Toshihiko SATO
佐藤敏彦[シチズン時計/代表取締役社長]

佐藤敏彦

1955年11月16日/北海道生まれ。
①1981年、北海道大学卒業後、シチズン時計に入社。デバイス事業に長く携わる。2019年、代表取締役社長に就任。
②年差±1秒の世界最高精度のエコ・ドライブ「キャリバー0100」搭載モデルの実現。デジタルマーケティングを強化するためのIoTプラットフォーム「Riiiver」やカスタムオーダーサービス「ファイン・チューニング・サービス」の発表。
③中学3年生の時、アルバイト代で購入したシチズンの機械式時計。
④デジタルマーケティングやオープンイノベーションを推進し、新たなビジネスモデルを構築。生産面についてはロボティクスの活用など、製造革新によるコスト力強化と人の手にしか生み出せない付加価値領域の強化を図っていく。一方で、企業理念である「市民に愛され市民に貢献する」という企業理念に根差した普遍的な価値を軸に、サステナブル経営を推し進め、さらなる企業価値の向上に努める。


Caroline SCHEUFELE
キャロライン・ショイフレ[ショパール/共同社長兼アーティスティック・ディレクター]

キャロライン・ショイフレ

1961年12月14日/ドイツ、フォルツハイム生まれ。
①ジュネーブ インターナショナルスクールを卒業後、ショパールに入社し、同時にデザインおよび宝石学を学ぶ。1985年、兄のカール-フリードリッヒと共に副社長に就任。2001年より現職。
②1993年、スティールとダイヤモンドを組み合わせた「ハッピースポーツ」ウォッチを発表。98年にはカンヌ国際映画祭のオフィシャルパートナーとなり、パルム・ドールのデザインを担当。2013年、「エコエイジ」の創設者リヴィア・ファースと出会い、「サステナブル・ラグジュアリーへの旅」を創設。この功績が認められ、翌年にはF4D賞およびBRAVOビジネス・アワードの環境保護賞を受賞。17年、稀少な純度を持つ342カラットのラフダイヤモンド「クイーン・オブ・カラハリ」を使ったハイジュエリーを発表。18年、「100%エシカルゴールド」を宣言。
③ ―― 
④ ――


Karl-Friedrich SCHEUFELE
カール-フリードリッヒ・ショイフレ[ショパール/共同社長]

カール-フリードリッヒ・ショイフレ

1958年2月5日/ドイツ、フォルツハイム生まれ。
①ローザンヌのHEC経営大学院を卒業。その後、ショパールに参加。1985年、ショパールの副社長に就任。2001年より現職。
②1980年代前半に手掛けたショパール初のSS製スポーツウォッチ「サンモリッツ」がベストセラーとなる。1988年、ミッレ ミリアとのパートナーシップを開始。96年、ショパール マニュファクチュールを設立し、自社開発ムーブメント「L.U.C」の生産を開始。2015年、「クロノメトリー・フェルディナント・ベルトゥー」を設立。16年にクロノメトリー・フェルディナント・ベルトゥーの「FB 1」、翌17年に「L.U.C フル ストライク」がジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリの最高賞である金の針賞を受賞。19年、「アルパイン イーグル」を発表。
③14歳の時に贈られた時計(タグ・ホイヤー)。
④ ――


Wilhelm SCHMID
ヴィルヘルム・シュミット[A.ランゲ&ゾーネ/CEO]

ヴィルヘルム・シュミット

1963年/ドイツ、ユーリッヒ生まれ。
①アーヘン大学で経営学を学んだ後、石油会社に就職し、販売、マーケティング、管理部門を歴任。その後、ドイツと南アフリカのBMWに就職、セールス&マーケティング責任者として手腕を発揮。2011年より現職。
②工房の大規模な拡張事業を行い、世界的な流通網の拡大に尽力。ブランドの6つのファミリーのプロファイルを明確にし、各国の主要都市に新たなブティックをオープンする。会社のデジタル化を推進。
③17歳の時に購入したものの、すぐに盗まれてしまった思い出の時計。最初に手首に着けた時の誇らしさだけが胸に残っています。
④常に不測の事態を予期し、変化に迅速に対応できるように準備しておくことの必要性に改めて気付きました。従業員や工房の時計職人たちを守るために必要な予防策はすべて講じています。その上で、新たな時計の発表のために足を止めぬよう専念しました。


Lothar SCHMIDT
ローター・シュミット[ジン/オーナー兼CEO]

