2024年のジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリ(GPHG)において金の針賞を受賞したのが、IWC「ポルトギーゼ・エターナル・カレンダー」である。3999年まで正確に表示されるカレンダーに加えて、4500万年に1日しか狂わない月齢表示を持つ本作は、史上最も高度なカレンダーウォッチと言えるだろう。しかもそのサイズは、既存の永久カレンダーにほぼ同じ。一体、IWCの開発チームは、どうやってこの大作を作り上げたのだろうか?
100年おきの閏年の調整も自動的に行うエターナルカレンダー。既存のムーブメントを改良することで、IWCはこの機構の量産化に成功した。これは腕時計が搭載するカレンダー機構としては最も洗練されたものだろう。自動巻き(Cal.52640)。54石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約7日間。Ptケース(直径44.4mm、厚さ14.9mm)。5気圧防水。要価格問い合わせ。
Photographs by Eiichi Okuyama, Yu Mitamura
広田雅将(本誌)、鈴木幸也(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan),
Text & Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2025年1月号掲載記事]
簡潔な解決策で史上最も高度なカレンダーウォッチを実現した手腕
2024年に発表された時計の白眉が、IWCの「ポルトギーゼ・エターナル・カレンダー」だろう。これは閏年まで自動的に調整する永久カレンダーではなく、加えて100年ごとの日付調整も不要にしたセキュラーカレンダーである。今までも、いくつかの時計メーカーがセキュラーカレンダーを製作してきたが、パテック フィリップ「キャリバー89」やフランク ミュラー「エテルニタス」など決して数は多くない。理由は、設計も製造も極め付きに難しいためだ。理論上は永久カレンダーに、100年ごとの調整用歯車を加えればできるはずだが、それを腕時計の限られたスペースに組み込むのは極めて難しかったのである。しかし今回IWCは、巧みな設計でセキュラーカレンダーと、4500万年に1日しか狂わない精密なムーンフェイズを実現しただけでなく、その量産化にも成功した。
この画期的なセキュラーカレンダーを語る前に、ベースとなったIWCの永久カレンダーを改めておさらいしたい。クルト・クラウスが開発した永久カレンダーモジュールは、今までのものとは根本から違うものだった。まずは動力源。一般的な永久カレンダーは、針を動かす日車(24時間車)から動力を取っている。対してクラウスの永久カレンダーモジュールは、1日に1回動く、デイトリングを動力源としていた。つまり、1日に1回進むデイトリングにピンを立て、ピンが動くと、そこに連動したカレンダーがすべて切り替わるのである。このモジュールを採用した1985年の「ダ・ヴィンチ・パーペチュアル・カレンダー」が、リュウズの操作だけですべてのカレンダーを送れるようになった理由だ。加えて、日車を動力源に持たないこの永久カレンダーモジュールは設計をシンプルにできた。そのため、ショックに強く、壊れにくいというメリットがあった。後にIWCがスポーツウォッチの「GST」や「パイロット・ウォッチ」に、永久カレンダーモデルを加えられた理由だ。
ふたつの香箱で約7日間のパワーリザーブを誇るCal.52000系は、永久カレンダーのベースムーブメントにうってつけだ。今回は、このムーブメントに大改良を加えて、セキュラーカレンダーとしている。ヒゲゼンマイは巻き上げヒゲではなく平ヒゲ。あくまで推測だが、シリコン製ヒゲゼンマイを搭載するための下準備といったところか。ペラトン自動巻き機構にセラミックスを使うことで、耐久性も極めて高い。
簡潔な永久カレンダーは、もうひとつのメリットをもたらした。それが非凡な拡張性だ。そもそもIWCのカレンダーモジュールは、ETA7750に搭載したダ・ヴィンチの時点でさえ余白があった。8時位置に4桁の西暦表示を持ち、122年に1日しか狂わない精密なムーンフェイズを持てた理由である。ベースムーブメントが大きなポルトギーゼでは、さらにその余白は一層大きなものとなった。結果、生まれたのが、北半球と南半球を同時に表示するだけでなく、577・5年に1日しか狂わない画期的なムーンフェイズ機構だった。
