アンティークウォッチケースサイズの変遷
1930年代に完成した腕時計のデザイン。面白いことに、その始祖となったふたつのモデルは、直径がわずか30㎜しかなかった。しかし、40年代以降、時計のサイズは急激に拡大する。大きな理由は、防水ケースとセンターセコンド、そして自動巻き機構の普及にあった。
今や直径40㎜オーバーが当たり前となった腕時計のケースサイズ。しかし、その黎明期は直径30㎜が常識的なサイズとされていた。では、なぜ腕時計のサイズは拡大していったのだろうか。拡大を促した要因を、時系列を追って考察してみたい。
腕時計の普及は、19世紀後半以降のことである。しかし、その多くは、純然たる腕時計ではなく、サボネット型(ハンター型)の懐中時計に、革製のストラップを付けたものであった。腕時計が腕時計としての体裁を整えはじめたのは、1920年代以降のことだ。きっかけとなったのが、20年代後半に開発された伸縮式のバネ棒である。その結果、ストラップを通していたリングは、ケースに固定される脚、つまりラグへと進化を遂げたのだ。
だが、純然たる腕時計の出現は、30年代を待たねばならない。先駆けとなったのは、31年初出のロレックス「オイスター パーペチュアル 〝バブルバック〟」と、翌32年初出のパテック フィリップ「カラトラバ」である。カルティエ「サントス」という偉大な先駆者があったとはいえ、腕時計のデザイン要素を確定したのは、明らかにこの2本であった。
興味深いことに、この2本の腕時計の直径は約30㎜と、極めて小さかった。懐中時計を転用した腕時計には直径40㎜近いものがあったことを考えれば、明らかにサイズダウンといえる。理由は、社会上の制約である。文献によると、当時の一般的な紳士は、腕時計の着用を好まなかったという。したがって、登場したばかりの腕時計は、目立たないサイズに縮小せざるを得なかったのであろう。
1931年初出のRef.2940。そのスタイルは1926年のオイスターを発展させたものである。高い防水性能を備えていただけでなく、立体的なインデックスや針により、優れた視認性を確保した。実用的な腕時計の祖である。自動巻き(Cal.620NA)。SS(直径約30mm)。個人所蔵。
なお、このふたつの腕時計は、極めて小さなサイズながらも、女性用の腕時計とは明らかに異なる意匠を持っていた。すなわち、ベルトの幅と、針やインデックスの大きさである。女性用の腕時計は、ケースサイズに比して、細いストラップを持つ傾向がある。だが、この2本は、むしろ太すぎるベルトを持っていた。おそらくは、女性用との違いを出したかったのだろう。一方、針やインデックスといった表示要素は、女性用に比べてケースとの比較において相対的に小さい。しかし、立体感を持たせることで、視認性を確保しているのが分かる。
極めて小さなサイズにとどまっていた男性用の腕時計だが、その後、サイズは急激に拡大した。その理由は3つあった。ひとつは防水性能の向上、ひとつはセンターセコンドの普及、そして、自動巻きの普及である。つまり、腕時計のサイズは、「形態は機能に従う」という箴言を地でいくように拡大したわけだ。
とりわけ決定的だったのが、自動巻きの普及だろう。当時の自動巻き機構は、手巻きに自動巻きモジュールを重ねたものであった。各社はコンパクトなベースムーブメントを選び、可能な限りムーブメントを小さくしようと心掛けた。しかし、直径はまだしも、厚さはどうにもならなかった。結果、各メーカーはムーブメントの厚みをごまかすように、ケースを横方向へ、すなわち直径を広げたのだ。50年代に入ると、自動巻き機構を載せた腕時計のサイズは、平均して34㎜程度まで大きくなったのである。
しかし、60年代以降、防水性能や自動巻き機構は劇的な進化を遂げた。結果、腕時計のサイズが機能によって制限される可能性は、それ以前に比べて遥かに小さくなったと言えよう。
腕時計の適切なサイズを問う。こういった試みも、技術が進歩した今だからこそ、許されるものなのである。
時計史に燦然と輝く傑作。ラグとケースサイドが一体となったカラトラバスタイルは、後世に大きな影響を与えた。なお、このケース自体は、1929年にその存在が確認できる。1940年代製。手巻き(Cal.12-120)。18KRG(直径約30mm)。個人所蔵。