2020年3月掲載記事
時計の賢人たちの原点となった最初の時計、そして彼らが最後に手に入れたいと願う時計、いわゆる「上がり時計」とは一体何だろうか? 本連載では、時計業界におけるキーパーソンに取材を行い、その答えから彼らの時計人生や哲学を垣間見ていこうというものである。今回話を聞いたのは、栃木県宇都宮市内に6店舗を展開する「時計 宝石 タケカワ」の竹川哲夫氏だ。竹川氏が挙げた原点時計はセイコー、「上がり時計」は初代グランドセイコーの復刻モデルである。その言葉を聞いてみよう。
竹川 哲夫 氏
竹川 哲夫 氏 株式会社タケカワ/代表取締役社長
栃木県宇都宮市出身。東京の大学で経済学を学んだのち、株式会社タケカワへ入社。2019年8月より現職。
時計 宝石 タケカワの初代・竹川美夫氏は横浜生まれ。東京の時計店で修業を積んだのち、結婚に伴い宇都宮市へ移住、1915年に店を開いた。初代の店は戦火で一度失われたが、哲夫氏の父である恵士氏が建て直し、また目の前の東武宇都宮百貨店内にもタケカワ東武店を開いた。哲夫氏が経営に加わってから、本店のあるアーケード型商店街「オリオン通り」内にG-TIME店、ウォッチメゾンTAKEKAWA、タケカワ ブライトリング店、Brilliant TAKEKAWAが続々とオープンし展開が加速した。
「時計 宝石 タケカワ」公式サイト https://www.takekawa-t.com/
原点時計はセイコー 5 スポーツ スピードタイマー
Q. 最初に手にした腕時計について教えてください。
A. 高校へ入る前に父からもらった、セイコー 5 スポーツ スピードタイマーです。携帯電話などまだない時代、腕時計は遠方の学校まで自転車や電車で通う高校生に必要なものであり、ゆえに高校の入学祝いの定番となっていました。しかし当時はまだクォーツ時計が普及していませんし、機械式時計も現在よりもっと贅沢品でした。ですから、高校生で時計を手にするというのは一大事だったのですよ。私も早い段階からソワソワと店のショーケースをのぞき始め、中学3年の夏の終わりぐらいにはこの時計が欲しいと決めていました。父には当初「お前には贅沢すぎる」と反対されていましたが、粘り続けてお願いし、買ってもらえました。今も事務所の引き出しで大切に保管しています。
今日は久々に取り出してきました。クロノグラフ秒針以外は動きますね。衝撃は与えていないので故障ではなく油切れを起こしているのでしょう。動かすのは大学生のときに腕時計を別のクォーツ式に買い替えて以来です。懐かしい感覚ですね。
「上がり」時計は初代グランドセイコー復刻モデル
Q.いつしか手にしたいと願う憧れの時計、いわゆる「上がり時計」について教えてください。
A. 「上がり時計」は自分の後世に遺すものとしたいので、末永く使える時計の中から選ぶことにします。どこのブランドが作っただとか、有名時計師の誰によるものだとかではなく、故障時のケアを任せられて、安心して使い続けられることが重要です。独立時計師のフィリップ・デュフォーさんが作る時計は、意外とシンプルなものが多いですよね。彼が最も大切にしてきたことは「スイスの伝統的な時計作り」であり、昔からの技術が守られる限り彼の時計も色あせないはずです。メーカーであれば、パテック フィリップやロレックス、セイコーの時計も同じカテゴリーに入るのでしょう。現時点で1本を選ぶならば、グランドセイコーの時計が良いですね。これから発表されるだろう初代グランドセイコー復刻モデルのうち、耐久性に優れたプラチナモデルがあれば候補になると思います。
あとがき
取材の途中、竹川氏が「本稿の定義とは外れるけれど、これも私の原点時計です」と見せてくれた1本の腕時計がある。それは竹川氏がある顧客から譲り受けた形見の品。受け取った当時を振り返りながら、時計を見つめる竹川氏の目つきは一層優しいものになった。人と時計店の関係は特別なものになりうるものだと再確認したこの瞬間は、筆者の印象に強く残っている。しかし、時計店のすべてがそういう存在になれるわけではないだろう。竹川氏のポリシーの中にその理由を垣間見た。
資格取得のための幅広い学習は、深い知識の習得につながる。竹川氏は自ら時計修理技能士1級を所有し、社員たちにも取得を推奨してきた。これは「(特に初めて)機械式時計を購入されるお客様に対し、オーバーホールの必要性や姿勢差などを、時計の構造や理屈からしっかりと伝えきる責任が私たち販売者にはある」という竹川氏の考えに基づく。「同業の知人から、そこまでの必要があるか? と言われることもありました」と竹川氏は笑うが、この厳しさと誠意こそが、店と顧客の豊かな心のつながりを生み出す源となってきたのだろう。