自動巻き機構、何が正解なのかをワインディングシステムから研究【ラチェット編】

2024.09.30

自動巻き腕時計が誕生して100年を迎えた2022年の11月号で、クロノス日本版編集部は、自動巻き機構と真剣に向き合った。そのページをwebChronosへと転載していく。今回は自動巻きの元祖ともいうべきワインディングシステム・ラチェット式を、IWCの「ペラトン」やセイコーの「マジックレバー」などとともに、ひもといていく。

自動巻き機構、何が正解なのかをワインディングシステムから研究【スイッチングロッカー編】

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【自動巻き機構考察シリーズ】後世に名を残す自動巻きの名機たち

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自動巻き機構、何が正解なのかをワインディングシステムから研究【リバーサー編】

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三田村優、奥田高史、奥山栄一、吉江正倫:写真
Photographs by Yu Mitamura, Takafumi Okuda, Eiichi Okuyama, Masanori Yoshie
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited & Text by Chronos Japan Edition (Yukiya Suzuki, Yuto Hosoda)
[クロノス日本版 2022年11月号掲載記事]


「ラチェット式」から自動巻き機構を考察する

 スイッチングロッカー同様の簡潔な自動巻きが、爪で巻き上げるラチェット式である。不動作角が大きいというデメリットはあるが、優れた設計であれば、シチュエーションを問わずよく巻き上がる。代表例はIWCの「ペラトン自動巻き」とセイコーの「マジックレバー」だ。


ラチェット式の誕生から普及まで

IWC Cal.52615

IWC Cal.52615
ラチェット式の雄が、ペラトン自動巻きだ。Cal.52000系はその完成形。基本的な設計やパラメーターはオリジナルにほぼ同じ。しかし、カムと巻き上げ爪、そしてそれに噛み合う中間車がセラミックス製となったため、理論上は自動巻き機構がほぼ摩耗しなくなった。IWC曰く、手巻きの必要はないが、仮に手巻きをしてもまったく問題はない。

 アブラアン-ルイ・ブレゲの採用した「自動巻きの元祖」が、爪(ラチェット)で主ゼンマイを巻き上げるラチェット式自動巻きである。ローターの回転運動を爪の左右運動に変換し、香箱を引っかけるこの機構はシンプルで、時計師たちにも理解しやすいものだった。しかも、かのブレゲが用いたとあれば、自動巻き黎明期の設計者たちがラチェット式を選んだのは当然だろう。1922年のル・ロワや26年のハーウッド(フォルティス)、そして43年のオメガ330系を含む多くのハーフローター自動巻きに共通するのは、ブレゲに倣った、古典的なラチェット式の自動巻き機構である。

ショパール Cal.L.U.C 96.01-L

ショパール Cal.L.U.C 96.01-L
摩耗しにくいラチェット式の自動巻きは、1940年代から50年代の高級機に採用された。その流れをくむのが、ショパールのCal.L.U.C 96系(除く96-53)だ。パテック フィリップのCal.27-460を思わせる凝った自動巻き機構は、本作が超高級機であることを示している。もっとも、発表が1997年と古いため、巻き上げ効率は最新作ほど高くない。

 もっとも、ラチェットの採用にはもうひとつの理由があった。それが頑強さである。この時代の自動巻きは、今の基準はもちろん、当時から見ても、決して巻き上げが良いとは言えなかった。洗練された機構を持つハーウッドでさえ、自動巻きを使った際のパワーリザーブは、約12時間しかなかったと言われる。そのため黎明期の自動巻きは、頻繁に手で巻いて、巻き上げ不足を補わねばならなかった。誤解を恐れずに言うと、この時代の自動巻きムーブメントは、ロレックスを例外として、手巻きの補助に過ぎなかったのである。そこで問題となったのが、自動巻き機構の耐久性だった。

ラチェット式

ラチェット式の弱点のひとつが、不動作角の大きさだ。一般的な解決策はローターを重くするか、回転をスムーズにするか、あるいは自動巻きを簡潔にすること。対してIWCの89000系やヴァン クリーフ&アーペルの一部ムーブメントでは、巻き上げる爪の数を4つに増やすことで、不動作角を大きく減らすことに成功した。ローターの厚みを増やしにくい複雑系のムーブメントには、有用な解だろう。

 40年代半ばに完成したリバーサー式の自動巻き機構は、スイッチングロッカーに比べて巻き上げ効率が良く、ラチェットに比べて、レイアウトの自由度も高かった。しかし、手巻きをするとリバーサーが高速で回り、たちまち摩耗した。一方のラチェットは、爪と中間車が擦れるだけで、自動巻き機構全体はダメージを受けにくかったのである。これが40年代以降も、各社がラチェット式の開発を進めた一因だろう。オメガ、ロンジンにパテック フィリップなどがラチェット式の自動巻きムーブメントをリリースし、とりわけジュネーブの老舗は大きな成功を収めた。しかし、ラチェット式自動巻きが今のようなカタチになるのは、50年のIWC「ペラトン」と、59年のセイコー「マジックレバー」以降だろう。


