今年、発表から30周年を迎えた「ザ・シチズン」。シチズンならではの実用時計として生まれたこのコレクションは、2005年以降、同社のフラッグシップと位置づけられるようになった。しかしながら、高精度や実用性、そして十分なアフターケアといった特徴はこの30年、何ひとつ変わっていない。そのユニークなキャラクターから透けるのは、シチズンの歩みそのものだ。
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Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas), Ryotaro Horiuchi
広田雅将(本誌):文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2025年5月号掲載記事]
フラッグシップが歩んだ30年の軌跡
~超実用機からデザインピースへと至る変化~
1995年に登場したザ・シチズンは、この20年で大きく様変わりを果たした。具体的には、超実用機から、フラッグシップ、そしてデザインピースへの変化である。では、何が変化を促したのか。過去のモデルと、機能の進化から、ザ・シチズンの歩みを繙いていきたい。
ザ・シチズンというコレクションの成り立ちには、同社の歩みが大きく影響している。関係者によると、その企画は、当時シチズン時計の社長だった中島迪男によるものだった。シチズン時計の共同創業者にして、初代社長を務めた中島與三郎の孫である彼は、「市民に愛され、市民に貢献する」というシチズンの社是を、改めてプロダクトを通して実現しようと考えた。そんな中島が、創立65周年を迎える1995年に、シチズンらしい万人が使える良質な時計を作ろう、と考えたのは当然だろう。
企画をまとめ上げたのは、当時技術企画部長だった串田八郎である。彼は「ユーザー自身が自信の分身として長く愛用できる時計」というコンセプトの下、10年間無償保証を盛り込んだアフターサービス体制を盛り込んだ、「ザ・シチズン」の企画案を提出した。
メーカーとして義務づけられている部品の保有期間は7年。そして当時、時計の保証期間は基本的に1年だった。そんな状況にあって、生涯修理保証(現在は長期修理対応)、10年間無償保証、保証期間内の無償点検といったサービスは、無謀とも言える試みだったのである。加えて95年5月28日時点の販売価格は、ブレスレットモデルが12万円、レザーストラップでさえも10万円と、時計を収める豪華な木製のボックスを考えても決して安くはなかった。初代のザ・シチズンがいかに異質な存在だったかが分かるだろう。
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もっとも、このモデルの高い評価を受けて、シチズンはザ・シチズンのラインナップを拡充することになる。96年には世界初の女性用年差時計を追加し、97年にはベゼルなどを18Kゴールドに改めたコンビモデルを加えた。そして98年には、男性用のモデルが第2世代にモデルチェンジされた。基本的なデザインは初代モデルに同じだが、ムーブメントは新規設計のCal.A610に変更された。これは2100年2月28日までの修正が不要な永久カレンダーや時針の単独修正による時差修正機能、そして高速日送りカレンダーを加えたもの。さらに低メタルアレルギー仕様のブレスレットや、爪を傷めずにブレスレットを開閉できるプッシュ式の中留めも採用された。このA610搭載機こそが、ザ・シチズンの基礎を定めたモデルと言えるだろう。
このモデルの改良版が2000年のCTQ57-0611(ブレスレット版)とCTQ57-0612(レザーストラップ版)、そしてコンビモデルのCTQ57-0631である。基本的な機能はA610搭載機に同じだが、新しいキャリバーのA660では、2時位置に加えられた「隠しボタン」を使うことで、手動でもパーペチュアルカレンダーを調整できるようになっていた。実際にこの機能を使うユーザーがいたかは疑わしいが、こういった配慮はいかにもザ・シチズンらしい。
ハードとしてひと通りの熟成を見たザ・シチズンは、以降、デザインや素材でバリエーションを広げるようになる。01年に発表されたCTS57シリーズは、なんとブレスレットとケースを一体化させただけでなく、ケースにリュウズガードを加えたモデル。これは従来とは違うユーザー層を志向した試みだった。
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30周年記念モデルはジャパンブルーが印象的な藍染め和紙に印刷でグラデーションを重ねた文字盤を採用。その質感はかなり高い。光発電エコ・ドライブ(Cal.A060)。スーパーチタニウムケース(直径38.3mm、厚さ12.2mm)。10気圧防水。世界限定400本。42万9000円(税込み)。
(左)ザ・シチズン 30周年記念モデル 高精度年差±5秒 エコ・ドライブ Iconic Nature Collection AQ4106-00A
こちらは外装にデュラテクトサクラピンクをあしらったモデル。明けゆく早朝に柔らかな雲がたなびくさまを、長い繊維を漉き込んだ雲龍紙で再現している。ザ・シチズンの文字盤表現としては最高峰だろう。基本スペックは右のモデルに同じ。世界限定400本。45万1000円(税込み)。
そのザ・シチズンがフラッグシップに舵を切り直したのは発表から10年目のこと。2005年のモデルにはチタンと18KYGケースが追加されたほか、文字盤にはかつての公式クロノメーター機よろしく「Chrono master」のロゴが加えられたのである。大きな変化を示すのが裏蓋の刻印だ。1995年から一貫して刻まれてきた“Close to the Hearts of People Everywhere”の文字が消え、1962年の「シチズン クロノメーター」に見られた、イーグルのロゴが復活したのである。良質な実用時計だったザ・シチズンは10年目にして同社のフラッグシップへと様変わりを果たしたわけだ。
