ヴァシュロン・コンスタンタン/ヒストリーク・アメリカン 1921 Part.1

今やヴァシュロン・コンスタンタンを代表するアイコンとなった「ヒストリーク・アメリカン 1921」。しかし1919年に発表されたこのモデルは、長らく、誰もが知らない時計のひとつだった。対して1921の独自性に気づいた同社は、このモデルのアイコン化を企図。果たして大きな成功を収めたのである。

ヒストリーク・アメリカン 1921

星武志:写真 Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
広田雅将(本誌):文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2024年11月号掲載記事]


オリジナルの完全再現を目指した「ヒストリーク・アメリカン 1921」
その歩みと復刻版の存在意義

1921年にリリースされ、2009年に復活を遂げた「ヒストリーク・アメリカン 1921」。このアイコンの100周年を祝うべく、ヴァシュロン・コンスタンタンは1本限定のユニークピースを作り上げた。同社が製法を含め、ほぼ完全な復刻版を作ろうと考えた理由は、1921のユニークな歩みにある。

アメリカン 1921 ユニークピース

アメリカン 1921 ユニークピース
アメリカン 1921の100周年を記念して、2021年に発表されたユニークピース。可能な限り当時の部品を採用し、かつ製法も忠実に再現された。徹底した再現度から見えてくるのは、本作に対するヴァシュロン・コンスタンタンの執念だ。手巻き(Cal.1921)。16石。パワーリザーブ約30時間。18KYGケース(縦31×横31mm、厚さ8.75mm)。参考商品。

 豊かなアーカイブを基に、さまざまなクリエイションを展開するヴァシュロン・コンスタンタン。「トラディショナル」「パトリモニー」「ヒストリーク」「オーヴァーシーズ」などの優れたコレクションを擁する同社だが、その中で最もアイコニックなモデルは「ヒストリーク・アメリカン 1921」だと筆者は思っている。

 本作は、ヴァシュロン・コンスタンタンの傑作を今にアレンジした「ヒストリーク・コレクション」のひとつである。このコレクションは1990年代に誕生し、一度ディスコンとなったが、2005年に再開された。以降同社は同コレクションに多様な新作を追加。その3作目にあたるのがヒストリーク・アメリカン 1921(以下、1921)だった。

アメリカン 1921

1919~31年にかけて、アメリカン 1921は合計12本が製造されたとされている。左はアメリカン 1921の原型となった21年製のモデル。右は1919年の通称ファーストモデル。いわゆるコブラ針とインデックスには、夜光塗料のラジウムが塗布されている。黎明期のモデルらしく、21年モデルに比べてラグ幅はかなり細めだ。

 本作の原型は1919年に製作された、文字盤を左斜め45度に傾けた腕時計である。1921年にはアメリカ市場向けに再発売され、2009年には再びカタログモデルとなった。パルミジャーニ・フルリエのCEOを務めるグイド・テレーニが「1921は未来に残る傑作」と漏らしたように、長年埋もれていたこのモデルは、再発表からわずか10数年で、時計業界のアイコンとなったのである。

 ではなぜヴァシュロン・コンスタンタンは、文字盤を斜めに傾けた時計を作ったのか。ひとつの説はドライビングウォッチである。1920年にアメリカの自動車メーカーが生産した自動車の総数は約220万台だったが、29年には約530万台へと急増した。となれば運転するときに見やすい、文字盤を傾けた腕時計には需要があるだろう。

アメリカン 1921 ユニークピースの製造過程

ケースはオールドストックではなく、ゼロから製作されたもの。しかしCNCではなく、当時の旋盤を使い、オリジナルと同じ手法で製造されている。ケースの微妙な曲面は、18KYGの板を旋盤に当て、ケースを円弧状に動かすことで施される。右はオリジナル同様、ロウ付けされたラグ。肉盛りした後に、手作業の研磨で面を整えていく。

