19世紀後半から世界の海軍や海運会社などにマリンクロノメーターを供給し、その第一人者としての名声を築いたユリス・ナルダン。1983年のブランド再興以降、ユニークなコンプリケーション、シリコンテクノロジー、メティエダールへの取り組みが21世紀のオートオルロジュリーに新たな展望をもたらした。その原動力になっているのは、常に限界に挑む、果敢な姿勢だ。
ユリス・ナルダンと海洋の世界をネイビーブルーによって象徴的に表現した最新作。サテンおよびポリッシュ仕上げとブラックDLC加工を施したチタンケース、独自のカーボニウム製ベゼル、リサイクル素材によるブルーのラバーストラップを組み合わせ、「フリーク ワン」の印象を新たにする。自動巻き(Cal.UN-240)。15石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約90時間。Tiケース(直径44mm、厚さ13.37mm)。30m防水。1054万9000円(税込み)。
菅原茂:取材・文 Text by Shigeru Sugawara
竹石祐三:編集 Edited by Yuzo Takeishi
[クロノス日本版 2025年1月号掲載記事]
限界を打ち破る姿勢が築き上げたオートオルロジュリーの世界
スイス・ジュラ山脈の山間の街ル・ロックルは、近隣のラ・ショー・ド・フォンとともに時計の歴史に重要な役割を果たした産業都市として、ユネスコ世界遺産に登録されている。そのル・ロックルで1846年に時計師ユリス・ナルダンが開設した工房が、現在までおよそ180年存続するブランドの起源だ。
ユリス・ナルダンは、創業当初から複雑機構を搭載する懐中時計で名声を博し、博覧会で数々の賞に輝く。その一方で、航海や新しい領土の獲得に欠かせない正確な計時技術の需要が高まる中、ユリス・ナルダンは船舶に搭載するマリンデッキ クロノメーターの製造にも乗り出した。ユリス・ナルダンのマリンクロノメーターは、傑出した高精度を実現し、この分野で圧倒的な地位を獲得する。1876年に父の後を継いだ2代目ポール・ダヴィド・ナルダンもマリンクロノメーターの製造に全力を注ぎ、その後、日本を含む世界50以上の海軍や海運会社に自社製品を供給した。こうしてユリス・ナルダンのマリンクロノメーターが、世界の海で計時の標準になった。
マリンクロノメーターのスペシャリストとして名声を博す一方、ユリス・ナルダンは20世紀において高品質の懐中時計やシンプルな腕時計も手掛けていたが、スイス時計産業を襲ったクォーツ革命によって1970年代に経営難に陥った。
存続の危機を救ったのは実業家のロルフ・シュニーダーだ。83年にユリス・ナルダンを買収した彼は、かつてマリンクロノメーターが精度の限界を打ち破ったように、今度は機械式腕時計の分野で複雑機構の限界に挑み、ハイブランドとして復興すべく努めた。最初の成果は、天才の呼び声が高いルートヴィヒ・エクスリン博士の協力を得て、83年から92年にかけて発表した一連の複雑時計「天文3部作」である。腕時計の限られたサイズで多種多様な天文表示を行う独創的な機能は、世界の人々を驚かせただけでなく、伝統的な複雑時計を得意とする多くのブランドにも衝撃を与えた。
天文3部作に続き、限界への挑戦によって高級時計製造を新たな段階へと導いたのは、2001年発表の「フリーク」だ。あらわになったムーブメントがケースの中で回転しながら時刻の分表示を行うという前代未聞の複雑機構が、またもや世界を驚かせた。回転するフライングカルーセルのみならず、脱進機のデュアル機構とシリコン素材もまた、限界への挑戦の見事な成果と言える。ムーブメントの脱進機などにシリコン素材を用いるのは今や珍しくはないが、ユリス・ナルダンは、フリークで未来の技術を先取りしていたのである。以降のフリークでシリコンテクノロジーにさらに磨きをかけたユリス・ナルダンは、自社ムーブメントの開発にもその専門技術を活かし、基幹ムーブメントとなるキャリバーUN - 118を完成させた。素材革命と呼ばれたシリコン製パーツは、もはやスタンダードになったのである。
メティエダール、すなわち職人の手作業による伝統工芸も、ブランド再興以降の注目すべき挑戦のひとつだ。ユリス・ナルダンらしい海と帆船をモチーフにした一連のエナメルダイアルは、失われつつあったエナメル職人の卓越した専門技術と、その貴重な価値を再認識させる結果となった。今や高級時計ブランド各社に見られるエナメルダイアルだが、その復興にも寄与したと言える。
これからも、ユリス・ナルダンの飽くなき挑戦が、オートオルロジュリーの世界を変えてゆくに違いない。
