今や、グランドセイコーメカニカルの定番となったハイビートムーブメント。エボリューション9 コレクションが搭載するCal.9SA系は、その集大成と言える。2024年、グランドセイコーはそこに手巻きのCal.9SA4を追加。約50年ぶりのハイビート手巻きムーブメントを搭載するふたつの手巻きモデルは、実のところ、そこに留まらない魅力に満ちた機械式腕時計となった。そのキーワードとは「時計との対話」だ。
SLGW002/SLGW003
時計との対話という、まったく新しい哲学を盛り込んだ2024年の新作。傑作Cal.9SA5を手巻き用に最適化したCal.9SA4を搭載する。その硬質なリュウズの感触は唯一無二。手巻き(Cal.9SA4)。47石。3万6000振動/時。パワーリザーブ約80時間。
(右)SLGW002。18KPGケース。世界限定80本(うち国内50本)。605万円(税込み)。※数量限定のため、売り切れの場合はご了承ください。
(左)SLGW003。ブリリアントハードチタンケース。145万2000円(税込み)。いずれも直径38.6mm、厚さ9.95mm。3気圧防水。グランドセイコーブティックおよびグランドセイコーサロンのみでの取り扱い。2024年8月9日(金)発売予定。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2024年7月号掲載記事]
最適化された毎秒10振動 手巻きムーブメントの愉悦
2020年発表のCal.9SA5とは、グランドセイコーの新しい幕開けを体現するムーブメントだった。高効率のデュアルインパルス脱進機に、グランドセイコーフリースプラング、そして高い等時性をもたらす巻き上げヒゲゼンマイの組み合わせは、エボリューション9 コレクションに約80時間という実用的なパワーリザーブと3万6000振動/時という高い振動数、そして際立った高精度をもたらした。
この傑作Cal.9SA5をベースに生まれたのが、24年に加わった手巻きのCal.9SA4である。多くの時計メーカーは、自動巻きから自動巻き機構を省いて手巻きとする。「グランドセイコーらしい新しいドレスウォッチ」を作るためならば、それで十分なはずだ。しかしグランドセイコーは、ムーブメント部品の設計を約4割変更して、新たに手巻きのCal.9SA4を起こした。理由は手巻き用に最適化するため、そして優れた巻き味を与えるためだ。グランドセイコーはCal.9SA系の非凡な基礎体力はそのままに、唯一無二の価値を加えようと考えたのである。
結果、完成したのがCal.9SA4を搭載する「エボリューション9 コレクション 手巻メカニカルハイビート 3600080Hours」だった。お披露目されたのはウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ 2024。新しいドレスウォッチの真価を世界に問うにはベストなロケーションだった。果たせるかな、グランドセイコーならではの高い品質と、巻き味という類を見ない個性は、各国のジャーナリストやバイヤーたちから、控えめに言っても、熱狂的な反応で受け入れられたのである。
量産機最良の〝巻き味〟を叶えた秘訣
約半世紀ぶりの手巻きハイビートムーブメントを作るにあたって、グランドセイコーの技術陣は現行品では極めて珍しい要件を加えた。それが「時計との対話」である。リュウズの巻き味を良くするためのさまざまな工夫は、本作に、かつてない個性をもたらすこととなった。
(右)Cal.9SA4には、自動巻きCal.9SA5の機構がそのまま受け継がれた。これは類を見ない脱進調速機。スイスレバー脱進機よりも効率に優れるデュアルインパルス脱進機と高い等時性をもたらすグランドセイコーフリースプラング、そして独自設計の巻き上げヒゲゼンマイ。量産機らしからぬ構成が、際立った高精度の理由だ。
開発がスタートした時点からCal.9SA系に手巻きを加えるというアイデアはあった、と商品企画担当の江頭康平氏は語る。
もっとも開発チームは、自動巻きを外しただけのムーブメントを作るつもりはなかった、という。
「今のグランドセイコーは以前よりもずっとステージが上がりました。ですから、手巻きは別物にしたかったのです」
手巻きムーブメントの要件を詰める中でまとまっていったのは、エモーショナルな価値、つまり「時計との対話」の時間を豊かにすること、だった。
何がグランドセイコーらしい感触なのかという議論の果てに至ったのが、現行品としては珍しい、カチカチした巻き味だった。とはいえ、スペースに制約のある腕時計用ムーブメントに、カチカチした巻き味を与えるのは難しい。大きなコハゼを収めるスペースが取れないためだ。ムーブメントを設計した田中佑弥氏はこう語る。
