国産機械式時計を絶やさない矜恃
[製造現場から]
1980年代以降、生産拠点を海外に移したオリエント。しかし、そのコアとなる時計作りは東北地方に残された。86年に創業された秋田オリエント精密、現・秋田エプソンはプレス技術を磨き上げることで、時計だけでなくプリンターの部品製造も担うようになった。創業以来、一貫して機械式時計を製造し続けるオリエントのウォッチメイキング最前線に迫る。
(中)地板や受け、その他パーツの材料になるフープ材を加工するための10tプレス機。フープ材の裏と表にプレスを施すため、2階建ての上下のラインでひとつの工程とし、効率を高めている。
(右)オリエントのマザー工場に当たるのが、秋田県湯沢市郊外に位置する秋田エプソン(旧・秋田オリエント精密)である。時計以外にも、プリンターヘッドなどを製造する。
秋田県の南部にある湯沢市。その郊外に、秋田エプソンの本社事業所はある。母体となったのは、旧・秋田オリエント精密。1986年に創業された同社は、今や従業員約1000人を擁する秋田県有数の大企業となった。
かつて、オリエントの時計は東京の日野工場で生産されていたが、その後、アナログクォーツウォッチを中心に製造の多くが海外に移管された。しかし、機械式時計生産の中心は日本に残された。
2016年12月1日、秋田エプソンの代表取締役社長に就任したのが遠藤正敏氏だ。1982年、オリエント時計に金型修理工として入社した彼は、秋田オリエント精密の設立をはじめ、社長就任後はその経営に携わってきた、オリエントの製造部門を見てきたひとりである。
「オリエント時計に入社以来、金型の技術は大事だと思ってきました。そして、他の国産メーカーや中国メーカーとの差別化のために、より一層の高精度化を追求してきました。私たちは90年代から、時計部品の製造で培ってきた超精密加工技術により金型の精度を高め、プリンターの心臓部である高難易度のヘッドの組み立てをエプソンのエンジニアと共に作り上げてきました。さらに秋田で完結できる仕事を考えて、時計の完成品を手掛けるようになりました」(遠藤氏)
秋田オリエント精密が成功を収めたのは、必ずしもオリエントのためではなかった。遠藤氏が語る通り、秋田エプソンは、時計の部品製造に必要な金型の製造と保全技術を磨き上げてきた。現在、秋田エプソンはプリンターヘッドの部品製造に加えて、ウエアラブル機器(時計)・部品の製造、超精密部品、金型・ジグ・工具の製造加工などを行うが、それらは秋田オリエント精密が培ってきた金型加工技術がもたらしたものだったのである。
秋田エプソンのCNCマシンが並んだフロアでは、機械式ムーブメントの模様付けなどが行われている。地板や受けにペルラージュやストライプ模様の装飾を施していく。工作機械が並んだフロアを抜けると、ムーブメントの自動組み立てラインに至る。90年代からエプソンのムーブメントを製造していた秋田エプソンは、クォーツムーブメントの生産にも長けている。生産ラインのコンパクトさは日本メーカーの特徴だが、加えてここでは、柔軟な生産体制を取っている。
秋田エプソンが現代的な製造方法にフォーカスする一方で、オリエントには、昔ながらの時計製法も残っている。それを象徴するのが東北にある部品工場で、74年10月以来、同工場は、オリエントの46系ムーブメントの地板と受けの製造を行ってきた。鍵となるのはフープ材のプレス機だ。工場長曰く「この機械は50年前にはすでにありました。おそらく、オリエントの日野工場で使われていた機械でしょう」。まさか、日本の時計工場で、地板と受けを抜く昔のプレス機を、これほどまとまった数で見るとは思ってもみなかった。もっとも、日本の時計メーカーは、プレスの技術を磨き上げることで、高品質なプロダクトを適切な価格で提供してきた。遠藤氏は「プレスで打ち抜くというのは、どんな会社でもできそうだが、簡単に真似できるものではない。フープ機のメンテナンスがしっかりしていればこそ、良いムーブメントになる」と称賛する。
穴を抜かれた地板や受けは、バレル研磨でバリなどを取り除いた後、穴石やピンを埋め込まれて、メッキする工場に輸送される。加工が丁寧なため、メッキ前の上がりはかなりきれいだ。量産品のムーブメントでは当たり前の地板や受けの歪みはなく、バリもきれいに落とされている。高級なオリエントスターに使えるのも、むべなるかな、である。
工場長曰く「オリエントスターの地板は職人がひとつひとつ手作業で磨いています」。職人がバフ研磨機に向き合い、丁寧に鏡面仕上げを施していく。バフが非常にきれいに入る理由は、地板をプレスで打ち抜いた後、表面を研削して均しているためだ。
エプソンによるオリエントの統合は、オリエント時計から製造ノウハウを引き継ぎ、エプソンの技術・資本力を投入し、生産性と質を高めてきた。遠藤氏は語る。
「日本の時計産業は、決してスイスに負けていません。我々は、これからも技術だけでなく、お客様に魅力あるモノ作りを提案・実践し続けていきます」