長年、IWCはその永久カレンダーの上位互換であるセキュラーカレンダーを作るという計画を持っていた。ポルトギーゼほどのスペースがあれば実現不可能ではないし、事実、永久カレンダーを完成させたクルト・クラウス自身もセキュラーカレンダーを作るという希望を持っていたそうだ。しかしこのアイデアを形にしたのは、IWCの若い設計者だった。
基本的にIWCを含むすべての永久カレンダーは、4年で1回転する48カ月車がカレンダーの日送りを司る。4年で1回転する理由は、4年ごとの2月末に対処するため。普通は28日で終わるところが、29日に進める必要がある。しかし100年に1度の閏年になると2月末は29日ではなく28日で終わる。これに対応したのがセキュラーカレンダーであり、ポルトギーゼ・エターナル・カレンダーである。
可能にしたのは、4年ではなく400年に1回転する「400年歯車」と呼ばれる部品だ。この歯車には3つの刻み目が付いており、100年ごとの2月末になると、刻み目が48カ月車の凹みに重なり、閏年の処理をスキップさせる。その結果、少なくとも西暦3999年までは、正確にカレンダーが表示されるようになった。しかし、これほど壮大な機構にもかかわらず、既存の永久カレンダーに追加されたのは、わずか8つの部品のみ。「4年に1回転する48カ月車は、5つの歯を持っている。そのひとつに突起を設けることで、20年に1回転する20年車を設けられる。この20年車が400年歯車を回す」と開発責任者のステファン・イーネンは語る。極めてシンプルな機構となった理由は、サイズを永久カレンダーと同じにするという要望があったため。開発チームは新たに計算用のプログラムを開発し、2兆7000億通りもの計算から、一番簡潔な構成を導き出したという。
そしてもうひとつの特徴が、4500万年に1日(!)しか狂わない月齢表示だ。IWCの永久カレンダーは、当初122年に1日にしか狂わない月齢表示を売りにしていた。これがムーブメントの大きなポルトギーゼでは、577・5年に1日という精度になり、今回は4500年ではなく、4500万年に1日という途方もない正確さとなった。減速歯車を組み込むのは日送り機構に同じ。IWCの開発チームは22兆通り(!)を超える組み合わせをシミュレーションし、3個の中間車を用いた新しい減速輪列を考案。減速させればさせるほど月齢表示は精密になるが、それを3つの中間車で実現できるとは予想外だった。もっとも月齢の狂いはもっと追い込めるとイーネンは語る。「月は毎年3㎝から4㎝ほど地球から遠ざかる。だからあまり厳密に追い込んでも仕方ないと判断したよ」。
理論上は歯車と歯数を増やせば、セキュラーカレンダーも、より精密な月齢表示が実現可能だ。しかし、スペースにゆとりがあるとはいえ、ポルトギーゼのムーブメントは直径が38㎜しかない。一体どうやって、歯車を減らしたのだろうか? イーネンはUV-LIGAのおかげと述べる。「仮に設計ができても、精密な部品がなければ実現できない。今回、IWCがカレンダーや月齢表示に組み込んだ歯車は、極端なほど精密に出来ている。今までの製法ではできなかったが、LIGAのおかげで、追加した歯車の歯形やサイズなどを最適化できた」。
時計に使う歯車は基本的にプレスや切削で作られる。しかし近年はUV-LIGAによる歯車が普及するようになった。これはX線リソグラフィで作った型に電気鋳造でメッキを施し、部品とするもの。機械式時計に使うには贅沢すぎるが、理論上は設計図と全く同じ部品を作ることができる。また、歯車の形状を自在に変えられるため、歯先に弾性を持たせることも可能になった。今回、IWCはUV-LIGAを使うことで、マイクロメートル単位で正確な歯車を製作し、コンピュータ上でのシミュレーションを実物に落とし込んだのである。
執念とも言える追い込みで、3999年までの正確なカレンダー表示と超高精度ムーンフェイズを実現したIWC。2024年のジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリで、このモデルが金の針賞を獲ったのは当然だろう。受賞時に、CEOのクリストフ・グランジェ・ヘアはこう語った。「この時計を見ると、人類として何をすべきかを考えたくなる」。単に精密なだけではなく、地球の未来にも思いを馳せられるような時計。そんなタイムピースがかつて存在しただろうか?