革新技術を集成させたアバンギャルドの最先端
世紀の変わり目にスイス時計産業が一丸となって模索していたのが、21世紀をリードする革新的なテクノロジーやデザインだった。他に先駆けてその突破口を切り開いたのが「フリーク」だ。ユリス・ナルダンが開拓した複雑機構とシリコンテクノロジーによって、たゆまず進化し続けるフリークが機械式時計にもたらした功績は計り知れない。
フライングカルーセルがツインリアクターを備えた宇宙船を思わせ、シリーズ中最もハイテク感が際立つ「フリーク S」の限定モデル。回転アワーディスクに熟練した職人が手作業でダイヤモンドのギヨシェ装飾を施し、メティエダールの伝統も強調する。自動巻き(Cal.UN-251)。33石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約72時間。Tiケース(直径45mm、厚さ16.65mm)。30m防水。世界限定99本。2345万2000円(税込み)。
さまざまな高級時計ブランドが古典的なトゥールビヨンを搭載する複雑時計を発表していた21世紀の初頭、世界に衝撃を与えたのが「フリーク」の発表だ。輪列と調速脱進機が一直線に並ぶムーブメント自体が1時間で1回転し、分を示すフライングカルーセルと特別な回転ディスクで12時間を示す極めて異例な時刻表示や、ケース内を占有する長尺の主ゼンマイ、さらにはリュウズがなく、ケース側の装置で巻き上げと時刻調整を行う仕組みなど、それまでの時計作りの常識では考えられないメカニズムとデザインを持っていたからだ。モデル名の「フリーク」には異形や風変わりというだけでなく、人を熱狂させるという意味もあるが、2001年にセンセーションを巻き起こしたこの腕時計の本質は、まさにそこにあった。
さらに、フリークの画期的な技術も注目の的になった。ふたつのガンギ車によってエネルギー伝達の向上を図り、注油も不要というデュアル・ユリス脱進機と、その製造に用いられた業界初のシリコン素材である。ユリス・ナルダンはシリコン製部品の専門会社シガテックを設立するなど、この分野の先駆者になった。
2019年に登場した「フリーク X」は、新世代の時計愛好家に向けて、より親しみやすいフリークを作るために考案された。フライングカルーセルのメカニズムを簡素化し、巻き上げと時刻合わせのためのリュウズを追加するなど、数々の特徴がある。自動巻き(Cal.UN-230)。21石。2万1600振動/ 時。パワーリザーブ約72時間。Tiケース(直径43mm、厚さ13.38mm)。50m防水。434万5000円(税込み)。
世界を驚かせたフリークは、ユリス・ナルダンの最先端技術を反映するアイコンモデルとして進化の道を歩むことになる。2007年にはシリコン基板の上にダイヤモンド層を蒸着させた新素材ダイヤモンシルをデュアル・ユリス脱進機に用いた「フリーク ダイヤモンシル」を発表。2010年には、カルーセルをフライングトゥールビヨンに変更し、秒表示も行う「フリーク ディアボロ」が登場。さらに、いくつかのバリエーションを経て、2018年にシリコン製テンプと独自の巻き上げ機構を備える初の自動巻きモデル「フリーク ビジョン」へと、革新の系譜は途切れることなく続いていく。
2019年発表の「フリーク X」における顕著な進化は、価格も含め、より近づきやすいフリークを目指した点だ。ムーブメントのUN-230は、「マリーンクロノメーター マニュファクチュール」に搭載された自社製UN-118と、フリーク ビジョンの自動巻きUN-250を融合させた新キャリバーで、フライングカルーセルも歯車を減らしたシンプルな構造になり、スケルトン構造の可視化率も高めた。また、シリーズで最も小径な直径43mmで薄型のケースや従来存在しなかった巻き上げと時刻調整用のリュウズなども新たな特徴になった。
ブラックDLCチタン製ケースとベゼルに、ブラックのカーボンファイバーとグリーンのエポキシ樹脂をブレンドした独自の合成素材をケースサイドに配したモデル。ミリタリー調のカーキグリーンはOperation(任務)を意味する「OPS」の象徴的カラーだ。自動巻き(Cal.UN-230)。21石。2万1600振動/ 時。パワーリザーブ約72時間。Tiケース(直径43mm、厚さ13.38mm)。50m防水。553万3000円(税込み)。
