2021年11月取材
時計の賢人たちの原点となった最初の時計、そして彼らが最後に手に入れたいと願う時計、いわゆる「上がり時計」とは一体何だろうか? 本連載は時計業界におけるキーパーソンに取材を行い、その答えから彼らの時計人生や哲学を垣間見ていこうというものである。今回は石川県内に3店舗、富山県内に1店舗を展開する時計専門店ウイングの代表取締役会長、石橋喜代志氏に話をうかがった。石橋氏が原点として挙げた時計は、ユリス・ナルダンのハイビートウォッチ。「上がり時計」として挙げたのはモンブランの「モンブラン 1858 モノプッシャー クロノグラフ オリジンズ リミテッドエディション 100」である。その言葉から、石橋氏の人物像に迫ってみよう。
今回取材した時計の賢人
石橋 喜代志 氏
株式会社ウイングレボリューション/代表取締役会長
横浜市出身。専門学校を卒業後、父親の経営する建設会社に就職。その後、大阪のカー用品卸し会社で働き、北陸エリアの新規開拓を手掛ける。この当時の縁がつながって独立し、1984年に石川県小松市で現在のウイングの前身となるカー用品の専門店を創業する。現在は小松市の1号店をはじめ、金沢、香林坊、富山で時計専門店ウイングを展開する。2020年より現職。
原点時計は、父から譲り受けたユリス・ナルダンのハイビートウォッチ
Q.最初に手にした腕時計について教えてください。
A.16歳のときに、父親から譲り受けたユリス・ナルダンの腕時計です。青い文字盤に、10振動を備えた高精度なものです。「高校への入学祝いだ、大切にしろよ」と言葉少なに渡されました。その当時の私は時計に興味がなく、鳩サブレーの缶箱にしまったまましばらくその存在を忘れていました。
再発見したのは私が30歳になった頃、父が亡くなった2年後のことでした。ちょうどウイングで時計販売を始めた頃で、時計の存在を思い出してオーバーホールをしました。ようやくこの時に、その価値を知りました。
父は大戦中に陸軍の士官をしていました。第1次世界大戦後にはヨーロッパやアメリカへ派遣されていましたから、時計はおそらくその時に購入したのでしょう。この時計を眺めているといろいろな思いが湧いてきます。よく機械式時計は「100年時計」と形容されます。その意味を、この時計が身をもって教えてくれました。
「上がり時計」は、モンブラン「モンブラン 1858 モノプッシャー クロノグラフ オリジンズ リミテッドエディション 100」
Q.人生最後に手に入れたい腕時計、いわゆる「上がり時計」について教えてください。
A. モンブランが作る、ミネルバへのオマージュモデルを長年欲しいと思い続けています。2021年に発表された100本限定の「モンブラン 1858 モノプッシャー クロノグラフ オリジンズ リミテッドエディション 100」はウイングでも2本仕入れました。自社製キャリバー19-09CHを搭載した、1930年代のミリタリー モノプッシャー クロノグラフの復刻モデルです。もし売れ残ったならば購入したいと思っていたのですが、すでに完売してしまいました。自分が欲しいものは、お客様も欲しいですよね。
ミネルバのクロノグラフに採用されていた古典的なクロノグラフはやはり美しいと思います。スワンネックやプッシャーの重さ、ムーブメントの昔ながらの手作りの良さなど、工業的に作られている今の時計とは一線を画します。いつかまた良い出合いがあればと願います。
取材余話
ウイングを一代で北陸屈指の時計店へと育て上げた石橋喜代志だが、時計店を立ち上げるまでの青年期には波乱の日々を過ごしていたようだ。事業継承を予定していた父親の建設会社や、安定を見い出したはずの大阪のカー用品卸し会社は相次いで倒産。しかし石橋氏の才能を見込んだ人々の支援によって、現在までつながる道が拓いた。石橋氏が創業したカー用品店は、時機を見て早期から開始したブライトリングの取り扱いが奏功し、次第に時計店へとシフト。今日までに航空自衛隊 小松基地のパイロットらに愛される時計店として定着していった。窮地にいても前を向き、人とのつながりを大切に、しなやかに生きてきた石橋氏とともに、ウイングは大きく拡大していった。
●ウイング 公式サイト https://www.wing-rev.co.jp/
https://www.webchronos.net/features/62573/
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