ローター・シュミット

1949年1月12日/ドイツ、ノインキルヒェン生まれ。
①ボッシュで3年半にわたり工具職人見習いとして働いた後、ザールブリュッケンで機械工学の4年制学位取得コースを修了。2年間の兵役を経て、1975年よりラ・ショー・ド・フォンのケース工場に勤務。90年にA.ランゲ&ゾーネの製造ライン立ち上げ責任者を務める。94年にジンを引き継ぎ、現職に就任。
②ジンの設立以降、新しいテクノロジーを搭載した製品を発表し続け、ブランドを順調かつ健全に成長させる。97年、チューリンゲンに組み立て工場のS&S GmbHを設立。99年、ザクセンに時計ケース製造会社のSUG GmbHを設立。
③婚約時に妻からプレゼントされたゾディアック。
④一番大きな変化としては、店舗からの注文よりもネットショップからの注文が明らかに増えたという事実が挙げられます。そこで、今後はウェブサイトをさらに使いやすく充実させていく予定です。


Jens SCHNEIDER
イェンス・シュナイダー[ラング&ハイネ/ディベロップメント・ディレクター]

イェンス・シュナイダー

1961年7月22日/ドイツ、ディポルディスヴァルデ生まれ。
①1983年までGUBの専門学校で学んだ後、GUBでプロトタイピストとして従事。91年にA.ランゲ&ゾーネに入社し、プロトタイピストを経て2000年よりデザイナーへ。09年よりモリッツ・グロスマンの設計開発責任者を務める。17年より、イェンス・シュナイダー名義でペンデュラム・クロックを製作。19年より現職。
②A.ランゲ&ゾーネ「ダトグラフ」のパーペチュアルカレンダー機構および「ツァイトヴェルク」のムーブメント開発。モリッツ・グロスマン「ベヌー・トゥールビヨン」のムーブメント開発。ペンデュラム・クロック。
③GUB「SPEZIMATIC」のSSモデル。
④重要な顧客やパートナーとのコンタクトはビデオ会議で行っています。現在、工房ではいくつかのプロジェクトが進んでおり、最もフォーカスするのは、私が取り組んだ初めての時計に搭載される最新のキャリバーXです。


Christian SELMONI
クリスチャン・セルモニ[ヴァシュロン・コンスタンタン/スタイル・アンド・ヘリテージディレクター]

クリスチャン・セルモニ

1959年7月22日/スイス、ル・サンティエ生まれ。
①1990年、ヴァシュロン・コンスタンタンに入社。96年、製造部門におけるリーダーに就任。2005年にマーケティング・プロダクトディレクター、10年にアーティスティック・ディレクターを務めた後、17年より現職。
②250周年記念モデルの開発、メティエ・ダール工房の社内設置、レ・キャビノティエ・セレスティア・アストロノミカル・グランド・コンプリケーション 3600のデザインと開発管理、ヘリテージ商品の展開。
③1970年代初頭のレコードウォッチカンパニーの自動巻きモデル(時分表示のみ)。
④新型コロナウイルス感染症の拡大を防ぐために、社員、取引先、顧客への感染のリスクを最小限に抑える取り組みを強化しています。現在、非常に厳しい状況下にありますが、私たちのミッションは常に前を向いて「時計づくり」を続けて、楽しさと情熱をもたらし、顧客を魅了することです。


Boon Chong SOON
スーン・ブーン・チョン[コルム/グローバルセールス&マーケティングディレクター]

スーン・ブーン・チョン

1978年11月16日/シンガポール生まれ。
①2006年にスイスへ転居し、08年からマネージャー兼ブロガーとしてTheTimeTV.comに参加。09年、コミュニケーションおよびマーケティングコーディネーターとしてグルーベル フォルセイに入社。11年にコルムへ移り、主にアジア、北米エリアでのPRやマーケティングなど、多分野のマネージャーを務める。19年より現職。
②アジアのブランドマネージャー就任時には、中国や東南アジアの流通体制を刷新し、主要国に子会社を設立、初年度で黒字化を達成。現在も組織の再構築に尽力。
③1990年、小学校の卒業式の日に両親が贈ってくれたアルバのデジタル時計。
④ロックダウンの間には劇的な低迷を見ましたが、同時に、ブランドの中核にある課題を見つめ直す時間を持てました。内部構造から製品開発、流通、アフターセールスまで包括的に改善策を考えることができました。


Vivian STAUFFER
ヴィヴィアン・シュタウファー[ハミルトン インターナショナル/CEO]