 ちなみにヴァシュロン・コンスタンタンは、かのライト兄弟の依頼を受け、飛行中に時間を確認できる時計を1904年に開発している。これは懐中時計のムーブメントを載せ、レザーストラップで太ももに固定する、後のパイロットウォッチを先取りしたものだった。1900年以降の同社が、こうした機能的な腕時計の開発に注力していたことを考えれば、1921がドライビングウォッチだった可能性は否めない。対して、ヴァシュロン・コンスタンタンでヘリテージ&アーティスティック・ディレクターを務めるクリスチャン・セルモニはこう説明する。

「メゾンでは、オリジナルモデルのスケッチを保管していますが、果たしてこれを初期の“ドライバーズウォッチ”の作例として良いかを示す明確な根拠はありません。おそらく、そうだとは思っているのですが……」。確かに現存するアメリカン 1921の多くは、リュウズが1時ではなく11時位置に付いている。ドライビングウォッチとして使うにしても、これではサウスポー向けだ。「明確な根拠はない」というコメントは当然だろう。むしろ彼が示唆するのは、それとは異なった成り立ちだ。

アメリカン 1921 ユニークピースの製造過程

リュウズは修復部門に残されていた当時のオリジナル。豊富な部品のストックが、1921の完全なる復刻を可能にした。右はベゼルの製造工程。糸鋸で抜いた板をプレスで成型し、加熱して歪みを取っていく。その後、旋盤で加工を加え、ベゼルの形に整えていく。ヤスリがけやハンマーでの成形などは、昔に同じくすべて手作業だ。

「アメリカの牧師、サミュエル・パークス・キャッドマン博士が1920年代にジュネーブにある我々のブティックを訪れ、アメリカン 1921を2点注文したという記録が残っています。ですからこれを“伝道師の時計”の誕生と位置付けることはできると思います。一説によると、同氏は日曜日に説教をする際にアメリカン 1921を着用し、両腕を前に突き出しながら時間の経過を目立たないように確認していたそうです。あくまでこれは伝説の域を出ません。エピソードとしては素晴らしいのですが……」

 キャッドマン博士は当時としてはかなり進歩的な人物だったようで、1923年にはラジオを使った説教を始め、それは28年からアメリカ全土に広がった。ラジオという新しいメディアによった彼が、腕時計という新しい道具を使ったとしても決して不思議ではないだろう。しかもラジオの収録には、厳密な時間管理が求められるのだ。

アメリカン 1921 ユニークピースの製造過程

磨かれた裏蓋。唯一今の時計を感じさせるのが、レーザーによる刻印だ。右は完成したミドルケースとオールドストックのリュウズ。リュウズはできるだけオリジナルに近いものを選んだ、とヴァシュロン・コンスタンタンは説明する。ベゼルと裏蓋は古典的な嵌め込み式。しかし、精密な噛み合わせはそれを感じさせない。

 さておき、そんな1921が復活した経緯は1996年にさかのぼる。この年、リシュモン グループがヴァシュロン・コンスタンタンを買収し、戦略の全面的な見直しを行っている。デザイナーとして抜擢されたのは、ヴァンサン・カウフマン。併せて同社は1950年代から封印されていた木箱を開封し、膨大な文書の整理と分析に取り組んだ。担当したのは、アーカイブ管理者であるベルナール・ヴュイヨムネと、時計史家のドミニク・フレション。同社が歴史の掘り起こしに取り組んだ一因は、来る2005年にヴァシュロン・コンスタンタンが創業250周年を迎えるためだった。

アメリカン 1921 ユニークピースの製造過程

右は組み立て直前の「アメリカン 1921 ユニークピース」。黎明期の腕時計らしく、文字盤を固定したムーブメントを、ベゼル側からケースに押し込むようになっている。左はオールドストックの部品と、CNCで新造された洋銀製の受け。当時の仕上げに倣って、表面にはシンプルな筋目模様が施されている。