「ペラトン」と「マジックレバー」

ペラトン式の巻き上げ方法

ペラトン式の巻き上げ方法
IWCが採用を続ける、傑作自動巻きがペラトン式だ。ローターが左回転すると、偏心カムも左回転(赤❶)する。そして偏心カムの出っ張りにルビーが接触し、ルビーを保持するロッキングバーを赤❷の方向に押し出す。ロッキングバーが押し出されると伝え車に接触しているふたつの爪のうち、赤❸が伝え車を右回転側に引き(❹)、香箱を巻き上げる。なお、この時もう一方の爪は伝え車上を滑っている。ローターが右回りした際はその逆だ。偏心カムがルビーに当たると、ロッキングバーを青❷方向に押し出し、青❸の爪が伝え車を右回転(❹)するように引く。そしてこの時、赤❸の爪はやはり滑っている。

アルバート・ペラトン

ペラトン式自動巻きを開発したのが、IWCの設計責任者を務めたアルバート・ペラトン(左)である。ローターの回転を偏心カムに伝え、そのカムが巻き上げ用の爪を備えたロッキングバーを左右に動かし、爪が香箱と噛み合った伝え車を回していく。あえてローターと爪を直接つながなかったのは、当時の自動巻きで頻発した、ローター真の破損を嫌ったためと言われている。厚みはあるものの、極めて巻き上げ効率の高いこの自動巻きは、2000年以降、再び日の目を見ることとなった。

 ペラトン自動巻きは、同時代のロンジンやパテック フィリップに同じ、巨大なラチェット式の自動巻きだった。目を引くのは、頑強な受けで支えられた重いローターと、その動きを左右運動に変換する、やはり大きく重いラチェットである。自動巻き機構が大きく重くなると、理論上は巻き上げ効率が悪化してしまう。そこでIWCは、ローターをルビーで支えることで、ローターがスムーズに回るようにした。加えて、ローターの受けにサスペンションを設けることで、重いローターには付きものだったローター真の破損を防いだのである。

 一方、あえて自動巻きを簡潔にしたのがセイコーのマジックレバーだった。そもそもマジックレバーの開発目的は、当時手巻きの2倍と言われた自動巻き時計の売価を抑えるためだ。しかし、部品点数が減り、自動巻き機構の慣性と抵抗が小さくなった結果、ローターの回転運動は、無駄なく香箱に伝えられるようになったのである。

マジックレバー式の巻き上げ方法

マジックレバー式の巻き上げ方法
1959年に諏訪精工舎(現セイコーエプソン)が開発したマジックレバー。仕組みは非常にシンプルで、常にふたつの爪が伝え車と接触しており、一方が伝え車を動かしている時はもう一方が滑っている状態を維持することで、伝え車を一定の方向に回し続けるというものだ。ローターが左回転した際(❶)は赤❷の爪が❸の伝え車を押して左回転させる。この時、青❷の爪は滑っている状態だ。反対にローターが右回転をすると、青❷の爪が❸の伝え車を引いて、やはり左回転させる。もちろんこの時、赤❷の爪は伝え車の上で滑っている状態だ。図では伝え車を押す爪、引く爪が伝え車の上で滑る時の動力の起点を❶'として記している。

 なお、ラチェット式の自動巻きは、ローターの回転数ではなく、重力で巻き上げる「重力式自動巻き」に分類できる。そのためローターが高速回転し続ける際の巻き上げ効率は、歯車の噛み合いでゼンマイを巻き上げるリバーサーやスイッチングロッカーほど高くない。またローターが回転しても自動巻き機構が作動しない「不動作角」も、リバーサー式や片方向巻き上げに比べるとかなり大きい。もちろんメーカーによって異なるが、ラチェット式の不動作角は、一般的にスイッチングロッカー並みの40度から45度と言われている。

 しかし、優れた設計が伴っていれば、さまざまなデメリットを無視してなお余りあるほど、ラチェット式の自動巻きは素晴らしいパフォーマンスを見せる。こういう特性をさらに突き詰めたのが、IWCの現行ペラトン自動巻きと、グランドセイコーのCal.9RA2(とA5)だろう。このふたつが、驚くほど高い巻き上げ効率を持つのは、ローターをスムーズに回し、加えて自動巻き機構の抵抗を減らした結果と言える。

Cal.52000系のペラトン自動巻き

Cal.52000系のペラトン自動巻き。黒く見えるのは、セラミックス製の巻き上げ爪と、それが噛み合う伝え車だ。あえてブラックセラミックスを選んだのは、摩耗した際にムーブメントが汚れて見つけやすくするため。もっとも、セラミックス製の部品は、理論上半永久的な寿命を持つ。この自動巻き機構は、Cal.82000系も同様である。

グランドセイコー Cal.9RA2

グランドセイコー Cal.9RA2
ローターをスムーズに回し、できるだけ自動巻き機構の抵抗を抑えると、ラチェット式の自動巻きはずば抜けたパフォーマンスを見せる。その好例が、グランドセイコーが採用するCal.9RA2とA5だ。ローターをセラミックス製のベアリングで支えるほか、中間車を加えたにもかかわらず、自動巻き機構の効率を従来と同じレベルに留めた。

