インダストリアルエナメルが拓く未来
~ハイテクを凝らした新世代エナメルは伝統技法を凌駕するか?~
増え続ける需要に対し、一向に安定供給の筋道が立たないエナメルダイアルを自社生産しようという試みは、2015年頃をピークに収束に向かいつつある。本誌が最も大きな成果を残したと評価する某社にしても、成功率は15分の1程度と言うのだから、オールドプロセスに見切りを付けたくなる理由も分かる。代わって台頭し始めたのが、まったく新しいテクノロジーを応用した“新世代エナメル”だ。詳細はまだ分厚いベールの向こう側だが、決して見過ごすことはできない。
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時計メーカー各社が、自社内にエナメリストや焼成窯を置こうとする動きは、2015年頃をピークに頭打ちとなりつつあるようだ。現在確認できているところとしては、リシュモングループではヴァシュロン・コンスタンタンとA.ランゲ&ゾーネ。ヴァシュロン・コンスタンタンはかなり以前から、プラン・レ・ワットの本社内に“アトリエ・メティエ・ダール”を置き、細密彫金師やハンドギヨシェ職人、ジェムセッターらとともに、数名のエナメリストを常駐させてきた。ただし彼らの職分は細密画などの創作活動に限られており、通常のホワイトエナメルや細密画のベース部分などは、旧スターン・クリエイションの流れを汲むキャンパス内で焼かれているようだ。05年にエナメル製造に関するヨーロッパ特許を取得しているロジェ・デュブイにしても、キャンパス自体が同社の敷地内に建てられたことを考えれば、旧スターンの設備・人員と統合されたと見てよさそうだ。一方、スイス国内の状況からは物理的な距離を隔てたA.ランゲ&ゾーネは、14年にドイツのエナメリスト、ロミー・ツィンマーマンを招き入れて、優れたホワイトエナメルを焼き上げている。
スウォッチ グループではブレゲ、ブランパン、ジャケ・ドロー、オメガが自社内による生産体制を公表。独立系では、クロノスイスがルツェルンの本社内に焼成設備を置いている。パテック フィリップはホワイトエナメルの生産を傘下企業のフルッキガーに委託する一方で、プラン・レ・ワットの本社内ではブラックエナメルの研究を進めていると聞く。15年発表の「スプリット秒針クロノグラフ Ref.5370P」は白眉と呼べる仕上がりで、ブラックオニキスと見紛うばかりの完全な平滑面を持ちながら、研ぎ出しを一切行っていないとの技術説明に、“不可能だ”とさえ思ったものだ。
スイスエナメルを取り巻く環境が刻々と変化する中で、特に興味深い動きを見せているのがオメガである。同社はビール/ビエンヌの本社とは異なった場所に、エナメルダイアルの製造拠点を構築(もしかしたらスウォッチ グループ内の共有施設か?)。パウダー状に砕いた白い釉を地金に振りかけて焼く、昔ながらの大規模生産体制に範を取りながらも、地金の部分に釉の焼成温度に耐える鉄ベースの新合金を導入したことで、品質と生産性を引き上げることに成功している。また、18年のオリンピック コレクションの中でも傑出した仕上がりを見せたブラックエナメルのボンベダイアルは、ベース部分にハイテクセラミックスを用いたことで、焼成時の歪みから一切解放されることになった。寸分の狂いもないセラミックスの焼成技術は、ケース製造を手掛けるコマデュールのノウハウだろう。同様の試みは、08年に登場したセイコーの初代「クレドール ノード 叡智」に前例がある。
しかしこうした先進的な技術の行く末に、筆者は一抹の不安も感じてしまう。ハイテクセラミックスを完全に仕上げるほどに、素材の粒状管理と焼成の温度管理を徹底できるならば、エナメルの焼き上がりを工業的に制御することも不可能ではないとさえ思えてしまうのだ。両者の違いはもはや、工業的に最適化された合成原料か、主として自然由来の釉薬かの違いでしかない。
エナメル工芸の本質は、炎による釉薬の化学反応だけで、色彩と質感を紡ぎ出すことにある。偶然を制御しきれないからこそ面白いのだ。もしそのすべてが工業的に制御可能となる日が訪れたなら、果たしてそこに、工芸的な価値は残るのだろうか?
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