 この年の4月、同社は7本限定の「トゥール・ド・リル」をリリース。250周年を祝うにふさわしく、この腕時計はダブルフェイスに16もの機能を詰め込んだ史上空前の超大作だった。同じく4月3日には、アンティコルムが250本ものヴァシュロン・コンスタンタンを集めた「ザ・クォーター・ミレニアム・オブ・ヴァシュロン・コンスタンタン」オークションを開催。腕時計の最高額はトゥール・ド・リルのユニークピース(187万6250スイスフラン)だったが、ヴァシュロン・コンスタンタンらしいユニークなデザインの時計も予想外の高値を付けた。そのひとつが、ロット178の“いわゆるアメリカン”と呼ばれた腕時計である。エスティメイトは4万〜6万スイスフラン。しかしこの時計は、なんと7万150スイスフランもの高値で落札されたのである。

アメリカン 1921 ユニークピースの製造過程

本作の製造で一番困難だったのが、穴石を取り付ける工程。地板や受けの穴開けには、18世紀のドリルを据えたボール盤を用いたほか、穴石のセットには20世紀初頭の打ち込み機を使用した。左はオリジナルムーブメントを構成する部品の測定。部品のサイズが異なるため、入念な採寸とサイズ計算が必要となった。

「ムーブメント番号3914192、ケース番号2455206。1921年製。クッションシェイプの18Kイエローゴールド製紳士用腕時計。ムーブメントと文字盤が斜めにセットされ、イエローゴールドのヴァシュロン・コンスタンタン製バックルが付いている」。この時計こそが、現在のヒストリーク・アメリカン 1921の直接の祖だった。

 セルモニはこう語る。「ヒストリークとは、ヴァシュロン・コンスタンタンが過去に発表したタイムピースの中から、その歴史において重要な意味を持ち、復活に値するタイムピースを現代的な手法を用いて再解釈したコレクションです。アメリカン 1921がその候補に選ばれたのは、2005年の出来事でした。この象徴的なモデルを再解釈し、21世紀に相応しいタイムピースとして甦らせるにあたり、メゾンのデザイナー、さらにエンジニアたちは2年の歳月をかけました」。

アメリカン 1921 ユニークピースの製造過程

右は新造されたカナ。CNCではなく、古典的な旋盤を使って製作された。左はテンプの取り付け。オールドストックのテンワは古式ゆかしいバイメタル製。そしてヒゲゼンマイも、昔ながらの青焼きされたものだ。ヴァシュロン・コンスタンタンは明言しないが、ヒゲゼンマイもおそらくは修復部門に眠るオールドストックだろう。

 彼ははっきりと明言していないが、ヒストリーク・アメリカン 1921の復活を促した直接のきっかけは、2005年のオークションだったと言って間違いはないだろう。

 マニュファクチュールとしての熟成も1921のリバイバルを後押しした。1998年、ヴァシュロン・コンスタンタンはHDGを買収し「アトリエ・ヴァシュロン・コンスタンタン・ヴァレ・ド・ジュウ」を設立。長らくエタブリスールだった同社は、マニュファクチュールとして再び自社製ムーブメントを製造するようになった。その成果が、2001年の手巻きキャリバー1400、05年の自動巻きキャリバー2450、そして09年の大径手巻きキャリバー4400である。そしてこの4400は、同じ年にお披露目されたアメリカン 1921にいち早く採用された。

アメリカン 1921 ユニークピースの製造過程

ヴァシュロン・コンスタンタンはオリジナルが搭載していたキャリバー・ヌーボーをほぼ完全な形で再現した。4番車の飛び出た受けは、この時代のヴァシュロン・コンスタンタンによく見られるディテール。また丸穴車の受けを別体とした設計も高級機ならではである。左はケースに収められた様子。嵌め込み式の裏蓋をピンで位置決めする手法もオリジナルに倣っている。

 これに先立って、ヴァシュロン・コンスタンタンは「ヒストリーク」コレクションとして「トレド 1952」と「クロノメーター・ロワイヤル 1907」をリリースしていた。しかし、最も注目を集めたのは、極めてユニークなデザインを持つアメリカン 1921だった。本作の人気を受けた同社が、1921のアイコニック性をいっそう高めようと考えたのは当然だろう。2021年に1本限定で復刻された「アメリカン 1921 ユニークピース」は、その象徴的な存在だ。