さらに、航空機の製造で切り落とされたカーボン端材を利用して作られた新素材のカーボニウムによるケースをラインナップに加えたことも、フリーク Xにおける重要な革新のひとつだろう。実際、ユリス・ナルダンは、初代フリークのスタイルを再解釈した「フリーク ワン」や「ダイバー」のOPSモデルにこのカーボニウムを用い、環境負荷が小さくサステナブルなこのハイテク素材のアピールにも力を入れている。
そして歴代モデルの中で最も革新的なのは2022年発表の「フリーク S」。フライングカルーセルのキャリバーUN-251はシリコン製テンプとダイヤモンシル処理の脱進機がそれぞれ一対あり、垂直ディファレンシャルシステムでリンクする極めてテクニカルなモデルだ。
初代の発表から20年以上を経ても次々と革新を取り入れて進化し続けるワン&オンリーのアバンギャルドな複雑時計、それがフリークなのだ。
針、ダイアル、リュウズなしという初代からのコンセプトを踏襲する「フリーク ワン」の2023年発表OPSモデル。航空機の製造過程で出た端材を利用したカーボニウムで作られたベゼル、リサイクル素材を含むラバーストラップなど環境への取り組みも表明する。自動巻き(Cal.UN-240)。15石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約90時間。Tiケース(直径44mm、厚さ13.37mm)。30m防水。1054万9000円(税込み)。
伝統の再定義が生んだ新モダニズムの象徴
コンテンポラリーオートオルロジュリーと称し、トゥールビヨンを搭載する斬新なスケルトンモデルを中心とする「ブラスト」。自社のノウハウを結集して技術とデザインの究極に挑む独創的なコレクションの中でもとりわけ異彩を放つのが「アワーストライカー」や「フリーホイール マルケトリ」だ。伝統の再定義によって腕時計の現代的進化が加速する。
ユリス・アンカー・コンスタント・エスケープメント搭載トゥールビヨンのパーツのみならず、文字盤にも初めてシリコン素材を採用。マットやポリッシュ仕上げのシリコン細片を組み合わせた寄木細工のブルーダイアルに機械が浮かんで見えるデザインが摩訶不思議。手巻き(Cal.176)。23石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約7日間。18KWGケース(直径45mm、厚さ12.40mm)。30m防水。2176万9000円(税込み)。
(右)ブラスト アワーストライカー
シリコン製ヒゲゼンマイ、アンクル、ガンギ車が備わるフライングトゥールビヨンを搭載したムーブメントは文字盤側からリピーター機構を見せ、毎正時と30分を音で告げる。ゴングと振動膜を伝達アームで接続し、音を増幅して響かせる仕組みも最先端だ。自動巻き(Cal.UN-621)。46石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。18KRGケース(直径45mm、厚さ16mm)。30m防水。2009万7000円(税込み)。
ユリス・ナルダンは、2019年の新作テーマに「X」を掲げた。未知なる存在を指す「X」や「Xtreme(極限)」「Xcite(興奮)」といったさまざまな意味を込め、好奇心をかきたてる腕時計として「フリーク X」や「スケルトンX」を発表した。続く「ブラスト」はテーマをさらに発展させ、ステルス機から想を得た新型ケースに新開発の自動巻きトゥールビヨン、キャリバーUN-172を組み合わせて2020年に登場した。コレクションの中心を成すのは、シリコン素材を活かしたフライングトゥールビヨンだが、ユリス・ナルダンがブラストで表現しているのは、伝統の再定義によるオートオルロジュリーの現代的進化にほかならない。
象徴的なモデルが「ブラスト アワーストライカー」である。1992年からブランドのアイコンに数えられる「アワーストライカー」は、リピーターの打刻機構と連動して人が鐘を叩くオートマタが特徴だが、2021年発表のこのモデルはストライキング機構の音響だけに焦点を当て、フランスのオーディオテクノロジー会社デビアレと協力して2019年に開発した新機構を搭載する。すなわち、ゴングとチタン製振動膜をレバーでつなぎ、音を増幅する最先端の機構である。
2023年発表の「ブラスト フリーホイール マルケトリ」は、トゥールビヨンや輪列が宙に浮くムーブメントもさることながら、以前「フリーホイール」のダイアルで試みた伝統的な藁細工のマルケトリをブルーのシリコン素材で実現し、スケルトンのデザインにモダンアートさながらの美観を創造した。熟練した職人の高度な手作業を要するメティエダールにおいても最先端を追求するのが、ユリス・ナルダンなのだ。
海との深い絆を今に伝える2大スタンダード
