ウォッチジャーナリスト渋谷ヤスヒトの役に立つ!? 時計業界雑談通信
2021年1月7日、高級ブランド世界最大手の仏LVMHモエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(以下、LVMH)は、米宝飾品大手であるティファニーの買収を完了したと発表した。紆余曲折を経て、ティファニーがLVMHグループの傘下になったのだ。ちょうど良い機会なので、ティファニーの今後、中でも時計事業のこれまでの経緯をまとめると共に、ティファニーの時計事業の過去・現在・未来を展望してみたい。
(2021年3月21日掲載記事)
偉大なウォッチメゾン、ティファニー
アンティークウォッチが好きな方には“釈迦に説法”だが、ティファニーは実は偉大なウォッチメゾンだ、というか「だった」。
筆者の手元には『TIFFANY TIMEPIECES』という英文の豪華本がある。著者のジョン・ローリング(John Loring)は、1979年から2009年までティファニーのデザインディレクターを務めた人物だ。彼にはティファニーとアート一般に関して数多くの著書がある。この本もその中の1冊であり、2004年に刊行されている。当時のティファニー・アンド・カンパニー・ジャパン・インクからいただいたものである。本が収まる箱全体がティファニーのトゥールビヨンウォッチの文字盤の写真で、トゥールビヨンブリッジを残して、キャリッジ部分がくり抜かれており、そこから中に収納された本のカバーに印刷されたキャリッジ、テンワ、ヒゲゼンマイが見える。トゥールビヨンの部分が立体化された凝った作りになっているのだ。
その中にはティファニーの偉大なタイムピースが数多く紹介されている。懐中時計からメンズ&レディスウォッチ、クロック。どれも芸術的で美しい。またコレクター垂涎の、ティファニーとのダブルネームが付いたパテック フィリップの傑作腕時計の写真ももちろん掲載されている。これはティファニーがパテック フィリップとアメリカにおける独占代理店契約を締結していた時代に発売されていたものだ。
ティファニーの創業は1837年9月18日。文具や装飾品を販売する、今で言えばセレクトショップの先駆けだが、1848年にはフランス二月革命の混乱を機にジュエリー、1851年には銀製品、さらに1853年には時計の製造にも乗り出す。店頭にアトラス クロックが設置され、ティファニー ブルーというコーポレートカラーが決められたのもこの年である。1861年にティファニーはスイスに小さな時計ファクトリーと時計店をオープン。1874年にはジュネーブのコルナヴァン広場に当時最先端の大きな時計ファクトリーを開設している。つまり懐中時計の時代から世界をリードする偉大なウォッチメゾンだったのだ。
2000〜2010年代、時計事業の残念な“迷走”
そして20世紀、腕時計の時代を迎えた後もティファニーは時計の世界においてもトップブランドに君臨し続けた。
だが2000年代に入ると、残念なことに時計事業は一時迷走状態に陥った。
そのきっかけが2007年12月に世界最大の時計コングロマリット、スウォッチ グループとの間で締結された契約。これは時計事業を20年間、両社の合弁事業として展開する、という内容だった。
だがこの合弁では、当初から両社に大きな誤解、行き違いがあったようだ。4年後の2011年にはスウォッチ グループが「ティファニーがこの契約のビジネス的な発展を阻止した」として一方的に契約の終了を宣言。ティファニーも「スウォッチ グループがティファニーの時計にふさわしい販売ルートを構築できなかった」と反論。スウォッチ グループがティファニーに対して約4500億円もの損害賠償を求めてオランダの仲裁機関に提訴するという不幸な展開となった。
そしてこの争いは2012年12月、ティファニーが約4億7000万円(当時)プラス、スウォッチ グループの支払った裁定申請料の3分の2とその裁判費用を支払えという判決で終わる。だがその間5年あまり、ティファニーの時計事業は宙に浮いた、残念状態になってしまった。ブランドにとってこの損失は大きかったはずだ。
メンズの本格機械式モデルの新展開はあるか?
時計事業のこの不幸な状態が解消されたのは2013年。ティファニーがスイスにティファニー スイス ウォッチ カンパニーを設立し、改めて自社グループ内での時計製造に乗り出してからだ。2015年にはまず新生ティファニーの第1弾として「CT60」(現在はディスコン)、「イースト ウエスト」コレクションが登場。
その後、メゾンのアイコンともいえる「アトラス」やオーバルシェイプの「カクテル」、ラウンド型の「メトロ」、スクエア型の「1837 メイカーズ」などを加えて現在に至っている。
しかし、webChronosの読者のような時計好きの視点から見ると、メンズの機械式クロノグラフモデルもラインナップされていた「CT60」がディスコンになったこともあり、コレクションはどれもレディスモデルが中心で、卒直に言えば、現時点ではデザイン以外の魅力はいまひとつに留まっている。
だが冒頭で述べたように、ティファニーは時計黎明期からの偉大な歴史と実績を持つウォッチブランドだ。ファンは圧倒的に女性が多いが、時計ブランドとしての歴史と実績、また日本市場ではブライダルにおける腕時計の「結納返し」としてのニーズを考えれば「1837 メイカーズ」の機械式モデルとはまた違う機械式モデルやスポーツモデルの展開も当然ながら考えられるし、期待したいところ。
LVMHグループがティファニーを買収したのは、ジュエリー市場ばかりでなく、2007年以降、潜在需要の発掘が残念ながらあまりできないままの時計市場のポテンシャルにも着目しているからだろう。2015年の時計事業の再生・復活時は、関係者の期待を上回る受注を記録したと、筆者は当時の時計事業のトップマネジメントから聞いている。またLVMHグループにおいて時計事業は、数少ない「伸び代が期待できる事業」でもある。この買収は、その後のマネジメント次第では、ティファニーの時計事業にとって大きな躍進のチャンスになる可能性がある。
時計ジャーナリストとして、そしてひとりの時計ファンとして、この買収を契機にティファニーの時計事業が革命的な発展を遂げることを期待せずにはいられない。
渋谷ヤスヒト/しぶややすひと
モノ情報誌の編集者として1995年からジュネーブ&バーゼル取材を開始。編集者兼ライターとして駆け回り、その回数は気が付くと25回。スマートウォッチはもちろん、時計以外のあらゆるモノやコトも企画・取材・編集・執筆中。