昨年、大きな話題を呼んだIWCの新型「インヂュニア」。ジェラルド・ジェンタのデザインを今に蘇らせただけでなく、そこにIWCらしい優れたパッケージングを加えた本作が注目を集めたのは当然だろう。1970年代の造形を巧みに昇華させたIWCの手腕を、改めて見ることにしたい。
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2024年11月号掲載記事]
いかにしてIWCは過去のデザインを〝今〟に昇華させたのか?
2023年に鳴り物入りで発表されたIWCの新型「インヂュニア」。ジェラルド・ジェンタのデザインに回帰しただけでなく、ムーブメントも5日巻きの自動巻きに進化した。もちろん、インヂュニアの特徴である軟鉄製の耐磁ケースは、本作にも採用されている。そう言って差し支えなければ、新しいインヂュニアとは、1976年の「インヂュニア SL」ではなく、その後継機として生まれた、薄いインヂュニア(Ref. 3508)のリバイバルと見なせるかもしれない。薄くて軽快なパッケージングは、明らかに、80年代から2000年代のインヂュニアを思わせる。
もっとも、新しいインヂュニアの開発にあたってはかなりの時間を要したという。同社は22年のウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブで一部の関係者にインヂュニアのプロトタイプを見せた。かくいう筆者もそのひとりだ。しかし、翌年発表された完成版は、まったく別物となっていた。後にR&D部門の責任者であるステファン・イーネンは「ブレスレットの見直しが大変だった」と説明した。
新しいインヂュニアは、ジェンタのデザインを継承しつつも、今風にアップデートされている。そのひとつが、リュウズガードだ。デザイナーのクリスチャン・クヌープは、あえて変更を加えた理由を「ジェンタは同じデザインを好まなかった。ちょうどピカソが変わり続けたようにね」と語る。とはいえ、スポーティーテイストを強調したインヂュニアが、リュウズガードを備えたのは必然だった。これはかつてのIW3229にも見られるディテールだが、エッジの面取りが示すように、仕上がりはもう一段向上した。
特徴的なベゼルも進化した。見た目こそ従来に同じだが、固定方法が変わったのである。クヌープはこう語る。「かつてのインヂュニアは、ベゼルをねじ込むための穴がずれることがあった。そこで、ベゼルの固定方法を一新して、ネジで固定し、穴が正しい位置に収まるように改めた」。また、今のトレンドを意識したのか、ベゼルも細く絞られた。ジェンタ・デザインによるSLとの大きな違いは、ベゼルの太さにあると言えそうだ。
外装のパッケージングも進化している。10気圧の防水性能(実際はその1.25倍ある)に軟鉄製の耐磁ケースを加えたにもかかわらず、ケースの厚さはわずか10.7mmに留まった。また、ケースの全長も45.7mmと、直径40mmの腕時計としてはかなり短い。併せて、ひとコマ目の可動域を大きく取ることで、細腕にもなじむようなセッティングが施された。
ブレスレットは、ピンを押して完全にばらせるタイプのものだ。IWCは1990年代からこの構造を採用してきたが、コマの少ないスポーティーなブレスレットでは初となる。左右の遊びを持たせるのは難しいが、適度なしなやかさは従来の多連ブレスレットに同じだ。また、ブレスレットと時計部分の重量バランスが適切なため、ゆるく着けてもヘッドが動きにくい。正直、2022年のプロトタイプは一部のエッジが立ちすぎていたが、製品版では完全に解消された。強いて言うと、直径40mmのケースに対して、14mmというバックルの幅は狭いが、重さのバランスが取れているため、ヘッドヘビーな印象はない。
CEOのクリストフ・グランジェ・ヘアにバックルから微調整機能を省いた理由を尋ねたところ、デザインのバランスを壊したくなかったと回答した。確かに、細くて重いバックルは新しいインヂュニアの装着感を損ねるに違いない。しかし、それぞれのコマを短くすることで、装着感を改善したのはIWCらしい配慮だ。
文字盤のデザインも見直された。かつてのIW3229は、文字盤の外周にスポーツウォッチ風の見返しリングを加えていたが、本作では潔く省かれた。理由は、ベースムーブメントの違いだろう。3229が採用していた30110はETA2892A2(もしくはセリタSW300)の改良版だった。直径25.6mmのムーブメントを載せると、日付窓は文字盤の内側に入ってしまう。そのバランスを取るため、IWCは見返しリングを設けたのだろう。対して本作のムーブメントは直径28.8mmの32111だ。日付表示を文字盤の外側に出せるため、本作では見返しリングを省けたと推測できる。また、3時位置の日付窓とインデックスが、他のインデックスと同じ同心円上にある点にも注目したい。日付窓の位置に極めて厳密だったジェンタのデザインを、今のIWCのチームは忠実に踏襲したのである。
正直、新しいインヂュニアの価格は決して安くはない。ただし、今のIWCらしい外装の仕上げや優れた装着感、そして高い精度を持つ自動巻きなどは、良質なデイリーウォッチとしての完成度を大いに高めた。しかも今年からは、ブティック限定でなくなったため、いっそう入手しやすくなったのである。他にはないソリッドな実用時計を探している人にとって、新しいインヂュニアは、間違いなく優れた選択肢となるに違いない。
2023年にリバイバルを遂げた新生インヂュニア。1976年のインヂュニアSLとはまったく別物の腕時計となったが、ケースの上面をなだらかに成形したり、日付窓を適切な位置に置いたりすることで、デザインの共通性を保っている。いわゆる「ジェンタ針」も復活を遂げた。その一方で質感や実用性は大幅に向上した。自動巻き(Cal.32111)。21石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約120時間。SSケース(直径40mm、厚さ10.7mm)。10気圧防水。各177万6500円(税込み)。