ヴィヴィアン・シュタウファー

1974年9月14日/スイス、ローザンヌ生まれ。
①2002年、スウォッチ グループに入社。スウォッチのマーケティング部を経て、07年にハミルトン インターナショナル リージョナル&トラベルリテールセールスマネージャーに就任。スイス支社のブランドマネージャーを経て、11年にインターナショナルのヘッド・オブ・セールスに就任。その後、1年半にわたり中国支店のブランドマネージャーを兼任。20年7月より現職。
②ハミルトン入社後、9年間にわたり営業戦略を牽引、世界24拠点40の輸入流通先を開拓。17年には初のグローバル旗艦店を日本にオープン。
③04年のアテネオリンピックコレクションのスウォッチ。
④ハミルトンは世界中で堅実な売り上げを維持しています。日本においては着実に売り上げており、中でもEコマースは大きく成長しました。ハミルトンにとっても時計業界全体にとっても未来は明るいと確信しています。


Thierry STERN
ティエリー・スターン[パテック フィリップ ジュネーブ本社/社長]

ティエリー・スターン

1970年/スイス、ジュネーブ生まれ。
①ジュネーブでビジネスと時計製作を学ぶ。ドイツのパテック フィリップ販売店やアメリカの代理店で経験を重ねた後に、アトリエ・レユニSAに入り、時計外装の部品製造工程を学ぶ。ベネルクス3国で、マーケットマネージャーとして販売を経験した後、1998~2004年までパテック フィリップ新製品開発部門トップとして新製品開発の総指揮にあたった。父、フィリップ・スターンの名誉会長就任と同時に、09年8月より現職。
②「スターキャリバー2000」「スカイムーン・トゥールビヨン」「グランドマスター・チャイム」など、同社を代表する画期的な新製品を次々と発表。
③ノーチラス。
④ ――


Alexandre STRAMBINI
アレキサンダー・ストランビーニ[エドックス/CEO]

アレキサンダー・ストランビーニ

1975年5月16日/スイス、ビエンヌ生まれ。
①プロテニスプレイヤーとしてキャリアをスタート。家業を継ぐため、1999年にエドックスに入社。
②本格ダイバーズウォッチの雄としてブランドの地位を強化するために、独自の検査や厳格な品質管理のもと、高い防水性能を備えるエレガントでスポーティーな時計製造に取り組む。
③8歳の時にテニストーナメントの勝者として獲得したエドックスのGMTモデル。
④パンデミックにより行動が制限され、国際パートナーとの個人的な接触が制限されています。デジタル化は多くの分野で急速に進んでおり、私たちの思考、行動、反応にさらに大きな影響を与えています。本物を知る人々が品質、伝統、持続可能性を高く評価し、これらの価値を具体化するプロダクトを意識的に探していることをますます認識しています。


Rolf STUDER
ロルフ・スチューダー[オリス/共同経営責任者]

ロルフ・スチューダー

1972年3月2日/スイス、ルツェルン生まれ。
①1998年、スイスのフリブール大学とフランスのモンペリエ大学で法律を研究し、弁護士資格を取得。99年にコカコーラ ヴィバレッジへ入社し、マーケティング&セールスを担当。2006年にオリスへ入社。16年より現職。
②19年にオープンした東京・銀座店をはじめ、現在世界10カ所以上にブティックを設置。Eコマースは24カ国で展開し、限定モデルの番号選択の特典などを提供する。独立系のスイスブランドとしてのイメージを確立。自社製の約10日間パワーリザーブムーブメントを開発。
③父親からもらったブライトリングのクロノグラフ。
④コミュニケーションの多くの側面を再構成し、世界中のどこかでほぼ毎日デジタルプレゼンテーションを行い、チャットで言葉を交わし、消費者と密接に連絡を取ることができました。デジタルコミュニケーションとデジタルビジネスへの強いニーズは今後も続くと思います。


Jiaxian SU
スー・ジャーシャン[オンラインウォッチマガジン「SJX Watches」創設者]

スー・ジャーシャン

1985年/シンガポール生まれ。
①2002年よりウォッチエキスパートおよびジャーナリスト。11年に「SJX Watches」を創設。
②コレクター向けの報道を中心とするアジア有数の英語のオンラインウォッチマガジン「SJX Watches」を創設。19年、ジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリの審査員に選出される。
③クォーツウォッチでは、カシオの回転ベゼル付きダイバーズウォッチ。機械式時計では、1997年に購入したタグ・ホイヤーの「2000」シリーズ。
④1.オンライン上の新作発表と販売が増大し、関係者はその良い効果を知った。2.市場の二極化が加速し、強力なブランドがさらに前進するだろう。例えばロレックスが「オイスター パーペチュアル」を新価格帯で発表したように。3.市場が高額の旅行者ではなく国内の需要に集中している。これは、例えば欧州や日本などの観光客の支出に依存している小売業者に深刻な打撃を与えるかもしれない。