ユリス・ナルダンの原点、海洋とマリンクロノメーターの伝統に結び付くのがヴィンテージルックをまとう「マリーン」や「ダイバー」だ。歴史に基づくデザインとハイテク素材を用いた最先端の自社ムーブメントとの融合に表現されているのは、過去へのオマージュだけでなく、時代を超えて受け継がれる海洋時計のスペシャリストとしての誇りだ。
深海での視認性を確保したダイアルに、ダイビングスケールが刻まれた逆回転防止機能付きコンケイブベゼルを組み合わせた本格ダイバーズ。サンドブラスト仕上げで質感を高めたブルーダイアルにはレトロベージュの差し色を加え、日常でも着用しやすい落ち着いた表情に。自動巻き(Cal.UN-816)。19石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約42時間。SSケース(直径42mm、厚さ12.15mm)。300m防水。132万円(税込み)。
(右)マリーン トルピユール
ローマ数字、パワーリザーブ表示、大型のスモールセコンドを配したブルーのダイアルは、往年のマリンクロノメーターに通じるヴィンテージルック。自社開発の自動巻きムーブメントCal.UN-118は、脱進機にダイヤモンシルを採用し、高い精度を誇る。50石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。SSケース(直径42mm、厚さ11.1mm)。50m防水。152万9000円(税込み)。
ユリス・ナルダンは、2017年に海との深い絆を再認識させる「マリーン トルピユール」を発表した。このモデルにはいくつかのルーツがある。マリンクロノメーターの特徴的なダイアルを腕時計に反映したヴィンテージルックに関しては、創業150周年を祝って1996年に発表した「マリーン クロノメーター 1846」、そして高性能の点では、ダイヤモンシルで成形された脱進機とシリコン製ヒゲゼンマイを組み込んだ新型ムーブメント、キャリバーUN-118を搭載する2012年発表の「マリーン クロノメーター マニュファクチュール」だ。ユリス・ナルダンを代表する船舶用クロノメーターをクラシカルなデザインと高精度な最先端ムーブメントによって現代に継承するのがまさにマリーントルピユールと言える。
ユリス・ナルダンの現在のダイバーズウォッチは、ハイテクやサステナビリティへの取り組みを重視した新世代モデルを加えて進化を続けているが、その一方で歴史に通じるモデルといえば、2018年発表の「ダイバー42mm」だ。シンプルな中3針の時刻表示やダウンサイジングしたケースを特徴とするこの300m防水ダイバーズは、1964年の「ダイバー・ル・ロックル」から想を得てデザインされ、ダイアルに配された角張った針やインデックス、ベージュのアクセントカラーといったディテールにレトロな雰囲気を漂わす。また、ダイアル下方に記された、創業以来の本拠地ル・ロックルの位置情報を示すGPS座標も意味深長だ。それは、スイスの山間の地で19世紀以来、海に関連する時計のスペシャリストとして長い歴史を築いてきたユリス・ナルダンの矜恃を象徴するサインのようにも読み取れるのである。
(左)ダイバー X スケルトン OPS
Operation(任務)を意味する「OPS」コレクションがダイバーズウォッチにも拡大。ユリス・ナルダンは、ダイバーズウォッチを“サステナブルスポーツウォッチ”と位置付け、コンセプトウォッチ「ダイバー ネット」を2020年に発表したが、それをベースにしたOPSモデル(右)も、95%リサイクル素材のステンレススティールによるミドルケース、航空機の製造で発生する端材を利用して作るカーボニウムの逆回転防止ベゼル、カーボニウムと漁網アップサイクル素材のナイロンを混合したケースサイドパーツとケースバックなど、環境負荷への配慮やサステナビリティを体現する。自動巻き(Cal.UN-118)。50石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。SSケース(直径44mm、厚さ14.81mm)。300m防水。209万円(税込み)。「ダイバー X スケルトン」のOPSモデル(左)も同様に、カーボニウムを採用するベゼルや12時位置の香箱カバーなどが特徴だ。自動巻き(Cal.UN-372)。23石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約72時間。Tiケース(直径44mm、厚さ15.7mm)。200m防水。434万5000円(税込み)。