 その意図は壮大である。ヴァシュロン・コンスタンタンは1921年当時のアメリカン 1921をそっくり復刻しようと考えた。外観はもちろんのこと、製法も、である。

アメリカン 1921 ユニークピースの製造過程

「アメリカン 1921 ユニークピース」に針を取り付ける工程。オリジナルに同じく、非常に太い袴に注目。懐中時計のムーブメントを使っていたことを感じさせる要素だ。

 完全な再現を支えたのは、同社のヘリテージ&修復部門と、豊富に残された過去の部品や機械、そして自社製ムーブメントを支えるマニュファクチュールだった。歯車や香箱などはオールドストックだが、地板と受けはCNCで加工された。もっとも、ノウハウと製造設備を持つ同社であっても、その再現は困難だったようだ。セルモニはムーブメントの穴石の固定が一番難しかったと語る。洋銀製の受けと地板にオールドストックの穴石を嵌め込むのは現行品に同じ。しかし、穴石の周囲を変形させて受けに固定する手法はすでに失われていた。同社の職人はこのプロセスを知っていたが、実際に行った人はいなかったという。結果として、調査とセッティングに、同社の職人たちは約700時間を費やした。

アメリカン 1921 ユニークピースの製造過程

エナメル文字盤は完全に新造されたもの。右は白い釉薬を振りかける工程。詳細は不明だが、最低でも数回の焼き入れと研磨の工程が必要となる。左は焼成の工程。製造されたのは1本だが、ヴァシュロン・コンスタンタンは複数の文字盤を製造した。理由はおそらく、歩留まりが悪いため。詳細は不明だが、ダイアルベースはおそらく銅か真鍮であろう。

 ケースも古典的な手法だけで再現された。現行のヒストリーク・アメリカン 1921のケースは最新のCNC旋盤で加工されている。しかし、このユニークピースの製作にあたって、ヴァシュロン・コンスタンタンは古典的な切削と溶接のみを用いた。また、採用する18KYGの合金も、当時の色味を再現したものが選ばれている。

 驚くほどの熱量を投じて作り上げられた「アメリカン 1921 ユニークピース」。アメリカン 1921の歩みを考えれば、本作が完全な復元の対象に選ばれたのは当然だろう。造形が際立って個性的なうえ、250周年のオークションで注目され、そしてマニュファクチュールとしての成熟が、このモデルのリバイバルを可能にしたからだ。同社の豊かな歩みが育てた、まさしく“アイコニックピース”。次ページ以降では、集大成である2本の現行モデルを見ることにしよう。

アメリカン 1921 ユニークピースの製造過程

右はいわゆるタコ印刷で印字を転写した状態の文字盤。加熱した文字盤には歪みがあるため、フラットに成形し直した後、印字を転写する。右はスモールセコンドの穴を仕上げる工程。この時代にはスモールセコンドを一体成形するエナメル文字盤が普及していたが、高級品らしく、ヴァシュロン・コンスタンタンはスモールセコンドを別部品としていた。

アメリカン 1921 ユニークピースの製造過程

別体で製造されたエナメル製の文字盤とスモールセコンド。メティエダール工房を擁するヴァシュロン・コンスタンタンは、本作の文字盤も自社で製造した。左はいわゆる“ブレゲ針”。これらの部品も、ヴァシュロン・コンスタンタンのオールドストックである。再研磨した後、昔ながらのアルコールランプで青焼きが施された。



Contact info: ヴァシュロン・コンスタンタン Tel.0120-63-1755


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ヴァシュロン・コンスタンタン【2021 新作】誕生100周年を祝う「ヒストリーク・アメリカン 1921」の新モデル

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オリジナルを忠実に再現した、ヴァシュロン・コンスタンタンの「アメリカン 1921 ユニークピース」

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