Tsuyoshi SUZUKI
鈴木 豪[ミナセ/代表取締役社長兼CEO]

鈴木 豪

1971年6月21日/千葉県生まれ。
①1995年に大学卒業後、OA機器業界の商社に就職。99年、協和精工株式会社へ転職。秋田工場勤務を経て、営業企画部に所属。国内のジュエリーブランドや時計専門店のOEM新規開拓営業、ミナセブランド企画運営の責任者を歴任する。2014年より現職。
②05年に立ち上げたミナセブランドの取扱店を現在までに海外3店舗、国内35店舗へと広げる。また、オリジナルムーブメントの開発チームを11年に発足し、実装した「セブンウィンドウズ」を18年から欧州で受注開始。15年には革ストラップの製造ラインを立ち上げ、内製化を実現した。
③オリエントスター。
④時計事業は緊急事態宣言による百貨店や専門店のクローズ、工具事業は自動車業界を中心とした各企業の製造ラインの休業などで受注が大きく減少した。今後は少量生産でも利益を確保できるような付加価値の高い製品に切り替えていく。


Julien TORNARE
ジュリアン・トルナーレ[ゼニス/CEO]

ジュリアン・トルナーレ

1972年8月9日/スイス、ジュネーブ生まれ。
①レイモンド・ウェイルでキャリアをスタート。2000年にヴァシュロン・コンスタンタンに入社し、17年間にわたってさまざまなエリアの責任者を務める。17年より現職。
②ブランドの再構築。製品ポートフォリオの全面的な見直し。小売りの拡大とEコマースの開始による新たな流通戦略。新規コミュニケーション手法の展開。CRMとデジタルトランスフォーメーションの強化など。
③5歳の時にもらった日本アニメのキャラクターウォッチ。
④ヨーロッパとアメリカでのEコマースのキックオフや、SNS、ウェブサイト、IG Lives、その他、多くのツールを通じた強力なマーケティングの存在など、あらゆるレベルでデジタルトランスフォーメーションを大幅に加速させました。また、ビジネスパートナー、リテイラー、プレス、顧客と活発に連絡を取り合いました。私たちはみんなどのように適応し、異なる働き方をするかを学びました。


Franck TOUZEAU
フランク・トゥゾー[タグ・ホイヤー/クリエーション&プロダクトヴァイスプレジデント]

フランク・トゥゾー

1973年11月1日/フランス生まれ。
①フランスのSup du LuxeでMBAを取得した後、LVMHグループに入社。ルイ・ヴィトンやロエベでキャリアをスタートさせる。1998年にリシュモン グループのピアジェへ入社し、16年間従事。2017年にカルティエへ転籍し、19年、タグ・ホイヤーに入社。ヌーシャテルのInstitute de Formation à la Haute HorlogerieとパリのInstitut National de Gemmologieでアドヴァンスドトレーニングコースを修了し、製品計画を推進する。
②タグ・ホイヤー カレラ クロノグラフや160周年記念限定モデルをはじめとする新作のデザインを手掛ける。
③ボーム&メルシエ「ハンプトン」。
④ ――


Davide TRAXLER
ダビデ・トラクスラー[パルミジャーニ・フルリエ/チーフ・エグゼクティブ・オフィサー]

ダビデ・トラクスラー

1968年/アメリカ、ニューヨーク生まれ。
①政治学を学んだ後、ブルガリでキャリアをスタートさせ、ショパール在籍中にスイス、イタリア、アメリカで13年間経験を積み、コルムのCEOに就任。2018年にパルミジャーニ・フルリエのチーフ・コマーシャル・オフィサー/執行役員に就任。また同年、現職に就く。
②収益性の確保と強力なチームの構築に尽力。20年には初のデイリーユースウォッチ「トンダ GT」を投入、ユーザー層の拡大に取り組む。
③子供の頃に持っていた機械式のタイメックス。夜、ムーブメントの単調な音を永遠に聴いていたことを鮮明に覚えています。
④私たちの焦点は、可能な限りマルチブランドの小売業者をサポートすることです。アメリカでEコマースサイトを導入し、パートナーの小売業者と販売スタッフにマージンを渡しました。これは、時計愛好家の最良かつ最も良質な接点として、小売店の重要性を認識しているからです。


