスだった。個人的には、同じ箱に入っていた「パーペチュアル ムーンフェイズ」や、プレデイトナ時代のクロノグラフに惹かれたが、彼がわざわざ言うぐらいだから、面白いに違いない。
「これはね、初のエクスプローラーなんです」。なるほどよく見ると、文字盤には“EXPLORER”の文字が記されている。こんな個体が存在し、しかも日本にあるとは思ってもみなかった。オークションに出品されたら、どれほどの高値が付くのだろうか。
Wさんが、実業の世界でも成功者であることは言うまでもない。でなければ、稀少な時計を数千本も揃えられなかっただろう。しかし、彼がこれほどのコレクションを築き上げられた理由は、お金以上に執念ではなかったか。Wさんが静かに口を開いた。
「ある時計屋さんにユンハンスのクロックが置いてあったんです。一目惚れして、どうしても欲しいと店主にお願いしました。即、出て行けと言われました」
翌年も、彼は同じ店を訪問。やはり追い返された。3年目も同様である。3回ダメだったら、普通は諦めるだろう。しかしWさんは、その翌年も店を訪問した。
「結局ダメだったんですけどね。4年目になると、おうまた来たかと言われたんですね」。断られた彼は、さらに翌年も店を訪問。やはり結果はダメだった。「6年目に訪問したところ、あなたしつこすぎるねと店主に言われたんです。じゃあいくらで買うんだと言われて、ようやく手に入れました」。
こう言っては失礼だが、彼が欲しがったのは、パテック フィリップの永久カレンダークロノグラフではなく、普通のユンハンス製クロックだ。eBayでもクロットでも、探せばすぐに見つかるだろう。しかし、その個体が欲しいと思った彼は、6年通い詰めて、ついにそのクロックを手にしたのである。執念深さは優れたコレクターに共通する条件だが、Wさんのそれは飛び抜けている。ちなみにそんな彼は、某所に時計に関する資料を山のように揃えている。あの『国際時計通信』を全巻持っている一般人は、ひょっとして世界でも彼だけではないだろうか? 彼は大げさに語らないが、生半なアンティーク屋よりも勉強している。
では、そこまでして手に入れたユンハンスを、Wさんは後生大事にしたのかというと、そうではないから面白い。
「ユンハンスのクロックをずっと愛用していたんですが、ある方にどうしても譲ってくれと懇願されたので手放しました。彼の家に据え付けに行きましたよ。その後も、愛用してくれていますね」
どうして情熱を傾けた時計を手放してしまったのか? 答えを聞いて合点がいった。
「私は時計を集めているわけではないんです。そして良いモノ、稀少なモノは売らないとも決めていません。本当に欲しい人には、その時計を譲るようにしています。そうすると、その人が友達を連れてくるんです。モノを手放すとモノが転がり込んできて、さらに楽しい思いができるんですよ」
まるでわらしべ長者ではないか。にわかには信じがたい話だが、山のように並んだレアピースが、彼の言葉の正しさを証明している。
写真で紹介した時計以外にも、彼はパテック フィリップやオーデマ ピゲなどのレアピースも数多く所有している。ロレックスは言うまでもない。彼は、そういった時計を好むのかというと、違うのだという。
「僕が好きなのは、人の意志を感じる時計なんです。高い安いや、レアかレアでないかは関係ないんです。例えば、オーデマ ピゲのスケルトン。今のモデルはとても良く出来ているけど、どことなく味がないんですよ」
彼が1本の時計を取り出してくれた。「ホーマー」ベースと覚しき、試作品のようなスケルトンウォッチだ。お世辞にも良く出来た時計ではないが、Wさんにとって一番思い入れのある時計だという。
「これはね、九州の時計屋のおじちゃんが、見よう見まねで作ったモノなんです。雑でしょう? でも自分で作ってモノにしたいという意志を感じませんか?」
合点がいった。大コレクションを築き上げたWさんが正真の時計好きなのは間違いない。しかし、彼が本当に魅せられているのは人であり、人との出会いではなかったか。時計を通じたその歩みの、なんと豊かなことか。
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