「感触を明確にするため、9SA4のコハゼバネは、手巻きの9S64の10倍ぐらい強いのです。しかし普通のムーブメントによくある回転式のコハゼだと、コハゼバネの設計が難しい。感触を良くし、動きを見せ、そして耐久性を高めるためにまったく新しいスライド式のコハゼを選びました」
開発陣は、感触と耐久性を詰めるため、コハゼを4種類試作した。加えて、手巻きしやすいようにリュウズを巻く際の角穴車の回転スピードを、9SA5に比べて約15%も高めたのだ。
しかし、いくらコハゼを改良しても、現行の手巻きムーブメントに優れた巻き味は期待しにくい。というのも、リュウズに組み込まれた防水用パッキンが、感触を鈍くするためだ。「巻き心地をよくするため、9SA4では防水パッキンがあることを前提にコハゼ周りを設計しました」(田中氏)
ちなみに、リュウズのサイズによっても、巻き心地は変化する。
「リュウズのサイズも調整して、巻く際のトルクも最適化しました。50人ぐらいに実際に巻いてもらって、そのトルクから適切なサイズにしています」
グランドセイコーらしい細やかな配慮が、巻き止まりとパワーリザーブ表示だ。今までの手巻きグランドセイコーには、巻き過ぎても香箱を傷めないよう、あえて手巻き時の巻き止まりがなかった。対して9SA4では、巻き止まりを設け、しかし巻き過ぎを防ぐためにパワーリザーブ表示が加わった。しかし、これも大変な作業だったと田中氏は語る。
(右)ゼンマイの巻き上げと時間合わせを司るのが、キチ車(奥)とツヅミ車(手前)だ。正回転と逆回転でも感触が変わらないように機構が刷新されたほか、リュウズを引き上げない状態で逆方向に回しても、手に感触が残るようなチューンが施されている。
「9SA系はふたつの香箱を持つツインバレル。つまりパワーリザーブ表示の入り口と出口がまったく別の場所にあるのです。加えて、スペースもないので、大きな歯車で減速比を稼ぐ手法が使えません。そこで、歯形を新規設計し、レイアウトに工夫を凝らしました。しかし、パワーリザーブ輪列を押さえるネジを立てる場所がかなり制限されたので、ネジの位置は100分の1mm単位で調整しました」(田中氏)
薄い手巻きムーブメントというだけでなく、「時計との対話」という明快な哲学を盛り込んだCal.9SA4。加えてグランドセイコーは、この特別なムーブメントにふさわしい外装を、エボリューション9 コレクション 手巻メカニカルハイビート 3600080Hoursに与えたのである。
(右)巻き味を司るコハゼと角穴車。コハゼと噛み合う角穴車と、キチ車と角穴車をつなぐ丸穴伝え車の仕上げは、往年の45GSを参考にしたものである。
マルチに活躍するドレスウォッチの新境地
高性能を実現したCal.9SA4の直径は31.0mmと決して小さくない。しかしSLGW002と003のケースは直径38. 6mm、厚さ9.95mmと、一般的な薄型ドレスウォッチ並みに収まった。それを可能にしたのは、グランドセイコーらしいドレスウォッチとは何か、という模索であった。
江頭康平氏はこう語る。「開発にあたって、グランドセイコーにおけるドレスウォッチとは何かを改めて整理したのです。その中で、サイズに関しては直径40mmを切り、厚さの理想を9mm台としました」。サイズをまとめるためにムーブメントを支える中枠は省かれ、SLG003のケースには、特殊なチタン合金であるブリリアントハードチタンが採用された。軽くてより白く、きめが細かくて硬いため、ザラツ研磨との相性が極めて良い。半面、製造コストは跳ね上がるが、理想のドレスウォッチを完成させるため、あえて採用に踏み切った。
加えて、ドレスウォッチを強調するため、インデックスと時針幅は絞られ、ダイアルリングもあえて省かれた。またケースを薄くするため、裏蓋もねじ込み式ではなくネジ留めだ。デザインを担当した酒井清隆氏は次のように語る。「もっとも、これはグランドセイコー。そのため文字盤に分目盛りを全箇所残しました」。
エボリューション9であることを示すのは、文字盤に施された強いパターンだ。モチーフは今までに同じ白樺。しかし、立体感を強調すべく、樹皮(バーチバーク)の大きなパターンが盛り込まれた。
3万6000振動/時、そして約80時間のパワーリザーブというスペックが際立つ「エボリューション9 コレクション手巻メカニカルハイビート 36000 80Hours」。しかし本作でいっそう見るべきは、腕時計としての際立ったパッケージと主張ではないか。今の市場を見渡しても、これほど明確で、世界に通じるメッセージが込められた手巻き時計が、そうそうあるとは思えない。唯一無二とはこのことだ。
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