もっとも打ち出しは変わったものの、ザ・シチズンの方向性は基本的に変わっていない。それを示すのが2011年に発表された世界初の高精度年差エコ・ドライブモデルだ。そもそも1995年の発表以来、ザ・シチズンのクォーツモデルは、5年という長いバッテリーライフと、年差±5秒という驚くべき精度を両立させてきた。シチズンのお家芸である光発電のエコ・ドライブを載せて欲しいという声はとりわけ販売店で大きかったが、ザ・シチズンへの搭載は極めて難しかった。その理由は大きく持続時間と美観である。
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1976年に太陽電池充電式の「クリストロンソーラーセル」を発売したシチズンは、90年代半ばになって、光発電ムーブメントに、半年以上の持続時間を与えることに成功した。「エコ・ドライブ」の完成である。しかし、エコ・ドライブにザ・シチズンの基準を求める仕上げを加えると、文字盤の透過率が下がり、文字盤下にある太陽電池が十分に発電できなくなる。加えて、ザ・シチズンの求める年差という精度を実現するには、さらに受光性能を高める必要があった。エコ・ドライブの性能を飛躍的に向上させてきたシチズンが、フラッグシップとなったザ・シチズンへの採用に距離を置いたのは当然だろう。
しかし2011年、シチズンは世界初となる、年差±5秒を実現した光発電ムーブメントを新しいAQ1000に採用した。搭載するA010の開発に携わった中平大輔はこう語る。「エコ・ドライブを載せるにあたって、何がザ・シチズンらしいのかをチームで議論しました。年差クォーツですから、そもそも時計が止まってしまうようでは意味がありません。そして持続時間も意識しました」。水晶振動子を振動させるクォーツ時計は、そもそも機械式時計に比べて精度が高い。しかし、温度が25℃からずれてしまうと、精度が悪化してしまう。そこでいくつかのメーカーはICを使って温度補正を行ってきた。シチズンも例外ではない。そして今回は、発電量の小さなエコ・ドライブに、1分に1回の温度補正機能を加えたのである。
もうひとつが、カレンダーの瞬時送りである。既存のものはカムとバネでカレンダーを早送りしていたが、どうしても送るタイミングにバラツキが出る。そこで中平は、カレンダーを送るためだけに専用のコイルを加えた。つまりA010の日付は、モーターで切り替わるのである。過剰とも言える配慮だが、万事に正確さを追求してきたザ・シチズンならではの試みと言える。ちなみに普通のカレンダーは時分針と連動して切り替わる。しかし日付表示の動力をモーターにすると時分針との連結はカットされ、日付の位置だけでなく、切り替えるタイミングも分からなくなる。そこで中平は時分針を動かす日車の裏にバーコード印刷を加えて、電子的に時分針の位置を検知し、カレンダーと電子的に連動させた。
普通のクォーツならば、温度補正や、日付表示用にコイルを加えるのも難しくない。しかしこれは、省電力がキモのエコ・ドライブなのである。対して、その省電力化に努めてきたシチズンは、新しいA010でついに光発電と高機能の両立に成功したというわけだ。しかも、ポリカーボネート製(プラスティックの一種)にもかかわらず、文字盤の質感は従来までの金属文字盤に大きく変わらない。中平が言うところの「透過率の低い」新世代のエコ・ドライブムーブメントは、やがて、ザ・シチズンの文字盤に多様なバリエーションをもたらすことになる。
現在、ザ・シチズンの文字盤開発を手掛けるのが、製造技術本部の山影大輔だ。「エコ・ドライブをザ・シチズンに載せるのは難しいのです。というのも、文字盤に透過性を持たせなければならないため、どうしてもプラスティックっぽさが出てしまう」。ではいかにして、シチズンは質感と受光性能を両立させたのか。文字盤開発チームが発見したのは和紙だった。「エコ・ドライブの文字盤に合わせる素材は、いろいろ調べました。素材を探す中で、質感と機能を両立できるものが土佐和紙だったのです。薄いため光を通すうえ、質感を出せますから」。その厚みは、約20〜30ミクロン。手漉きの和紙でも約50ミクロンというからかなり薄い。「光を通す灯籠には、和紙が使われていましたよね。ですから、エコ・ドライブの文字盤に和紙を使うことにも、必然性があるのです」(山影)。
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もっとも、単にポリカーボネートに和紙を貼った基材を重ねただけでは、ザ・シチズンの文字盤にはならない。「和紙の表面はどうしても毛羽立つので、産毛シェーバーで表面を均しています。そして和紙ならではの質感を残すよう、和紙の厚みの半分ぐらいまで接着剤を塗り、基材に貼り付けています」。色の付け方もユニークだ。普通の文字盤は塗装かメッキで色を加えるが、文字盤に透過性を持たせる必要のあるエコ・ドライブでは難しい。そこでシチズンは、穴を開けたスクリーン印刷で文字盤に色を付けるようになった。これならば透過性を確保できるだけでなく、さまざまな模様を、しかもごく薄く付けられる。
そして文字盤はさらに進化を遂げた。近年のエコ・ドライブを搭載したザ・シチズンは、厚いラッカーを吹いたようなツヤありの文字盤を載せるようになった。表面を磨いているのかと思いきや、なんと射出成形で仕上げただけ。金型の精度が上がることで、今やポリカーボネート文字盤は完全な鏡面を得たのである。そして近年では、鏡面のポリカーボネート製文字盤に対して、ゆがみなく金属パーツを固定する手法も確立させている。
良質な実用時計に始まり、2005年以降はフラッグシップに転じたザ・シチズン。しかし、エコ・ドライブの採用により、両者はうまくバランスが取れるようになった。次ページでは、そんなザ・シチズンの現在の姿を確認してみよう。