 多くのデメリットを無視できるほどの美点を持つラチェット式の自動巻き。この20年で多くのメーカーが、再び目を向けるようになったのは当然だろう。しかも大きなローターを載せても、片方向巻き上げ自動巻きのような空転時のショックもないのである。強い主ゼンマイを持つ複雑時計や、長いパワーリザーブを持つムーブメントは、これからますますラチェット式の自動巻きを選ぶようになるに違いない。

IWC「ビッグ・パイロット・ウォッチ・パーペチュアル・カレンダー」

IWC「ビッグ・パイロット・ウォッチ・パーペチュアル・カレンダー」
SSケースとブルー文字盤を組み合わせたモデル。理論上2100年まで修正不要な永久カレンダーを搭載する。文字盤上のすべての表示が完全に同期されているため、リュウズ操作のみで時刻とカレンダーを修正することが可能だ。自動巻き(Cal.52615)。54石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約168時間。SSケース(直径46.2mm、厚さ15.4mm)。60m防水。

ラチェット information

採用ブランドと主なムーブメント
IWC自社製ムーブメント、カルティエ Cal.1904 MC、Cal.1847 MC、セイコー Cal.9R系、Cal.6R系など。

メリット
部品点数が少なく摩耗しにくい。実用上の巻き上げ効率に優れる。

デメリット
水平方向にスペースを取る。不動作角が大きく、ノウハウが必要。

[総評]
デメリットも多いが、現在最も支持を集める自動巻き機構が、爪で巻き上げるラチェット式だ。とりわけ主流となっているのが、セイコーが開発したマジックレバーの派生系である。リシュモン グループのマジッククリックもそのひとつ。不動作角はスイッチングロッカー並みに大きいが、設計が優れていればデスクワークでもよく巻き上がり、片方向巻き上げのような空転時のショックもない。今後、さらに普及するであろう自動巻き機構だ。

L.U.C 96.01-Lの巻き上げ方法

L.U.C 96.01-Lの巻き上げ方法
ショパールが誇る名機、Cal.L.U.C 96.01-Lは薄型でマイクロローターによる巻き上げを行うが、カムを用いた一風変わった手法を採る。動きの流れは次の通り。ローター❶が振られると、ローターと同軸にある三角形のカムも回転する❷。巻き上げレバーの二股に分かれた先端のローラーがカムを挟み込むように配置され、カムの回転によって左右に振られる❸。往復運動を行う巻き上げレバーの根元付近にはラチェットにあたるインバータ❹(爪が付いた金色のパーツ)がペアになっており、これらがラチェット車を挟んで回転させる仕組みである。インバータの爪は片方がラチェット車の歯先を押すとき、もう片方は逃げる形状のため、ローターがどちらに振られようと、香箱まで伝達するラチェット車の回転方向は同一になるのだ。


採用ブランドに聞く、自動巻き機構の設計思想
〈IWC〉ステファン・イーネン×Cal.89000系、Cal.52000系など

ステファン・イーネン

ステファン・イーネン
1973年、スイス生まれ。時計師としての教育を受けた後、精密工学を専攻。2002年、IWCに入社、06年までムーブメントの開発に携わる。06年9月より、R&D部門の責任者。彼の手掛けた主なムーブメントはCal.89360など。

 私たちは、自動巻き機構を片方向か両方向巻き上げかというよりも、加速度巻き上げと重力巻き上げのふたつに分類しています。前者は振動質量が軽く、ゼンマイを巻き上げるのに何回転も必要な機構です。対してペラトン式は重力巻き上げ機構です。これは振動質量が大きく、高いトルクを発生させられるため、ローターの少ない回転数で巻き上げることができるのです。従って、ローターが動いても自動巻きが動かない「不動作角」の大きさも問題になりません。

 Cal.32000と69000は、マジッククリック式を採用しています。89000はマジッククリックをベースにしたダブル爪巻き上げ方式ですね。爪をダブルにしたのは不動作角を小さくするためです。その他のIWC製ムーブメント、Cal.52000や82000系はペラトン自動巻きです。私たちが前者にマジッククリックを採用したのは、磨耗の問題よりも部品点数が少なく、全体を大幅に薄くできるためでした。

 IWCは性別による腕の動きの違いはないと考えています。むしろ重要なのは、アクティブな着用者とパッシブな着用者との違いでしょう。私たちの経験では、「巻き上げ」がうまくいかない場合と、非常に良い場合の巻き上げ係数の違いは3〜5です。もっとも32000は、最高の巻き上げ係数を誇り、パッシブな人でさえも、優れた性能を発揮します。さらに、すべての巻き上げシステムは、スポーティーな着用者の手首でも10年のサービスインターバルを実現できるように設計・テストされています。


ショパール「L.U.C」にまつわる名前の由来をひもとく

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