青春の1ページを労働一色に塗りたくって手にした、IWC「パイロット・ウォッチ マークXVI」【私の思い出の1本】

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2024.12.20

「私の思い出の1本」企画。時計ライターの野島は、学生時代にバイト漬けになって手に入れたIWC「パイロット・ウォッチ マークXVI」を取り上げる。シンプルな顔つきの頼れるマークXVIは、筆者に時計との向き合い方を教えてくれた存在でもある。

野島翼:写真・文
Photographs & Text by subasa Nojima
[2024年12月20日公開記事]


IWC「パイロット・ウォッチ マークXVI」

IWC「パイロット・ウォッチ マークXVI」Ref.IW325501

IWC「パイロット・ウォッチ マークXVI」Ref.IW325501
10数年連れ添った「パイロット・ウォッチ マークXVI」。筆者の思い出の1本である。これまでに2回オーバーホールに出しているが、1回も研磨をせずあえて傷を残している。自動巻き(Cal.30110)。21石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約42時間。SSケース(直径38mm、厚さ10.5mm)。6気圧防水。生産終了。

 筆者はいくつかの時計を所有しているが、その中でも最も思い入れの強いものはIWC「パイロット・ウォッチ マークXVI」である。これまで長い時間を共にした時計でもあるのだが、思い入れを強くした根本はその出会いにある。今回はそのことについて少し話をさせていただきたい。とはいえ、無名のライターが一人語りをしたところで、その需要はたかが知れている。本編に入る前に、まずはざっとマークXVIについて記そう。

 IWCのマークシリーズは、同社が手掛けるベーシックなパイロットウォッチコレクションだ。そのうちマークXVIは、2006年にマークXVの後継機として発売されたモデルである。IWCがリシュモングループに入ってから最初のモデルチェンジということもあり、時分針の形状やアラビア数字インデックスのフォントは前作のマークXVから大きく刷新され、賛否を呼んだ。一方で、軟鉄製インナーケースによる高耐磁性、6気圧の防水性、ベゼルとインナーケースを一体化した構造、ETA2892A2をベースとした薄型で優秀なムーブメントなど、基本的な性能はそのまま受け継いでいる。

 光の反射を抑えるザラついたブラックダイアルにホワイトのインデックスや目盛りが並ぶダイアルは一見素気なさを感じるが、印字ににじみやブレはなく、デイトディスクとダイアルとの隙間がほとんどないなど、細部を見るほどに丁寧な作りこみがなされている。類似したデザインの時計は価格帯を問わず多く存在するが、本作には高級時計ブランドであるIWCの矜持をしっかりと見ることができる。

 ケースはヘアラインが主体だが、ベゼルの上面やラグの面取りなど随所にポリッシュが加えられ、薄型でありながらも立体感が強調されている。ねじ込み式のリュウズは深めの刻みがつけられ、操作もスムーズだ。

 パッと見の高級感は薄い。しかし目立った欠点のない本作は、クセのない時計を求めている方にとって非常におすすめできる1本なのだ。

IWC「パイロット・ウォッチ マークXVI」Ref.IW325501

潔いソリッドバック。“FLIEGERUHR”は、ドイツ語でパイロットウォッチを意味する言葉だ。マークXVIII以降は、英語表記の“PILOT’S WATCH”に変更されている。


アメ横で一目惚れ

 筆者がマークXVIに巡り合ったのは大学4年生の夏、上野アメ横ガード下にある小さな時計店のショーケースの中であった。高校生の頃に初バイトの給料でシチズンのエコ・ドライブの腕時計を購入し、その後セイコーやオリエントの安価な逆輸入の機械式時計を愛用するなど、順調に時計の沼にはまっていった筆者は、やがて時計愛好家であれば誰しもが悩み、そしてなかなか解にたどり着けない難問に直面する。すなわち、世の中に数多く存在する時計から、“一生モノ”を探し出すというものだ。雑誌と先人たちのブログを読み漁り情報を蓄えた筆者は、稚拙ながらも“一生モノ”に足る条件として次のことを考えるようになった。国内でのサポートが万全なメジャーブランドであること、腕に負担のかからないコンパクトなケースであること、そして視認性が高いことだ。突然の出会いは、これらの条件を加味していくつかの候補を見繕い、大学卒業までに購入しようと資金調達の計画を立て始めた矢先であった。