Minoru USUI
碓井 稔[セイコーエプソン/取締役会長]

碓井 稔

長野県生まれ。
①1979年に信州精器に入社。インクジェットプリンターの開発責任者、研究開発本部長などを経て2008年から社長を務め、20年4月より現職。
②カラリオに代表されるインクジェットプリンターを開発。腕時計で使用可能な省電力GPSを世界に先駆けて開発・量産化し、先端技術を応用したウェアラブル機器を提供。信州匠工房の技能者の育成にも尽力。17年にはオリエント時計を統合し、自社ブランドの「TRUME」を発表。18年、藍綬褒章を受章。
③セイコーの機械式時計。
④世界経済の後退に加え、腕時計、プリンターやプロジェクターなどの生産一時中止により業績に大きな影響が出た。今後は、デジタル化が加速し、ビジネスに大きな変化が起こると予想。人やモノと情報が繋がる新しい世界を創造するため、顧客接点のあり方に注目しており、新しいマーケティング、セールス手法をDXで創り出せると考えている。


Cyrille VIGNERON
シリル・ヴィニュロン[カルティエ インターナショナル/プレジデント兼CEO]

シリル・ヴィニュロン

1961年/フランス生まれ。
①1988年、リシュモン グループに入社。97年からカルティエ ジャパンの社長、2002年からリシュモン ジャパン社長に就任し、05年から13年までカルティエ欧州担当マネージングディレクターを歴任。
②カルティエ ウォッチの領域を再定義し、ブランドのアイコニックなデザインを再活性化させた。
③カルティエの「タンク フランセーズ」。
④流通面、製造面への支障が同時期に起こったこと、そして旅行者が多い地域の不活発化やマーケット状況のずれなど、大きくふたつの影響があったと考えています。私たちには従業員の健康と安全を迅速に確保し、同時に状況が好転した際に素早く再始動できる準備が求められました。このような状況下では、イベントの形式をデジタルに変更したり、地域間の在庫の移動を迅速に対応したりするなどの柔軟性や敏捷性、そして創造性を持つことが重要です。


Kari VOUTILAINEN
カリ・ヴティライネン[カリ・ヴティライネン/オーナー兼取締役]

カリ・ヴティライネン

1962年6月2日/フィンランド北部ラッピ州ロヴァニエミ生まれ。
①2002年にスイス、ヌーシャテル州モーチエに工房を設立。14年より文字盤工場コンブレマイン社を運営。18年よりケース工場ヴティライネン&カッティン社を運営。
②10年に内製キャリバー28を発表。07年「オブセルヴァトワール」、13年「V-8R」、14年「翡翠」、15年「GMR」、18年「秋暮」、19年「28TI」「Starry NightVine Yard」の7作品においてジュネーブ・ウォッチメイキング・グランプリを受賞。14年、時計史に残る偉業をたたえられ、スイスのラ・ショー・ド・フォン国際時計博物館よりガイア賞(MIH GAÏA Artisanat-création AWARD)を授与される。
③レイヨナ(Leijona)。
④業績が好転しており、体制の強化を進めています。現在、26名が在籍し、年産50本を手掛けている工房をさらに増強中です。


Stéphane WASER
ステファン・ワザー[モーリス・ラクロア/マネージングディレクター]

ステファン・ワザー

1975年4月28日/スイス、ヴァレー州生まれ。
①1998年、タグ・ホイヤーの副プロダクトマネージャーに就任。その後、ブリティッシュアメリカンタバコやヘルスケアの会社を経て、2008年よりモーリス・ラクロアにインターナショナルマーケティングディレクターとして入社。14年より現職。
②FCバルセロナとパートナーシップを結び、「ユアタイムズナウ」というソーシャルメディアキャンペーンを展開。またサプライチェーンの最適化を行い、生産能力を「在庫を作る」から「注文を作る」に移行中。18年に発表した「アイコンオートマティック」をヒットさせ、同社の中心的アイテムとする。
③エベル「ボイジャー」の黒文字盤、ステンレススティールブレスレットのモデル。
④ ――


オーデマ ピゲが創り上げたルール破りの複雑時計「CODE 11.59 バイ オーデマ ピゲ フライング トゥールビヨン クロノグラフ」


https://www.webchronos.net/features/54317/
いつも時代を魅了する新生「パシャ ドゥ カルティエ」


https://www.webchronos.net/features/53688/
初代ブレゲに私淑した「伝統」という名の名機


https://www.webchronos.net/features/53589/