 ごちゃごちゃとしたアメ横には珍しい、シックなショーケースの中でマークXVIの新品を見つけてしまった。場所は浅倉時計店というところであった。当時、IWCパイロット・ウォッチは既にマークXVIIへモデルチェンジしており、マークXVIは廃盤品。そのためまったく眼中になかったが、先述した条件はすべて満たす。地味だがかっこいい。逃せば次はない。値札を見ると、37万5000円。とても払える金額ではないことは、改めて口座の残高を確認しなくても分かる。そして手元には売れるものもない。つまり早期に資金を用意して、この時計を手に入れる手段はないのである。例えどうにかお金を貯めることができても、その頃には売り切れてしまっているだろう。

 ショーケース前でひとしきり悩み、筆者は一縷の望みにかけることにした。10万円を3回、残りの7万5000円を1回、計4カ月で毎月現金を持ってくるので、全額払い終わるまで取り置きしてもらえないかという交渉に出たのだ。店主は一瞬驚いていたようだが、すぐに了承してくれた。


時計以上の何かを手に入れた、汗と涙の日々

 しかし、交渉がうまくいったからと言って元手がないことにはどうにもならない。地道に稼ぐしかないのだ。筆者はアルバイト先のハンバーガーショップのシフトを可能な限り増やし、ほぼ毎日夕方から深夜まで働いた。給料日である25日には今までよりも少し厚めの封筒を受け取り、それを時計店に持って行った。給料は現金渡しだったので、自分の労働がお金に変わり、直接時計に注がれているように思えた。そして12月25日、クリスマスの恒例行事としてフライヤーでチキンをひたすら揚げ終わった筆者は、あれから4回目の給料を受け取る。これで目標に達した。支払いを翌日に控え、その晩はへとへとになりながらも興奮してなかなか寝付けなかったのを覚えている。

 実際に自分の腕にマークXVIを巻いたときの感動はひとしおだった。後にも先にも、ここまで感動した購買体験はない。高級時計は生活に不可欠なものではない。だから金銭的に余裕のない者が無理をして買うのはダサい。そんな意見を聞いたことがある。しかし実際にその当事者になってみて、ダサくても何でもどうでも良いことだと思った。言いたい奴には言わせておけば良い。ひたむきに切望して、真っ当に手に入れたものは何だって尊いのだから。

IWC「パイロット・ウォッチ マークXVI」Ref.IW325501

航空自衛隊入間基地の航空祭に行った際、輸送機と一緒に撮った1枚。完全に自己満足だが、パイロットウォッチと航空機の組み合わせはサマになって良い。


“正解”がないからこそ、時計は楽しい

 それからマークXVIを着けて色んな所に行き、様々な経験をした。質素なデザインは新入社員が身に着けても悪目立ちするものではなかったし、邪魔にならないサイズ感と十分な防水性は、旅先にも安心して連れていくことができた。しかしこの汎用性の高さが、やがて筆者を悩ませることとなる。

 社会人になり自由に使えるお金が増えた筆者は、さっそく時計を買い漁ることになるが、どうにもどれもしっくりこない。見にくい、重い、デカい、あるいは高級感がありすぎる。どこか気になってしまう。ファッションやアクセサリーと同列に語られることもある高級時計だが、洒落っ気の欠片もない筆者にとっては単なる実用品でしかなかった。つまり道具として欠点が少ないほど良い。それどころか、ある程度正確に動いて壊れたときに修理できるのであれば、ムーブメントに対するこだわりもなかった。その点でマークXVIはまさに理想的な存在であった。理想に近いものがベンチマークとなった時点で、新参者の勝率は極端に低くなる。

 そのことに気付いた筆者はマークXVIの使用頻度を落とし、他の時計も満遍なく楽しむ方向にシフトしていった。時計それぞれに個性と魅力があり、見る角度を変えることでそれに気付くことができると知ったのは、これがきっかけである。恐らく、筆者が時計ライターという仕事を継続できているのも、このことが影響しているのかもしれない。

 マークXVIは、今もあまり使っていない。いつも手の届くところに置いているが、腕に着けるのは気が向いたときだけだ。さらに、着用したときに少し退屈さを感じるようになったのは、それだけ多くの時計に触れてきた証拠なのだろう。では、マークXVIが購入当初に考えていた“一生モノ”になりえるのかと言えば、迷いなくイエスである。単純に使いやすいという面もあるが、この個体と積み重ねてきた時間を考えれば、着けるかどうかに関わらず手放すことはない。

IWC「パイロット・ウォッチ マークXVI」Ref.IW325501

ニュージーランドのマウントクックにも着けて行った。軽くて丈夫で見やすいマークXVIは、旅先にも気軽に持ち出せる。特に海外においては、パッと見て高級品らしくない分、特に着けやすい。


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